福本伸行最強
福本伸行先生の新最強伝説黒沢を読んでいる。
作中にはこじえもんと言うキャラクターが出てくる。
こじえもんについて説明すると長くなるから、本編をぜひ読んでくれ。
簡単に言うと、こじえもんとは社会に馴染めず、捻くれてしまったおじさんだ。
彼は回想する、今までの人生、その碌でもない人生を。
そして気づく。
自分の怠慢、弱さ、人生のあらゆる勝負事、大事な局面から逃げ続けてきたという事実に!
彼は自身の境遇を、自身の性格のせいにしてきた。
俺は変わり者だから、頑固者だからと…
でも違った。
このどうしようもない人生は、全て自分が逃げ続けてきた結果に過ぎなかったのだ…
そんな人生を、彼はこう表現した。
生きそびれたと。
福本先生はどうしてこんなにも言語化が上手いのだろうか。
おそらく、自身も全く同じような思いを感じた事があるからだろう。
だからこそ言葉の一つ一つが痛烈に感じられるのだ。
さっきあれこれ考えるなというアランの言葉を引用したばかりだが、やはり福本先生の漫画を読むと色々考えてしまう。
俺たちの過去はクソだ。
そして未来の保証もどこにもない。
でも俺たちには「今」が、「今」だけはあるんじゃないのか?
そこが唯一死人と違うとこだ。
仮に今の人生が死んだようなものだとしても、俺たちはまだ死んじゃいない。
立ち上がれる。
死なない限り、ただ一つ俺たちが持ち得るギフト、それが「今」なんじゃないのか?
與えられた「今」に、幾星霜の「今」を殺し、ようやく気付いた。
当然じゃねえ。
不幸ってのはそれなりに理由があるもんだ。
だからこそ赫怒せよ。
己が惨状を、甘受する事なかれ。
結局のところ、安寧の中に安寧などない。
俺たちの安寧は、寧ろ闘争の中にしかないのだ。
一滴の遺恨を晴らす為、乾坤一擲の勝負に臨むべし。
友よ、ここが正念場だ。
共に欣喜雀躍の喜びを分かち合おうぞ。
そして乾杯しやうぢゃないか。
(今調べたのだが、ハンター×ハンターキメラアント編に出てくるディーゴ総帥の詩、これ実在しないらしい笑。冨樫先生が作った詩らしく、まんまと騙されたってわけだ。
それにしても、冨樫は詩の才能もあるのか…個人的に大好きな詩なんだよね。)
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