【一幅のペナント物語#62】「国体」参加も"旅の思い出"だった時代
最近、国民スポーツ大会の意義について議論が高まっているようです。ニュースでそのことを聞いた時に「それなに?」と思いましたが、いわゆる「国民体育大会(国体)」が今年から名前が変わるのだとか。そして、その持ち回り開催に一部の県知事たちが声をあげたそうです。そういえば手持ちのペナントに国体のやつがあったなー、と思い出したので発掘してきました。
◉ペナント観察:クリエイティブを感じぬ「創造国体」ペナント
突き刺さる様に鋭角な「24」という金色の数字が飛び出していて、この長崎国体が第24回目の大会(1969年(昭和44年)開催)を記念したものであることを主張します。開催回数がそんなに大事かどうか個人的には違和感を感じますが、開催地の「長崎」の文字は左下にちょこんと。経年劣化のせいもありますが赤地に金文字は、やはり沈んで見えるので目立たないですね。デザインの添え物になるべき水色のパーツ(月桂樹?を想起させる縁取りや24の下のVマーク)が一番目立ってしまっています。素人がやっつけでデザインした感じが否めない。他の国体のペナントをWebで調べてみましたが、ここまでではないものの、押し並べて観光地のペナントほど創意工夫を感じなかった・・・・長崎国体、別名「創造国体」なのになぁ。
◉今回の騒動を見ながら感じるニッポンの前例踏襲
「歴史と伝統を重んじる」という言葉は、主に学校など教育現場でよく耳にしますが日本人ってこういうの好きですよね。神話が今も息づく国ゆえなのかもしれません。そのこと自体は全然かまわないと思うのですが、その言葉の続きに「だから変えずに守り続けることが大事」というところに安易に繋がりがちなのが良くないと思っています。変えるべきではないものと、変えてもいいものを見極めて時代に合わせて継承していく、というのが理想的な形だと思うので、今回のように名前だけではなく、戦後と今の日本社会を比較して、変えるべき部分はもっとありそうだなと個人的には思っています。
◉戦後高度経済成長期の価値観から卒業しよう
1946年(昭和21年)に掲げられた「広く国民の間にスポーツを普及し国民の体力向上を図るとともに,地方スポーツの振興と地方文化の発展に寄与すること」という国体の目的のうち、前半部分はそこそこ実現できている気がしますし、後半のローカルに向けての提言も、戦後中央集中になってしまったことと併せて違和感を感じるところです。実際2023年までの開催で、天皇杯・皇后杯ともに東京都が受賞回数最多で、それぞれ21回と27回。次点の北海道は共に5回と圧倒的な差になっています(Wikipediaより)。そりゃあ人口が多い地域のほうが優秀な人材も集まるのは当たり前です。あわせて1964年(昭和39年)以降、開催県が総合優勝するというのが慣例化しているようです(Wikipediaより)。これは開催県に意図的に有利な仕組みや、強化選手を招聘するなどの措置の結果らしいのですが、結果的にその地域のスポーツ振興に寄与することにもなっているかどうか良く分かりませんね。ある意味出来レースの一種といえそうです。なんにせよ、医療技術も発達して寿命も延びた日本、スポーツをするかしないかは人それぞれだし、国体も必要だと県民が思えばやればいいし、いらないと思えばやらなくてもいいし、無理矢理当番制を続けることには意味がない気がします。大会のために他所から選手を集めたり、ただでさえ教員も生徒もいっぱいいっぱいの学校に、国体に向けての時間を入れることはナンセンスでしかないです。
◉時代に適した形で変えていけばいい
東京のように若い人も、お金も沢山あるところはまだいいかもしれません。しかし消滅可能性自治体などと警鐘を鳴らされた市町を数多く抱える地方にとっては、若い人もお金も潤沢ではないので、50年に1度の大会のために巨大な施設を新調したり、広告宣伝にこれまでと同じようにお金を費やすのはもはや頭が悪い人のやることです。もちろん、意図をもって競技人口を増やしたいスポーツや、中長期的に価値を生み出しそうな施設をそのタイミングで注力するのもあると思います。お金をできるだけ掛けない範囲で小さく開催する、というのでもいいでしょう。国体の華々しさで地方が競いあう時代はとっくに終わっていると思うので、この機会に別の形に変化していけばいいと思いますね。皆さんはどう思われますか?
▲僕が子どもの頃に参加した国体。キッチュな演技服を着て、炎天下、組体操をやらされました。練習もキツかったし当日も恥ずかしかったし、体育会系ではなかった僕は国体が憎くて憎くて(笑)
◉ペナントもオフィシャルがかつては存在していた?
今回、国体のペナントを調べていると、いわゆる三角形のペナントではなく正方形のバナーのようなものが、オフィシャルで存在しているっぽいことを知りました。以下は過去のオークションサイトに掲示された画像なのですが、こういうものもJSPOとかの資金源になっていたのでしょうか? なんにせよ、大会に参加した各県代表の選手たちが記念にもらったのか買ったのか、国体への参加もまたペナントという形で、ある種の旅の思い出として家々の壁に貼られていたのかもしれませんが、今やそういうグッズの面影の見当たらず(各県で製作するものはあるみたいですが)、やっぱり時代とともに変わるべきものがあるなと思う次第です。