ジョージ秋山先生の単行本化されなかった連載『サド伯爵』
ジョージ秋山先生の初期作のひとつが『サド伯爵』です。
首吊りブランコで戯れる「ゆかいまんが」
この漫画、単行本2冊分くらい連載したのですが、なぜか単行本化されませんでした。
また、作中で王貞治さんをボコボコにしたりしているので、
現在の感覚で見ると、ちょっとアレに感じるかも知れません。
ともあれ、「単行本化されなかった50年前の漫画」ということで、ネットにも情報は少なく、あまり知られていないようです。
なので、その内容を少しご紹介させていただきたく存じます。
『サド伯爵』前後のジョージ先生
ジョージ秋山先生は、1966年の『ガイコツくん』が初連載。
漫画家を目指す極貧生活でやせおとろえた自分の身体を見て、「骨だけになっても生きている人間をかいてやろう」というインスピレーションが湧いたそうです。
1967年に始めた『パットマンX』が出世作となり、人情系ギャグ漫画で一定の地位を得ました。
・1967~68年ごろ、『ぼくら』系列で、『タレントくん』『キリストくん』『怪盗ラレロ』などを連載。
・1969年には、数多くの連載を始めています。
『週刊ぼくらマガジン』で『どくとるナンダ』
『週刊少年チャンピオン』で『ざんこくベビー』
『週刊少年ジャンプ』で『黒ひげ探偵長』『デロリンマン』
『月刊別冊少年マガジン』で『アマゾンくん』
『週刊少年マガジン』で『ほらふきドンドン』
『少年画報』で『コンピューたん』
上記に続いて、『月刊冒険王』で1969年9月号から連載したのが『サド伯爵』でした。
その後、1970年に『銭ゲバ』『アシュラ』(週刊少年サンデーと週刊少年マガジン)という残虐系シリアス漫画が大ヒット。
週刊誌で金持ちあつかいされるほどの人気作家になりました。
『週刊読売』1970年11月13日号
それから、1971年にすべての連載を終わらせて放浪の旅に出て……という経緯は、過去の記事に書いた感じです。
善とか悪とか
ジョージ先生の出世作『パットマンX』は、ヒーローのコスプレをした少年が、正義のために働こうとしながら、空回りし続ける物語でした。
人気の高い『デロリンマン』も、自分が救世主だと思い込んでいる、無力で善良な狂人の話でした。
しかし、ジョージ先生のコメントでは、「パットマンXは人間の心の奥底に、救いようのない悪がひそんでいることに気づいていない」とのこと。
その人間の「悪」の面に目を向けたギャグ漫画を描こうとしたのが、1969年の『ざんこくベビー』や『サド伯爵』だったと思われます。
そして、その「救いようのない悪」を描く方向を押し進めて大ブレイクしたのが、1970年の『銭ゲバ』……みたいな流れになります。
サド伯爵と王貞治
そんな感じで、1969年に『冒険王』で始まったのが『サド伯爵』でした。
ネーミングは、フランス革命期の作家・サド侯爵から取ったものと思われます。
※サド侯爵は、のちに「サディズム」という言葉の由来となった人物。
(エビングという学者が、『ソドム120日』のサド侯爵にちなんで「サディズム」、『毛皮を着たヴィーナス』のマゾッホにちなんで「マゾヒズム」という言葉を作りました)
しかし、『サド伯爵』の内容は、サド侯爵と直接の関係はありません。
ただただ、人を苦しめるのが大好きなサド伯爵という人物が、息子といっしょに有名人をいたぶるだけの漫画です。
第1話では、サド伯爵はジャイアンツの王選手の大ファンということで、王選手を自宅に連れ込みます。
当時、現役バリバリのヒーローだった王選手に謎の暴行を開始する、サド親子。
この漫画、ほとんどが暴力を振るうだけの内容で、特に解説できることはありません。
それから、「バッティングの練習をさせてやるよ」と、巨大な鉄球の部屋に閉じ込められる王選手。
コレは『巨人の星』の花形がやっていたマジキチ特訓を意識したものと思われます。
※1969年当時の子供界は、『巨人の星』ブームの渦中にありました。
(時系列)
1969年4月:花形の鉄球シーンが収録された『巨人の星』10巻が発売
1969年7月:『サド伯爵』の第1話(王貞治回)が掲載
1969年10月:『巨人の星』のアニメで、花形の鉄球シーンが放送
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