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祖父のことを話したい
7月に祖父がなくなった
コロナで葬儀にもでられなかった曾祖母と違い、きちんと通夜葬式に参列できたことは良かった
亡くなる2週間前に会いに行けたことは本当に良かったと思っている
でも、もっと帰省していればと思わずにいられない
同居していないにしては祖父との関わりは濃い方だ
私と顔そっくりの祖父だ
もっと会話しておくべきだったと後悔はある
祖父にとってわたしは初孫で、その誕生から5年ほどで曾祖母祖母が相次いで亡くなった
それから祖父は田舎のでかい家で一人暮らし
とはいえ田畑の手伝いで毎週息子一家が帰省するという暮らしだった
それでもずっと大家族でやってきた人にとって家族の思い出深い家で一人なのは堪えたようだ
10年日記にも寂しいと書いてあった
曽祖父の代で分家した家なのだが、曽祖父からして特にその田舎で暮らしたかった訳では無いらしい
祖父も田舎から出たかったが長男故に地元ぐらしを余儀なくされた
父も一応家は出たが同じ県内から出るという訳にはいかなかった
時代とはいえ複雑な気分だ 私と兄弟は何も言われず県外で就職した
祖父は兼業農家をしていて、定年退職してからは米に追加してアスパラも始めた
私が初めて専用の刃物をもらったのはアスパラ収穫用のハサミだった
アスパラは体力の限界で数年前に辞めたが、米はそれこそ亡くなるまで続けていた
生き甲斐であったのは間違いない
祖父が子供の頃は車でなく牛がトラクターだった
牛にやる藁を刻むのは子どもの仕事だったらしい
鶏も犬もいたそうだ
何故か大工の技術を持っていた曽祖父が建てた家は今も健在
しかし物理的に傾きつつある場所が悪いからだ
言いたくないが湿気もひどい
分家だからだ
滅びの寸前の集落で、まあそりゃ滅ぶよなと思うのはこういう事例があるからだ
しかし分家故に曽祖父と祖父は開墾を頑張った
その田畑を山に還すのは躊躇いがあるが私は農業はからきしで、そして本当に田舎でどうしようもない
雇用がなさすぎて20代は早々住めない
小規模農業がおそろしく儲からないのは周知のとおりだ
祖父も父にはやめてしまえと言うほどに
複雑に思うけれども自分はどうするべきなのかわからず、きっとこのまま放置するのだろうが、今の気持ちだけ残しておこうと思った