【雑記】黄鉄鉱
昨日私のテーブルの上に黄鉄鉱が置いてあった。
この黄鉄鉱は以前どこかに旅行に行ったときに息子が欲しがったので買ってやったものだ。
息子はこんなふうに、すぐにどこからかモノや本を引っ張り出してきて、そのまま放置する。
すぐに片づければなんの問題もないが、いつもそのままほったらかしにする。
こんなしょうもないものを引っ張り出してきて、いったいなにをするつもりなのかとは思ったが、いつものことなのであまり気にも留めず、息子の本棚に戻しておいた。
翌日、学校に行く前の息子が
「あれ、ここに置いてあった僕の黄鉄鉱がない」
と言い出した。
私が本棚を指して
「あそこに置いてあるよ。引っ張り出したら自分で片づけろよな」
と言ったら、息子は本棚に行って黄鉄鉱を手に取り、そのまま学生服のポケットにしまい込んだ。
「そんなしょうもないもの、学校に持っていってなにする気なの?」
「今日英語で自分の一番の宝物を紹介する授業があるんだよ。それで持っていくの」
私は少なからず驚いた。そんなものが息子の宝物だとは思いもしなかった。
たしかに私も少年の頃、鉱物が好きで、石英とか水晶とか見つけては宝物のように取っておいた。
黄鉄鉱もなんとなく黄金色に光っていて、重量感もあり、欲しいなと思ったことがある。
だから息子が欲しいと言ったときも買ってやったのだが、まさか中学生になった息子の宝物とは思いもしなかった。
「君さあ、そんなショボいモノじゃなくて、もっと気の利いた宝物はないの?」
「僕にとっては、これが一番の宝物なんだよ」
「たしかにちょっと綺麗だけどさあ、そんなただの石ころのなにがいいの?」
「これはね、僕が小学校に入学して初めての一泊旅行で買ってもらったものなんだよ」
そう言われて、はっとした。
たしかあの黄鉄鉱は息子が小学校4年生の2019年7月15日に初めて一家三人で日田に旅行して買ったときのお土産だった。
息子が小学校低学年のときに私の母が癌になり、看病やお見舞いなどで、なかなか一家で旅行することができなくなった。
3年生の冬に母が亡くなり、やっと落ち着いた翌年の夏に家族で旅行でもしようと言ったのが日田だった。
筑後川本流の上流である三隈川のほとりのホテルを予約して、初日は日田の町を散策してから鯛生金山に行こうという話をしていた。
ところが当日はあいにくの雨だった。
小倉から中津、耶馬渓を経由して、山国町、日田までは雨も小ぶりだったので、豆田町の天領日田資料館などを訪れ、日田の街を楽しんだ。
昼食で、息子がハンバーガーを食べたいと言ったので、ハンドメイドキッチンOJという店に入ったところ、大当たり。ハンバーガーもポテトもおいしかった。以来息子のお気に入りの店になっている。
午後になり、だんだんと雨が強くなってきた。
一瞬予定を変更しようとも思ったが、せっかくの機会なので、とりあえず鯛生金山まで行ってみることにした。
鯛生金山に向かって車を走らせてからほんの30分程度で雨が激しくなってきた。
当時はまだ道も新しくなっておらず、崖沿いの細い道を山に伝って登っていくのが続いた。
だんだん雨は強くなってきた。ザーザーというより、ビシャビシャといった感じで雨が降ってくる。ワイパーも高速で動かさないと視界が危うくなってきた。
それでもせっかくの機会だからと車を走らせていたが、だんだんと不安になってきた。
このまま崖崩れでも起こったらただでは済まないなとか、知らない道で視界が遮られて進めなくなったら悲惨だなとかとか、いやな予感しかしなくなってきた。
約半分の地点の梅林湖松原ダムまで行ったところで車を停める場所があったので、いったん車を停めて、このまま鯛生金山に行くべきか、皆に聞いた。
妻も息子もかなりの不安を感じていたようで、すぐに引き返すことが決まった。
さすがに久しぶりの一泊旅行でこれでは悔しいので、翌日早起きして雨が降っていなければ鯛生金山に行ってから小倉に帰ることにした。
翌朝、朝起きてみると、雨は上がっていた。
ホテルのチェックアウトを済ませ、鯛生金山に向かった。
昨日とは打って変わって、楽な道のりだった。
昨日は雨で視界が遮られ、道も細くて、なんとも心もとなかったが、早朝だったので車も少なく、視界は良好で、梅林湖、蜂の巣湖の景色を楽しむゆとりも生まれた。
昨日は地獄への道のりのように思えた道のりも、雨が上がればきれいな景色を有する楽しい道のりに過ぎなかった。
ほどなくして鯛生金山に到着した。
鯛生金山は思ったよりはるかに充実していて、楽しめた。
こんな場所にこんなすごい施設があったんだなと驚きながら坑内を散策し、次に息子は砂金作りに挑戦した。
最後に土産物屋に立ち寄ったら、いろいろなお土産が売っていた。
その中でも息子がひときわ興味を持ったのが、この黄鉄鉱だった。
せっかくの記念だと思い、息子に気に入ったものを選ばせて買ってやった。
中学受験が本格的になった頃でも、この黄鉄鉱はなぜか息子の本棚の一角を占めていて、いつしかご丁寧に箱まで作ってあって「開けるな」と箱に書かれていた。
そんながらくた、だれも開けるわけないよと苦笑した。
箱をそのまま放置しておいたら、中学入学と同時に「がらくた箱」は目に留まるところからはなくなり、私も黄鉄鉱のことはすっかり忘れていた。
そんな私からすれば、どうでもよい黄鉄鉱だったが、昨日いきなり時空を超えてテレポテーションでもしたかのごとく、私のテーブルの上に置いてあった。
そして息子に「初めての一泊旅行」と言われて、当日の出来事が走馬灯のように頭に甦ってきた。
きっと息子はあの黄鉄鉱を後生大切に持っていて、引っ越しの際にもなくさないように持ち運び、自分の部屋に大切にしまっていたのだろう。
息子にとっては「黄鉄鉱」そのものが大切ではなく、黄鉄鉱が持っている家族の思い出が一番大切だったのだ。
今朝息子は黄鉄鉱を嬉しそうに学校に持っていった。
きっと英語の授業で、たどたどしいながらも、家族の思い出を楽しそうに話すのだろう。