8月32日(9)
後ろの座席に置いてある大型のキャリーバッグ、あの中にはお父さんのバラバラ死体が入っているんじゃないだろうか。
そう思って考えてみたら、後部座席からそこはかとなく生臭い臭いが漂っているような気がする。これが血の臭いってやつなんだろうか。
横目でお母さんをちらりと見たら、もうなにもごまかそうとはしていないのか、怖い表情をして運転している。その瞳の色は明らかに、いつものお母さんとは違っていた。
やっぱりお母さんはお父さんを殺していたんだ。
「さあ、着いたわよ」
車を停め、お母さんが抑揚のない声でそう言った。
いつしか車は山の上の草原ではなく、森の奥深くに入っていた。周りにはだれも人がいない。
「この先にいい場所があるの。ここからは少し歩くわよ」
お母さんはっきりと僕に命令するような言い方で言った。その声は僕に対する死刑宣告のように思えた。
僕はもう逃げられないことを悟った。
「私はこの先の道が間違いないかどうか、少し探索してくるから、しばらくここで待ってて」
お母さんはそう言って車を降りた。それから大きいキャリーバッグを持って、山の奥へと歩いて行った。
きっとこんな場所で逃げ出しても、僕が山に遭難することを、お母さんは知っているのだろう。それにあんな距離、歩いて帰ることなんかできない。
お母さんはお父さんの死体を埋める穴を掘っているのだろう。そしてそのあと、僕も殺される。
いま僕はこれまでのいきさつを日記に書いている。この日記をだれかが見つけてくれたらいいのだけれど、こんな山奥、だれも来やしないないだろうな。
お母さんは僕を殺して、そのあとで自殺するつもりなんだ。
ああ、僕は死にたくない。でももう遅い。
もっと早くにお母さんの計画に気づいていたらと臍を噛んだ。どうして8月32日があるなんて信じてしまったのか。僕は自分の愚かさを呪った。
お母さんがこちらに向かって歩いてきた。どこかうつろな表情でいて、確固たる殺意の意志を持っているようでもある。いつもは化粧を十分にするお母さんが化粧もせず、髪の毛をボサボサに振り乱していて、その姿は妖怪の山姥のように僕には思えた。
蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。もうだめだ。
[9月2日 吉川翔太]
(続く)
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