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【一幅のペナント物語#32】宗谷海峡を望む高台の哀しきモニュメントたち

◉「稚内 WAKKANAI」のペナント。そこに「氷雪の門」「九人の乙女の碑」「樺太犬記念像」がそれぞれ写実的なタッチで描かれている、複数モチーフ詰め合わせタイプ。稚内はずいぶん昔に訪れたことがあって宗谷岬の「日本最北端の地」のモニュメント前で写真を撮った記憶とかはあるのだけど、これらのモニュメントたちを見た記憶は無い。深紅の生地をベースにしているせいか、なんだか悲壮感を感じるビジュアルなのだが、これらのモニュメントを深掘りしていくと、この色選びは意図あってのものかなと思えてきた。

これらのモニュメントは全て「稚内公園」内にあるので、
このペナントは稚内公園のペナントと言ってもいいかもしれない

◉ひとつひとつ見ていこう。まず「氷雪の門」。3つの中で唯一、由縁がイメージできなかったものだが、稚内市の公式観光HPを見て、北方領土に最も近い稚内ゆえに建立されたモニュメントなのだと知った。正式名称に「樺太島民慰霊碑」とあるように、いまだ日本の地に戻らぬ樺太とその地で生きた人々への想いを送り続けている。

◉次の「九人の乙女の碑」は、終戦の際にソビエト軍が起こした非人道的な侵略攻撃によって犠牲になった、真岡町(現ホルムスク)の若い女性たちを弔うモニュメントである。このエピソードは以前からおおまかには知っていたので"九人の乙女"と聞いた時に、どういう謂れのモニュメントかは察したが、改めてその事件の様子を詳しく知り、なんともやりきれない気分にさせられてしまった(詳しく知りたい方は下のページを参照)。

◉最後の「樺太犬記念像」は、お察しの通り、南極の昭和基地で犬ぞり隊として活躍した樺太犬たちの功績を称えるため、稚内市が建立したモニュメントである。正式には「南極観測樺太犬訓練記念碑」というのだそうだ。ま、確かに縮めたい気持ちになるのは解る。この場所に建てられたのは、ここ(稚内公園)が南極へ行く前に訓練を行った場所だったからだそうで、同じ公園内に「樺太犬供養塔」も建立されている。

◉こうしてみるとどのモニュメントも哀しい過去の出来事を忘れないため、この地にそれを刻み込むために建てられているようだ。樺太犬の記念碑はちょっと違うのかもしれないが、実際にタロ・ジロの弟、サブロはこの訓練所で訓練中に死亡しているし(というか、サブロという弟犬の存在を知らなかった)、実際に南極へ向かった22頭のうち9頭が死亡し、6頭が行方不明になったことや、同じ公園内に犬たちの供養塔があることを鑑みても哀しい記憶と言ってもいいのではないか。

◉高台にあるこの公園から北東のほうに、樺太の島々があり「氷雪の門」はそちらを向いて建っている。ロシアとの距離感が日増しに大きくなっていく中、北方領土との心理的距離も増えていくような気がするけれど、いつか日本の領土として戻ってくるまで、この碑は立ち続けるのだろう。

写真正面のほうに樺太がある(GoogleMAPストリートビューより)

【余談】東京タワー前にあった「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」のことを思い出して調べたら、あの場所から撤去されたことを知った。

今は東京都立川市にある国立極地研究所のエントランス横に移設されているようだ。タロ・ジロの陰に埋もれてしまった他の犬たちの姿を見れるのはここしかないと思う。


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