田尻のケツ割れ日記 2022年8月6日~31日
8月6日「サンマルクカフェの攻防」
マクドナルドでお子さまが奇声を発しながら店内中を駆け回っていても、それはお子さまのほうが正しい。母親がママ友同士の会話に集中してたり、LINEツムに興じていて注意しなくても、そういう場なのだから。
向こうのほうが推奨されるべき存在でコッチがマイノリティなのだ。
それに何か苦言を呈しては、ドナルド・マクドナルドに対し、
「その夢に出てきそうなメイク、やめてください」
とケチを付けるくらい無粋ではないだろうか。
しかし、自分的にそんなに安くない店へ入ったとき(サンマルクカフェ=コーヒーSサイズ三百円)、話はまったく別だ。
活発そうな男の子さまから伸びやかなハイトーンボイスが響き渡り、朝の開店直後だったので、フロアにはほかの客は私ひとり。
母親も空いてるしとばかり、男児のシャウトを放置。
私は徹底抗戦を決めた。
イヤホンをはめ、スマホに入っていた『住所不定無職』の楽曲をフル音量でかけたのだ。決して彼の声は聞かないという、断固とした抗議活動だったが、私の目論見は脆くも崩れ去った。百円ローソンのイヤホンから耳をつんざく音量を流そうとも、
「ボクねぇ~、青が好きなんだよ~ッ!!!!」
という彼の重大な主張が洩れ聞こえてしまうのだ。
日ごろからハタ迷惑なボイトレで鍛え上げた声帯は、ロックバンドの奏でる爆音をも凌駕。闘いに敗れた後の珈琲は、いつもより苦かった。
8月7日「チャンネルG+」
約ひと月前、何か飲み物を買おうと自販機の前で財布を探っていたとき、短パン穿きの両脚に違和感を覚え、下を向くとゴキブリ(以下G+)が二匹、左右の脚からよじ登ってきていた。運動の不得手な私だが、G+を振り払うため、初めて吉川晃司のような空中二段蹴りができた。
それから約一ヶ月。抹茶ラテがその自販機にしかないので再び、財布から小銭を取り出そうとすると、何とまた右脚にG+が。
一匹減っていたG+を心配する余裕があるハズもなく、再度、私に降臨した吉川晃司が右脚の黒い生き物をどこかに振り飛ばし、ココは絶対に買ってはいけない自販機と認定された。
夏のかき入れ時だろうに買い物客が訪れるたび、G+が脚に登ってくるって、どんな営業妨害だよ。ひと月の売上金額が気になり過ぎる。
いずれにせよゾーッとすると涼しいという、怪談のアレは嘘だと知った。
8月8日「駒形電気(仮名)」
家の近所にいわゆる街の電気屋さん、駒形電気があった。
「“スカパー加入できます!! エアコンの取り付けも…!!”」
というノボリが経年劣化でくすみ、誰がこんな店で買うんだよという認識は町民に共通したモノであったと思う。しかし、店の前には使用済乾電池の回収ボックスが設置され、皆、そこだけは便利に利用しているようだった。
かくいう私も使い終わった電池は駒形電気の前に投げ入れ、日ごろはほとんどマンガンの単三電池しか使わず、百均だと百円で八本くらい入手可能なため、駒形電気で電池を買ったことは一度もなかった。
そうしたねじれに何人の町民が気づいていたことだろう。
ある日、駒形電気に電池を捨てにいくと、ボックスがパンパンだった。
「何だよ…駒形電気のオヤジ、ちゃんと仕事(回収)しろよ!!」
というクズな私は後に、駒形電気の店主が町会費を持ったまま、行方をくらませたことを知った。電気回収ボックスの容量と同じく、駒形電気のオヤジも限界だったのだ。二~三ヶ月に一度くらい、駒形電気で電池を買わなかったことを悔やんだ。
8月9日「井上康生とのバトル」
銭湯に行った。かつて立川談志師匠は「銭湯は決しておれを裏切らない」という言葉を残したそうだが、ウチの近所のは普通に裏切る。
洗い場のスペースを選ぶとき、ガラガラだったら人から離れた場所を選ぶが一個飛ばしで全部、埋まっていたので、私は右側が壁、左側が柔道の井上康生似のガチムチオヤジがいるところに風呂椅子を置いた。
すると井上康生似が、
「来ないほうがいいよ…コロナ(禍)だからッ!!」
と言ってきたので、コロナとは関係なく、秒で銭湯から退出した。
8月10日「あぶさんVS松太郎」
バイト先が半蔵門なので仕事帰り、よく国会図書館に立ち寄っている。
今まで何となく内容は頭に入ってるけど、詳しく読んでこなかった、水島新司の『あぶさん』を借りようとしたが、児童書というカテゴリーらしく、上野の子供図書館に出向かないと取り扱いがないそうだ。
私の何となく知ってるあぶさんの主人公、景浦安武選手は高校時代から酒びたりで夏の高校野球予選の決勝戦、逆転本塁打を放ったが、二塁を回ったところで昨晩の酒を全部吐き、結果、飲酒がバレて出場停止を言い渡された無法者である。そんな球界の吾妻ひでお先生を記した漫画が児童書扱いとは、日本の若い世代には期待が持てそうである。
余談だが同じビッグコミック系でも『のたり松太郎』は、国会図書館本館で取り扱いがあった。
「(やはり相撲界には注射とか、いろいろな要素があるから児童書には向かないのか…いや、野球界にも黒い霧事件とか過去にはあったワケだし…)」
あれこれと思案に暮れている間に退館時間が来てしまった。
8月11日「お菓子な話」
九州&大阪スポーツ紙上で熟女AV紹介のコラムを連載している。
事務所のマネージャーKさんが今月も九スポから届いた、課題のDVDを自宅に転送してくれる。作品の内容はそこそこだったが、Kさんがおやつとして同封してくれた、『北海道ポテトスナック焼きとうきび風味』の美味しさには、思わず声が出てしまった。
さすがはKさん、送った原稿を十日間放置されたり、業務は散々だが、お菓子をチョイスする能力にかけては、右に出る者がいない。
しかし、引っかかったのは裏面に記載された、食品としての分類名。
“油菓子”
コレではまるでじゃがいもがオマケで、油が本体ではないか。
そして、たまたま横に置いてあった柿ピーのカテゴリー分けには、さらに目を疑った。
“豆菓子”
ピーナッツなんて全体の十分の一にも満たず、ほとんどが柿の種(この名前自体も大いに疑問だが。そんな似てない)なのに豆が優遇され過ぎ。お菓子業界のドンブリ的な分類&ネーミングは、ビッグワンガムの時代から変わっていないのであった。
8月12日「ベーブ・ルース以来」
盆だ。普段、昼食で利用している店がほぼ閉まり、バイト先からほど近い、初めて入る昭和チックなラーメン店を利用した。
天井の通風孔が焦げ過ぎてブラックホール、もしくは地獄への入り口を思わせ、本棚のゴルゴは隣り合った巻数と油でベッタリ密着し、紐で結ばなくても回収に出せそう。そして、いつから使われてないのかわからないケンウッドのCD&カセットプレーヤーがなぜかガムテでグルグル巻きにされてる。
とてもイイ。メニューに冬限定、モツ煮定食と書いてあったので、そのころには絶対に来よう。店員のおばさんはとても元気で、私がさらに感心したのは、店を出て隣の弁当屋の前を通ったとき。カウンターには誰もいなかったが、貼り紙には、
「不在時、ご用の方は隣のラーメン屋にお声がけください」
なんと給仕係のおばさんは、弁当屋でレジを打ちつつ、ラーメンの注文を聞き、机まで運んでるのだ。しかも、盆で周りの店が全部、休みのときに。
「二刀流でスゴイのは大谷選手だけじゃないね」
と相方のジョニーさんに伝えたら、それは違うと言われた。
8月13日「全能の力を手に入れたホラン千秋」
どうしても珈琲館に行きたくなることがある。近所にはないので電車を乗り継ぎ、五時過ぎに店へ入ったところ、ホラン千秋似の店員から、
「五時でラストオーダー過ぎてますんでッ…!!」
と言われ、追い出されてしまった。普段、平日の閉店時刻は夜の十時。
恐らく盆の時程なのだろう。雨が強かったので詳しくは見なかったが、店の外にそうした注意書きは見られず、HP上にも時短のお知らせ等は出てなかった。だったら「今日は閉店が早いので…」的な説明があってもよさそうだが、ホランは五時ラストオーダーの事実のみを頑なに主張。
思えば先祖の霊が里帰りをする、お盆という風習は日本人にとって絶対的な全能感を誇示し、むしろ休むのが当然である。
お盆で閉店時刻が早まる正当性に加え、ホランの意思の強さが相乗されれば、それは無敵の絶対王者に等しく、私ごときが立ち向かえる術はないのだ。
ほかに目的がなかったので、ただの乗り鉄になってしまった。
8月14日「逆ワンコそば」
神保町の名店といわれる老舗喫茶に最近、初めて入ったのだが、思ってた以上に競技だった。昭和レトロな店内では、高畑淳子似の女性店員、そしてモグライダー・芝大輔似の男性店員が客の一挙一動をつぶさに観察し、食べ終わった瞬間にダッシュしながら秒で皿を下げにくる。
会計時も釣銭を渡し、「ありがとうございました」と言ってる最中にもう次の皿を下げるための第一歩が出ている。
昭和レトロを謳いながら接客は、近代合理主義の極み。
あるいはコンマ一秒を争うアスリート感すら感じられ、スマイルなんて注文したらマイナス八億くらいのメンチを切られそうである。
恐らく多忙なオペレーションをこなすうち、身体に染み着いてしまった癖であり、本人たちにも止められないのであろう。
「廊下は走るな」と初めにルール化した人は、何気に偉いと思った。
8月15日「食べなログ」
食べてない店を勝手に評点する、食べなログをスタートした。
<スジャ屋韓国料理 評価:3.5>
近所にできたテイクアウト専門の店。ノリで一番高いチーズタッカルビ(千二百円)の食券ボタンを押すと、東南アジア系の男性店員が「あぁッ…それは売り切れです!!」と明らかに狼狽え、泣きそうな表情を浮かべていた。
日本語の不得手そうな(私もだが…)彼は、レジを開けて空っぽの中身を見せ、食券販売機を開けようとして、開かないというアピール。
そしてケツポケットから自身のサイフを取り出し、所持金を確かめては首を捻り、立て替えることも不可能だというジェスチャー。
「もう、大丈夫ですよ」
と私は店を退出した。必死さが十分に伝わったので3.5点。
<とんかつ平兵衛 評価:5.0>
いろいろあったらしく現在は、閉店しているとんかつ屋。
確か十年くらい前、知人と連れ立って訪れたのだが、扉を開けた途端、
「売り切れーッ!!」
と作務衣姿の店主に喝破され、店から追い出されてしまった。
店先の看板がクレイジーで面白かったので、満点。
8月16日「死のレンタサイクル」
docomoのシェア自転車をよく利用している。
ポート(チャリを借りる基地)あるあるで、一台だけポツンと残っているときは大抵、充電が0%だったり使い物にならない場合が多いのだが、その日は五台あったのでどれかは借りられると踏んでいた。
が、一台目が充電切れ。二台目は液晶版にメンテナンス中の文字。
三台目は他者予約中。四台目はパンク。
そして五台目はカゴに“死”と書かれた紙が入っていた。
なんとも嫌なイタズラをする者がいるなと思いつつ、充電百パーセント、タイヤも空気十分な五台目をレンタルして発進させたのだが、ブレーキが左右ともにまったく効かず、本当に死にそうになった。
“死”の紙の余白部分に、
※ブレーキがまったく効かないのでマジ
と書き添え、すぐにチャリンコを返却した。
8月17日「お化け電動歯ブラシ」
三年くらい使ってる電動歯ブラシがぶっ壊れ、ボタンを押してないのにちょっとの振動でスイッチが勝手に入るようになってしまった。
夜中に洗面所で突如、
“ブィィィィ―――ンッ…!!!!”
と暴れ出すブラウンオーラルなんとかは、並みのお化け屋敷なんかより数百倍怖い。
そして泊りがけの際、電車内でカバンにいれたお化けブラウンが激しく振動すると、車内の乗客の表情が皆、
「(誰だ、変態プレイしてるヤツは…?)」
としか読み取れないのでマジでやめてほしい。
8月18日「エロ本と横澤」
近ごろ、バイト先であるエロ出版社の用事でよく国際郵便を出すのだが、ことごとく失敗に終わっている。
台湾の作家に対し、掲載された雑誌を送付するのだが、一度目は伝票の記載不備で返送され、二度目は送る雑誌の種類を間違え、三度目は号数が異なり、四度目は送った冊数が足りないのでもう一度と言われ、海を越えた無意味なエロ本キャッチボールを何度も繰り返している。
PDF版じゃダメなんだろうか?
横澤夏子が老害振りを強調されたおじいさんキャラから紙の請求書を要求され、発狂するCМに初めて共感を覚えた。
8月19日「巣鴨駅の涼しさ」
巣鴨駅の冷房設定はほかの駅と比べて明らかに低い。
恐らくは老人が多数派のため、何かあってはいけないとの配慮からであろう。エスカレーターの速度も馬場のプロレス並みに遅く、“絶対に歩かないでください”との張り紙も他駅より目立ったデザインである。
巣鴨地蔵通り商店街=老婆の聖地、戸田講堂=信心深い人たちの聖地。
ふたつのハイパワースポットの最寄り駅ともなれば、人に優しくないほうがどうかしてるわけだが、そんなヨギボー的な快適空間には多くの人間が留まり、憩いの場と化している。
男子便所では在らんばかりのペーパーを目いっぱいに駆使し、全身の汗を拭っているジプシー的な老人。地べたに這いつくばり、派遣の出勤簿を一心不乱に記入している半ジプシー的な老人。そして男塾の前進行軍ばりに前へしか進めない様子と見え、伴侶の老婆に方向を修正されながら、なんとか目的地へと向かっているループタイ付きの老紳士。
生命力の凄みに気圧された私は、かなり気絶しそうだった。
8月20日「怠惰」
脳を使うのが嫌なことがある。それでもなんとか惰性で手だけを動かし、生きてる感じを出したかったのだろうか、私は数字を繋げ、2を4→4を8→8から16という、ラーメンスープに浮かんだ油の輪っかを繋げるがごとき、超無駄なスマホゲームに興じ、“チンピラ、レベル1”みたいのが“マフィア、レベル25”みたいにボコられる別のソシャゲのADを見ては、僅かな報酬を手に入れていた。
セコイ、そしてただひたすらのムダ。
しかし、そんな最中、親&警察の方からスマホに着信が入り、私を名乗る人間から振り込め詐欺の電話があったとの知らせで、実際に何か起きていないかとの確認の連絡だった。
いくらウルトラセコイ無駄タイムでも、そいつらグループより数字繋げてるほうが遥かにマシである。
するとどうしてだろう、数字を繋げるゲームがなぜか人生において尊いモノと感じてしまい、私は初めてアイテム購入の課金を行ってしまった。今までマフィアの広告に中断させられながら、チマチマと合体させていた数字を磁石みたいな最強アイテムで一網打尽。画面上には今まで見たことのない連鎖が起こり、さぞかし神様気分が味わえるかと思いきや、ゲーム性皆無でつまらな過ぎてアプリごと消去した。
8月21日「食べなログ2」
<ラ・セゾン 評価:4.0>
近所にあったフランス料理屋。ランチ時間に入ってみようとしたのだが、休業中でシャッターの貼り紙には、
「誠に勝手ながら店主アキレス腱断裂のため、休業させていただきます」
全然、勝手な理由ではないので4.0点。
<アメ横の魚屋 評価:2.0>
昔、知人の女性と歩いていると魚屋のオッサンが声を掛けてきた。
「お嬢さん、美人だからこのマグロ、七千円だけど千円でイイよ」
マグロのデカイ塊をお勧めしてきたのだが、知人が「そんなにたくさん食べられないよー」と固辞すると、
「食えなかったら捨てればイイだろッ…!!」
とマジなトーンでキレてきた。いろいろ最低なので2.0点。
8月22日「すこやか」
バイト先は一般的なオフィス
月に一度、会社で年金に加入している人向けの冊子が配布され、各机に届ける役目はアルバイトの私である。
総務の担当者から座席表を手渡され、配る人の席にはピンクのマーカー、除外する人には何も記されず、丁寧に対象者を指し示しているのだが、この座席表がなんの意味も持たないことに、途中で気づいてしまった。全社員五十名ほどの会社でアルバイトは私のみ。ほかは全員が社員で厚生年金に加入しているため、マーカーを引いてないのは私の席だけなのだ。すべての座席に鮮やかな蛍光ピンクでチェックが入り、牛越(私の本名)の座席だけが白地の紙。
「牛越以外全員に配布」というひと言だけで十分なのである。
しかし、インクのムダなどと言ってはいけない。
そんな僕だけがいない街みたいな伝え方をしては、当然のように存在する格差が殊更に強調され、まさしくいわぬが花という、彼らなりの優しさなのだろう。
以前、この会社でのバイトは、完全に日雇いのような扱いだったが、企業なりに寄り添ってくれたのか、正規アルバイトという肩書を与えられ、近ごろは摩訶不思議な辞令を頂いた。
アルバイトに辞令が下る瞬間を初めて見た。
あとはアルバイトに命じられる社員が現れないことを祈るばかりである。
8月23日「木才」
以前、年に一度程度、舞台演劇に出演していた。
ある日の稽古。私は農家のおじさん役を与えられたのだが、演出家は私の演技にまったくもって納得がいかない様子であった。
エキセントリックかつエクストリームな演出家(当時五十代男性)との会話。
演「お前は植物と会話をしたことはあるのか?」
私「ないです」
演「お~いッ…みんなコイツ、植物と会話をしたことがないらしいぞ~ッ!!」
まるで、女の子と手ぇ繋いだことないらしいぞー…みたいなトーンで劇団員たちに言い聞かせるがごとく、私は特に人として恥ずかしくもないことを叱責され、どうやら彼の演出手法として、作物と心を通わせられない役者の演技では、今回の農業従事者役は無理との判断であった。
演「おまえは外に行って、木と喋ってこい」
夜の七時過ぎ、やや人通りの多かった街頭にて私は、一本の街路樹に向かって二十分程度、話しかけ続けた。驚くべきは当時、劇団員の数が多かったため、私がちゃんと木と喋っているかの見張り役が二名いたことである。稽古場に戻り、鬼才演出家に進捗を報告すると、
演「木と仲良くなれたのか?」
私「いえ…そこまでは」
演「もう一度、行けッ…!!」
にこにこぷんみたいに喋ってくれない木と延長戦トーク。
「趣味の話とかしました…」と、適当な報告を上げると、
鬼才「オレはこの街に生えてる木とは全部、話してるし、向こうが何を考えているか手に取るようにわかる」
こんなに何も悔しくないマウントは、人生で初めてだった。
そしてこの日の出来事で何より問題だったのは、本番当日、農家のおじさん役をやる役者は別に存在し、彼がバイトの都合で稽古を休んだため、私はただその日限りの代役だったのである。
植物との会話が役立った経験は、まだ一度もない。
8月24日「待ち遠しくても…待てッ!!」
しなければいけないことは当然、遂行の義務があるわけだが、逆にやらなくてイイことはしないというほうが、重要になってくる場合がある。
日本人に多いのか、はたまた私特有なのか、実況パワフルプロ野球的にいうところの“ヒマの過ごし方×”のスキルがついてしまうと、空いてる時間に余計なことをしてしまうのだ。
NHkのネタコンテスト前夜、翌日の集合が遅かったことから時間を持て余し、コントのオチで店員にお金の代わりにうんこを支払ったほうが面白いと思い立った私は、徹夜で小道具うんこを裁縫。
クオリティにもこだわり過ぎ、力尽きた私は当日の入り時間に遅刻し、ネタ終了後にはスタッフから、
「NHkでうんこを出すなッ!!」
と根本的な問題で怒られてしまった。
Nうん国党(NHkをうんこから守る党)スタッフは完全に正しい。
短い人生、なんでもやった方が良いのは大前提。
やらない後悔よりやった後悔のが前向きなのは勿論だが、ヒマ過ぎると本当にやらなくていいことまでやってしまう。
ヒマをヒマとして受け入れるのも大事である。
「待ち遠しくても…待てッ!!」(ガンダムGレコの次回予告)
8月26日「コンマリ」
十年ぶりくらいに部屋を片付けることに成功した。
「いつか使うことも~…」という前提で保管されていた大量の工具、文房具、人から貰った鋲打ちの革ジャンとかのコーデがわからない服、平成インディープロレスやVシネのVHS等、豊富な物資を備えた私の部屋、もしくはゴミ屋敷だが、室内の容量オーバーを理由に結党された“全部捨てます党”が“いつか使います党”を打ち破り、歴史的な政権交代を成し遂げた。
何せホチキスなんて年に一~二度使う程度のライフスタイルなのに、替え針の箱が二十五個も発見され、ほぼ禁煙してるのに六十四個の使い捨てライターが出土した。放火魔だってこんなには持ってない。
~大半のモノは使うときに買えばいい~を合言葉にした“全部捨てます党”は、~皆にとってゴミでも私には宝です~をマニフェストに掲げる“いつか使います党”の残党を半ば暴力革命的に追放し、超久しぶりに掃除機がかけられる導線を確保したのであった。
これに至った理由は、来客への備えであり、ここ十年以上、自分の部屋に誰ひとりとして人を招いていなかったことに気づき、掃除を決意するには、お客さんを呼ぶのが一番という真理に辿り着いた。
あるいは度数マックスのハブ酒か何かでベロベロに酔わせたコンマリに、
「全部、捨てちまえッ…テメーの薄っぺらな人生ごとな…!!」
と思い切ってヤッテいただく以外に思いつかないのであった。
8月27日「やってない感」
やってる感とは、本当は実態がないのにさも内容が伴っているかのごとく周囲を欺くテクニック? 要するに意図的、無意識を含めたフリなわけだが、やってない感は勝手に出てしまうので始末が悪い。
小学校のころ、集団で縦笛を吹く授業で私的には、細かなテクニックは知らないが楽譜通りに吹けていると自覚していたところ、男性教諭から「ちゃんと吹けッ!!」とマンマークで徹底的に注意を受け続けた。
ピアニカの練習に移ると男性教諭は、もう君には呆れたとばかりにヤレヤレと、アメリカ人ばりのオーバーアクションで私への失望を述べ、
「君さぁ、出来ないのは仕方ないけどみんなとやってるんだからさぁ、せめて弾いてるフリくらいはしなよ…」
「あの…やってるんですけど」「じゃあ今、弾いてみなよ!!」
一旦、授業を止め、音楽会の演目だったラピュタの『君をのせて』を私が強制的にソロで演奏。きちんと“地球は回る~♪”まで奏でた。
「初めからそうやれよ!!」
「いや~…弾いてたんですけど、おかしいですね」
「先生、ウシコシ君はちゃんと弾いてました!!」
席が近いクラスメイトにはさすがに演奏が聞こえているため、数名がちゃんと地球が回ってたと証言してくれたが、当時、授業の合間でやたらと北朝鮮を誉めていた左寄りの教諭は、全体主義に憧れていたのか、集団の中に溶け込んでいない分子を容易に許すつもりはないらしく、こんなことを言いだした。
「では、クラスの中でウシコシ君が弾いていると思った者は手を上げなさい」
音楽会に向けた練習を一旦、脇に追いやり、ウシコシ『君をのせて』裁判が始まってしまった。多数決の行方だが、近くにいる生徒は実際に音を聞いているので挙手していたが、私自身の予想に反し、ほかはほとんどの者が手を上げていない。
私のやってない感は中々のレベルなようである。
左翼先生は挙手しなかった生徒を対象に理由を尋ねていった。
「ボーっとよそ見してたので弾いてないと思います」
「この前、掃除をサボってたので多分、弾いてないと思います」
「ウシコシ君は安全委員会なのに教室のポリバケツの水を取り替えてないので、弾いてないと思います」
日ごろの生活態度までが陪審員の心象に加味され、気がつけば私は不当判決を受けていた。
それから数年経った中学のときには、若い女性の先生が突然、
「無視しないでッ…なんで君はちゃんと話を聞いてくれないの!?」
と急に号泣してしまったことがあった。ちなみに話は聞いていた。
楽器を弾いても弾いてるように見えず、授業を聞いてても見た目は完全なガン無視中。
あまりの自認と周囲の声との隔たり。コントロール出来ない自分のやってない感が恐ろしくなってしまった私は、とりあえずその先生の英語の授業は最初から寝てることにした。お互いにすごく平和だった。
8月28日「もったいないオバケ VS コンマリ」
「もったいないオバケが出るぞ~ッ…!!」は無駄遣いをなくそうという昔の啓蒙CМ。そもそも不必要なモノを仕入れるなよの精神性は、今でいうSDGsなんだろうが、もう仕入れちゃったあとのことには言及してない。
8月26日に記した「いつか使うことも~…」の“いつか”が自身のキャパシティと部屋の面積を遥かに凌駕し、いつしかニッチもサッチも行かない状況、ペット禁止なのでブルドッグも飼えない。
そんな中、救世主として私の脳内に現れたのは、攻撃力を七割増しにドーピングしたコンマリ…近藤麻理恵先生スーパーである。
数々の思い出の品をボコスコに捨てていく狂ったコンマリ(想像の世界)に対し、抵抗するもったいないオバケは“他人にあげる作戦”を思い立ったが、それは最大の迷惑行為なことを私は知っていた。
自分にとっていらないモノを他人に譲り渡し、「うわ~嬉しい…このジッポライター超欲しかったの~…」となればウインウインだろうが、そんな偶然は合同結婚式で誕生した夫婦が超ラブラブになるくらい、稀なケース。大概はパワーバランスの歪みにより、額の汗を拭き、苦笑いを浮かべ、力のない声で礼を述べ、別にいらないモノを嫌々、テイクアウトする男…というか私ッ…!!
昭和世代に特に多い、モノを廃棄する罪悪感により、他人に不必要な品々を押し付ける行為。今回の掃除でもそういったアイテムが数多く発見され、そうした人間が恐ろしいのは、自己判断で処分しても良いと約束をしつつ、かなりの頻度で後日に連絡が入るのだ。
「この間、おまえにあげたハリーポッターの杖、やっぱり必要になったんで明日、持ってきてくれ」
そもそも…なぜ私はハリーポッターの杖(USJか何かで売ってる)なんか譲って貰ったのだろう? そして大川興業の社長はどうして、真夜中に急に一旦、手放したはずのハリーポッターの杖が必要になったのか?
急に明日、必要といわれてもどこにしまったか皆目、記憶になく、真夜中に部屋中の大捜索が始まるのであった。他人の家を体の好い、レンタルルームにしてはいけない。
8月29日「丸藤のスピーチ」
書泉グランデ地下一階のプロレス書売り場に行った。
プロレスラーが異世界転生するラノベの監修をノアの丸藤正道がしたそうで、店頭のモニターで丸藤本人が宣伝のセリフを喋っていたが、見事なくらいに来店客の誰も丸藤の話を聞いていなかった。
書店内のプロモーションでそんなに大きな音量では流せないのだろうが、それにしても本当に誰ひとり立ち止まらず、興味も持たれず、只々、丸藤のひとり語りが店内の物音と同化していた。
これがブッチャーやシークのような怪物&キワモノ系ならば人目を本能的に惹きつけようが、中肉中背でそこそこイケメンの男がコスチュームも着ず、私服姿で特に「コノ野郎!!」と意気込んだりもせず、ひたすら淡々と適度な声量で話し続ける様子が逆に清々しかった。
昔、雑誌のインタビューで丸藤は「(飛んだり跳ねたりのイメージが強いが)僕はグラウンドだけで試合を組み立てることもできますよ」と述べていたが、気配を消せる能力もなかなかスゴイと思った。
8月30日「おしりバットシステム」
アマゾンプライムでZガンダムを視聴してるのだが、思ってた以上に軍隊な内容だった。主人公の少年がとにかく皆からブン殴られる。
女の上官からは何発も平手打ちされ、軍の出資者からは児童虐待レベルで殴る蹴るの暴行。
ちょっとシニカルな笑みを浮かべながら「ヘイヘイ…やればいいんでしょ」みたいな態度で最終的には、上役の面子を潰さずに面従する少年のが余程、大人に見えるのだが、放映開始が1987年。
殴る=ガンガンに厳しくいくくらい愛情がある。
そんな常識の時代背景的には、どういった解釈だったのだろう。
同じ年代を振り返ってみると、リトルリーグ(少年野球)の夏合宿が想起される。練習メニューにはコーチからの個人ノック(内野ゴロを二百球くらい打つ)が組み込まれ、実に不可思議で理不尽なルールなのだが、ノックを受けてる選手がエラーをすると、コーチの横でボールを渡す係がおしりバットを受ける。
「おまえがちゃんと取らないと、横にいる大事なチームメイトがボッコボコだぞ~!!」
といういわば人質制度であり、本当はエラーしたやつを毎回、ブン殴りたいが場所的に遠いので、近くにいるボールトス係を連帯責任という名の下でおしりバットする方式に落ち着いたのであろう。
効率アップと暴力は非常に相性が良い。
私がボールを渡してたとき、ノックを受けてたカジ君は非常に脚が長く、腰を落としてゴロを取るのが苦手だったため、半分以上をエラー。
私は確実に百発を越えるおしりバットを頂戴した。
続いてノックを受ける順番が回ってきたが、尻がボッコボコの私も上手に腰を下げられず、ボールトス役のケツを同じくボコボコにしてしまった。
そんなワケで尻の皮が厚くなった以外、特に上達の見えない合宿だったが、当時、監督がア○ウェイビジネスにハマっており、親父が洗剤を買うことで次の大会、私は八番セカンドでレギュラーの座を射止めた。
少年時代も今も、世の中は厳しい。
8月31日「今日の名言」
缶ビールの試飲&パッケージデザインについて回答する、アンケートバイトに行った。メディア関係の従事者は対象としてNGとのことだったが、近ごろは事務所から仕事はおろか、オーディションの連絡もめっきりと途絶え、「映画のタダ券がありますが行きませんか?」みたいな、お得なクーポン的メールしか来ないため、まったく問題はない。
会場で手渡された端末に味やパッケージの感想を打ち込んでいくのだが、何度試みても無効と表示される。何か無自覚にNGワードを打ち込んでるのかと思ったが、途中で単純に文字数が少な過ぎるせいと気づき、「今日の個人的な私の気分ではありますが…」「御社の製品のパッケージングデザインにつきまして…」等、枕詞を長々と間延びさせることで乗り切った。
正直、ビールの如何を問われても興味がないのでなんの感想も抱けず、気疲れするので一時間四千円の報酬は微妙な額だが、会場である秋葉原のビルから出ると、いかにもAボーイ風な青年の通行人から、
「付き合えもしないアイドルに金を追っかけるくらいなら、家で座禅でも組んでたほうがマシだ」
という良いセリフを聞けたので、トータルで素晴らしい一日だった。