苦渋
何から書いたらいいだろうか。
私は今孤独の極地にある。
バイトでも学校でも、交友関係はほぼ0。
人は他者との交流を絶った時自分を失う。
こんな状態で、何が私を繋ぎ止めるというのか?
久しぶりにptpを聴いて思った。
ああ、俺は中学時代から何も変わっちゃいない。
完全に、あまりにも完全に同じなのだ。
私は中学生の頃そのままの気持ちでptpを聴いた。
今や私はアーティストとしか対話していない。
私という人間は、もはやいないと言っても過言ではない。
いや、いてもいなくても変わらないと言った方が正しい。
バイト帰り、あまりの惨めさに涙が出てきた。
寒空の下自転車を漕ぐ。
夜風よ、いっそのこと私を風化させてくれないか?
雨は先刻止んでしまった。
この涙を隠すものはもう何もない。
だから、私は涙と向かい合わなければならない。
向かい合って気づく。
解決策などないのだ。
これは厨二病的な意味ではなく、私たちはもう普通ではない。
もう普通にはどうしたって戻れないのだ。
普通の人間は、他者との交流の中で自分の立ち位置だったりキャラクターなどを確立しアイデンティティを作り上げていく。
しかし私は文物にアイデンティティを依拠してしまったのだ。
普通の人間を妬ましく思い、羨む事もあるだろう。
だが我々にも利点はある。
我々は弱さを知り、絶望を知り、美しさを知った。
どちらが優れているか。こればっかりは誰にも分かりやしない。
片方を憧憬として映す時があるだけだ。
時に思う。
どこかで道を大きく踏み外したのではないのかと。
でも踏み外した先で大事なものが見つかれば、辛酸舐めてきた日々も、全部チャラってもんだ。
辛いのは今だけだ。
なぜって?
人は過去を笑い飛ばし、剰え美談にしてしまうからだ。
またいつか、笑顔で再会しましょう。
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