8月32日(5)
翌朝8月33日の朝、僕は物音に気がついて目が覚めた。
半身を起こして部屋を見渡すと、お母さんの姿はない。シャワー室からシャワーの出る音がしているので、たぶんシャワーを浴びているのだろう。
昨日は本当に楽しかった。あんなになにも考えずに遊んだのも久しぶりだし、いつもは「もう疲れちゃった」と言って部屋に帰りたがるお母さんも、夕方まで僕にずっと付き合ってくれた。
正直言って、今までの旅行で一番楽しかったかもしれない。
夏休みが終わらないってのは、実に幸せなことだ。毎日毎日お母さんといつまでも遊んでいたい。学校なんて、行きたくもない。
喜びに浸っているうちに、僕は突然あることを思い出した。敬介叔父さんが去年の夏話してくれたことだ。敬介叔父さんはお母さんの弟で、東京の大学の大学院まで行って、量子力学なんてよくわからないものを研究していた。
今は就職しているけど、無類のゲーム好きで、僕とゲームの話で盛り上がった。
その敬介叔父さんが以前話していてくれたことがある。
「なあ、翔太。この世の中が実は仮想現実だって話を聞いたことがあるか?」
聞きなれない言葉に、僕の頭の中には「?」マークが飛び交った。
「カソウゲンジツ?」
「そうだ。Virtual Reality(バーチャルリアリティ)って言葉を聞いたことがあるよな?」
「うん」
「コンピューターの中に作られた仮想的な世界を、あたかも現実のように体験させる技術のことなんだけどな。マトリックスって映画を観たことがあるか?」
「うん、それならアマプラで観たよ。面白かった」
「実はこの世の出来事はマトリックスと同じ世界ではないかって、アメリカの科学者や大富豪たちが言っているんだ。そしてその可能性は50%とも言われている」
「どういうこと?」
「俺や翔太もしょせんはだれかの作ったプログラムの上で動作してるってことだよ」
「まさか」
「仮想現実である根拠も上げられているんだ。例えば、量子もつれとか、光より速い速度はないとか、時間が伸び縮みするだとか、いろいろと根拠はあるんだ」
僕はぞっとした。
「怖い話だね」
敬介叔父さんはうすく笑った。
「昔『ぼくのなつやすみ』ってゲームがあったんだ。叔父さんも子供の頃よくやったもんだけど、ゲームクリア後、ある操作を行うことで、ボク以外の人間が消滅し、様々な怪奇現象が発生する『8月32日』がプレイできるというバグがあったんだ。ゲーム史上もっとも怖いバグのひとつとして、ゲームファンのあいだではしばしば話題となっていた話なんだけど、あのゲームの主人公が、実は翔太だったとしたらどうなると思う?」
「ありえない8月32日を過ごすことができるね」
「そうだ。そして、8月33日、34日……とずっと休むことができると思うだろう?」
「うん」
「ところがもともとプログラムの制作者は8月32日以降の日付なんて想定してプログラムを作ってないから、動作がどうなるか想定不能になる。そしてたいていの場合は8月36日くらいまでに、プログラムがエラーで終わってしまう」
「それってどういうこと?」
「もし翔太が『ぼくのなつやすみ』の主人公だとしたら、そこで世界が終わってしまう、ってことだよ」
「死ぬ、ってこと?」
「死ぬだけじゃない。この世の中もすべて消滅してしまうってことだよ」
背筋にひやりと冷たいものが走った。
「じゃあ、もしこの世の中が仮想現実だったとしたら、この世の中は作った人のバグがあったら、消滅してしまう可能性があるってこと?」
「そういうことさ。だから、いつもと違っておかしなことがあったら、それはこの世の中を作ったプログラマのバグかもしれないってことさ」
敬介叔父さんはそう言って、いたずらっぽく笑った。
そのときはピンと来なかったけど、いまがまさにそのいつもと違って8月32日、今日は8月33日ってとじゃないか。もし僕が「ぼくのなつやすみ」の登場人物だったとしたら、せいぜい8月36日までの命ってこと?
(続く)