見出し画像

Mercedes Benz W201に乗ろうと思った(1)

Mercedes Benz W201もしくはベンツ190Eといった名前で懐かしさを感じる方は昭和から平成にかけて青春を過ごした方だと思う。90年代初頭、私の高校生から大学生にかけて頃、いわゆるバブル景気の中、BMW E30と一緒に都心を中心に街に溢れていた車である。数多く走っていたためか気づいていない方も多い様に感じるが、Mercedes W201もBMW E30もコンパクトにしっかりまとまった車で、車業界の方たちには評価が高い。両者がデビューした90年代初頭で、いわゆる車づくりのパッケージがほぼ出来上がった時代で、それ以降の車についてはそのパッケージの上から更にコンピューター管理・電子化を進めているのがエヴォリューションのように感じる。

バブル時代は最近いろいろとおもしろおかしく取り上げられることが多いが、間違いなく日本が最も力があり、輝いていた時代だと思う。そのような時代には良いものが世界中から集まり競い合う状況が生まれ、車も世界中から日本市場を目指して集まってきたものと想像する。そのような時代の中、70年代の石油ショック以降小燃費・高効率の車の開発を80年代中盤にかけて各社競っていたという背景はありながら、日本で乗りやすいサイズのドイツ車の名車がこの時期に生まれたというのも偶然ではないように思う。当然日本人の目線で細かく品質を確認されるため、各車メーカーもコストをかけてしっかりと開発されている車をマーケットに発表していたはずだ。自分の経験でも、学生時代に体験したW201のモノとしての質感が圧倒的で、ベンツという車がいかにしっかりつくられているのかということを実感したことをよく覚えている。

その時の感覚で現代の車を見ると何かが違うんじゃないかという感覚を覚える。ほとんどの車メーカーが北米を主要ターゲットにしているためか車のサイズがどんどん大型化していき、電気自動車のように先端の電子制御によって管理されたシステムの車に乗れば便利で何も不自由が無い様に思うが、運転感覚は希薄化し動かされている感が強くなっていき、必要以上に介入する電子制御が違和感を強くする。モノとして迫力のある車を所有するという満足感、堅牢な作りの鉄の塊に乗りこんでワインディングロードを走っていくという感覚、長距離ドライブの前には一旦机上の地図でルートをおさらいしてから動くといった儀式などがなくなり、運転体験そのものが希薄化していく。Z世代の人たちが車の運転や運転免許の取得に積極的になれないのは現代の車に維持コストのかかる移動手段という以上の価値観を見いだせないからではないか。また、現代の車に満足できない運転が好きな若い世代の人たちや私世代がネオクラシックという20~30年前の価値ある車を乗るムーブメントがあるというのも理解できる。

そんなことをぼんやり思っていたのだが、S660とは別に家族カーとして乗っていたVolvo XC40の返還時期(SMAVOというリースシステムを利用している)が迫ってきていた。家族揃ってドライブという機会は子供の成長とともに少なくなったが、長距離で車を運転する機会もあり乗り換えを考える必要に迫られた。XC40はよくできたパッケージのSUVで不満は無かったが後続車種に乗り継いだりするような気にはなれなかった。気が付くとぼんやりとネオクラシックカーを探し始めていたのだが、カーマニアでもない自分がそう簡単に良い車巡り合うわけではなく時だけが過ぎて満期が近づいてきていた。


いいなと思ったら応援しよう!