自由とは

私はこれを書かなければならない。

全ての日本人を、桎梏から解放するために。

まず自由とは、肉体的なものではない。

限りなく精神的なものであり、つまりは自分の中にしかないものである。

日本人(もちろん日本人だけではないが)はあらゆる価値観に縛られている。

学歴、職歴、年収、顔面、結婚、恋人、世間からの評価、etc

そしてその価値観にそぐわない人間はルサンチマンの感情を抱き、成功者を引き摺り落とそうとする。

しかし溜飲が下がるのはいっときだけ、それだけでは幸せになれない。

何故ならば価値観に縛られている限り、人は真の自由を得ることができないからだ。

人の虚栄心には際限がない。

「年収が高ければ高いほど良い」という価値観があるうちは、どこまでいっても満たされることがないのだ。

価値観に縛られた人間は果てしない虚飾と、自己欺瞞に塗れた人生を送らなければならない。

大事なのは身体性の排除である。

つまり金持ちだとか、良い車だとか、良い家だとか、良い女だとか、そんなものはどうでもよく、どれだけ精神的自由をもっているかで人の幸福は決まるのだ。

上に挙げた例はほとんどゴミ同然だ。

例えば、「好きな事で生きていくか得意なことで生きていくか論争」がある。

しかしそんなもの議論するまでもない。

好きな事で生きた方がいいに決まってる。

仮に得意な事で成功し、富を築いたとしよう。

得られるのは金、車、家、女…

ゴミばかりじゃないか!

更にはゴミ以下のものまでついてくる。

下らないプライド、金目当てに近寄ってくる人間への猜疑心、自己保身。

なんて低劣で下等な人間であろうか。

これでは幸福な人間とは到底呼び難いだろう。

(金持ちを批判しているわけではない事はわかって頂きたい)

反対に、好きな事をし続けた人間はどうだろうか?

成功すればもちろん万々歳だ。

成功で得たお金でさらに好きな事を続けられるだろう。

しかしもし失敗してしまったら。

世の中には夢半ばで散っていった者達が星の数ほど存在する。

彼らは皆、不幸だったのだろうか?

あるいは、当事者からすれば不幸な人生だったかもしれない。

しかし、見方を変えればそうとも言い切れない。

最終的に彼らの夢は途絶えようとも、夢に向かって好きなことに打ち込んだ時間、これはなにものにも変えられない至高の時間だったはずだ。

得意な事をやっていたのじゃ得られない、特別な時間なんだ。

そしてもし、得意な方の道を選んだとしよう。

結果は先に述べた通り、自由とは程遠いがんじがらめの人生だ。

当たり前のことだが、得意な道に進んだって成功するとは限らない。(それに得意なことがない人間だって無数にいる)

どの道に進んでもクソな人生が待ってるなら、せめて好きな事をやろうじゃないか。

これは私が進撃の巨人が好きな理由の一つなのだが、やはり我々は抑圧されすぎ。

人間とは元来もっと自由な生き物なのだ。

よく「好きな事で生きていく」なんて言葉がcmなどで流れるが、そんなのは当たり前!!

好きに生きないでどうする!

どうせ死にゆくだけの人生だろ。

金なんか持ってたって無駄だ。

いやもちろん家族を持った時は責任が生じるから、せめて不自由させないくらいにお金は必要だ。

だがその時はその時。

結婚なんてのは余裕ができてからすればいい。

て言うか、余裕ない人間は結婚なんかしちゃダメ!

ましてや子供なんて作っちゃダメ!

繰り返すが、好きなものが買えるとか、好きな場所に行けるとか、そういうものを私は自由とは呼ばない。

世俗的価値観から脱却することが出来た人間、ある意味で超俗の人間だけを、真の自由人と私は定義する。

老後のことなんて考えるな。

保身なんてのは未来のある人間がするもんだ。

我々に未来なんてない。

だが我々には未来を作れる力がある。

だから保身なんて考えてる暇ねえのさ。

「老後の為にお金貯めとかないと〜」なんて言ってる奴は馬鹿だ。

あえて言おう、カスであると!

老後に何ができる。

ダラダラと延命したって仕方がないだろう。(一応、一応言っておくが、ご老人の皆様に言っているわけではない)

ゆっくりと余生を過ごすのも悪くはないが、そのために今を犠牲にしちゃあ世話ねえぜ。

独り身のうちに、金なんか持っててなんの役に立つ?

ちょっといい飯が食えるぐらいだろ?

違う、本当の自由ってのは、そんなものよりもっと素晴らしいもののはずだ。

ちょっとダラダラ書きすぎたが、これが私から日本人に送る警鐘である。

何にも縛られるな。

勝手に生きろ。

以上。


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