『あらしのエース』は『中学二年コース』連載。病魔球の初出は1974年10月
前置き
『あらしのエース』はマイナーな漫画でしたが、2020年4月にTwitterでバズったときに知名度が跳ね上がりました。
比較的早い時期に紹介していたのは、こちらのブログで……。
という感じで、初出に関しては、ネット上に正確な情報がなさそうでした。
まあ、令和の現在では、掲載誌など気にせずアプリで漫画を読むのが健常者なわけですけど……。
マニアにとっては「いつ何に描かれたのか」も重要な情報ということで、その話をさせてください。
結論
『あらしのエース』が連載したのは、
『中学二年コース』1974年4月号~1975年3月号
『中学三年コース』1975年4月号
の全13回でした。
ちょうど『ちびまる子ちゃん』の舞台になっている時代ですね。(さくらももこ先生が小3だったのが1974年~1975年)
病魔球の初出は「学研の学習・教養雑誌」だったのでした。
現在61~62歳の世代が、中学2年生のときにコレを読んだ感じです。
名シーンの確認
『あらしのエース』では、雑誌と単行本の違いは多くありません。
『中二コース』掲載時から、現在Kindleで買える電子版とほとんど同じ内容になっています。
野球チームの入団希望者に犬の内臓を生で食わせるシーンも、『中二コース』連載時から同じ。
かあちゃんのノールック無詠唱サンダーも同じです。
この翌月号には、「直丸のかあちゃんてすげえよ」という読者の感想も寄せられていました。
もちろん、ヤクザのボスが岩波高校の角川さんなのも、『中二コース』の編集チェックを通過しております。
むしろ、主人公がテンポよく闇討ちされるシーンでは、編集者が「ひきょうな角川!」とアオリを入れていました。
そして翌号には、「岩波高はヒドかった。許せない。ホントに許せない」という読者の感想も掲載。
さらに翌号にまで、岩波への怒りの声が掲載されていました。
なお、この漫画のラスボスは朝日財閥です。
『アストロ球団』と『あらしのエース』
ところで、ジャンプに『アストロ球団』が連載したのは1972年~1976年。
アストロ球団のロッテ戦が終わったあたりから、ビクトリー球団戦の3回の終わりくらいまでが、『あらしのエース』の連載時期と重なります。
(球一がドリルを握って魔球を開発したり、氏家が頭に位牌を付けて軍歌を歌いながらビーンボール魔球を連投していた頃)
その辺のシーンは、のちのちまで「やりすぎ野球漫画」の代表格として語り継がれています。
この『アストロ球団』の狂気と同時進行で、ひっそりと中学2年生だけが読んでいたのが『あらしのエース』だったのでした。
氏家と蛇谷について
個人的には、「『あらしのエース』の蛇谷は『アストロ球団』の氏家の影響を受けている」説を、勝手に想像していたのですが……。
これがほぼ同時期の掲載でした。
氏家がビーンボール魔球を投げ出すのと、蛇谷が病魔球を投げ出す時期は非常に近く、2人の描写に特別な影響はなかったようです。
打者を殺す魔球を投げて「ふひひひひ」と笑う投手と、打者を殺す魔球を投げて「グヒヒヒヒヒヒッ!」と笑う投手は、1974年11月に同時多発的に出現したのでした。
この2人の活躍時期はカブっていて、
蛇谷の妖気が消えたのは1974年12月で、氏家の怨念が燃え尽きたのは1975年2月となります。
野球漫画から「魔球」が消えていく歴史において、やはり、『あらしのエース』は『アストロ球団』に近いポジションのものだと思います。
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