Theme talk②『応援の力』
『応援の力』ってどのくらい大きいのか、あるいは力なんてあるのか、っていうのはひとつの物差しでは測れないなとは思います。
でもよっぽど気落ちして何もかも受け入れられない、みたいな心境の人間じゃない限り応援されて煩わしいと思う人ってほとんどいないでしょう。ほとんどの人にとって応援はものすごい力になると思うし、自分もそういう人間のひとりです。
ここからは「高校サッカー」の場合に焦点を絞って話をします。
当たり前ですが、大勢で集まってただ声を出したところでゲームの局面が劇的に変化するわけでもないです。
少々言葉が乱暴ですが、何が言いたいかというと、「チームの勝利を信じる」という共通意識をもった人が集まって、その一人ひとりがそういった「気持ち」「情熱」を声に乗せることで初めてその声は『応援』になり、大きな力を持つということです。そしてその力はゲームを動かす、選手を動かす。もしかしたら、本質的にはそうじゃないかもしれない。でも、応援は間違いなくチームを動かす力がある、と各々が信じることで応援は大事な局面でチームにとって「なくてはならないもの」になるはずです。綺麗事を並べただけのようにも見えますが、たぶん、応援ってそういうもんです。とにかく、「応援する側だろうが誰だろうがチームに属する以上、試合の場ではチームの一人ひとりがゲームを作っている」という意識が大切だと思います。直前にメンバーから外されただとか、最近うまくプレーできないだとかは一切関係ない。とにかくチームのために声を枯らすこと。暴れること。楽しむこと。それが絶対にチームの力になります。絶対。プレーすることだけがサッカーのすべてじゃないです。
あと、それ以外で応援で大事なものといえば
「視覚効果」と「エンターテインメント性」
かなと個人的に思っております。あくまで気持ちは前提として。。
「視覚効果」、横断幕とかゲーフラなどといった「目で見てわかるメッセージ」の存在です。フラッグがあれば見た目も豪華(?)になるし、「応援されている」って視覚の面でもわかるっていうのはすごくプレイヤーにとっても大きいのかなと思います。こういうグッズを作成するのもそう簡単なことではないのでこれはできれば、ということにはなりますが。。
「エンターテインメント性」はもう言葉そのままの意味です。楽しいことをしている時って、大体みんな声が大きくなると思います。ということは応援する側が応援を楽しめば、自然と大きな声をピッチに届けることができるのでは?ということです。くれぐれも「ふざける」のと履き違えないように。
終盤、若干本題から逸れたような気もしますが、とりあえず自分が思う『応援の力』とはこういうものです。
自分が高校生の頃の応援に対するリアルな心境もまたゆっくりお話しできれば良いなと思います。