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ザンビアの思い出、冷え切った大地を真っ赤に染める太陽
前回、初めて滞在した海外、ザンビアの思い出について書いた。
今回は、前回紹介できなかった写真をここに掲載、そのバックグランドを詳しく紹介する。
僕が23歳の時にザンビアに1年ばかり滞在した。今から28年も前の事だ。
そんな昔話。
しばらく、ザンビアに限らず、一枚の写真を掲載し、その写真の背後の1500文字前後のストーリーを書いていこうと思っている。
日本とは違った、風土、なじみの無いザンビア、お楽しみいただければ幸いです。
記憶だけを頼りに書くので、出てくる数字とかは、正確ではない事をお断りします。
ドラマチックな光と影
上の写真は、冷え切った大地に太陽のエネルギーが吸入されている光景。
場所はザンビア共和国、イテジテジ、首都ルサカから350キロ程度西に行った場所。
前回の記事をそのまま引用、
”ルサカは南緯15度程度に位置、標高1400メートル、8月前後、冬にはものすごく寒い、特に明け方、ルサカの気温は、氷点下に下がる事があるほどに、冷え込む。
そんな冷え込んだ大地に照りつける太陽は、大地にエネルギーを吹き込み、一気に気温を上昇させるのだ。
冷え切った大地、水辺からは湯気が立ち昇り、ドラマチックな光と影を演出くれ、目を楽しませてくれる。”
上の写真はまさしくそれで、冷え切った大地に太陽が差し込んだ時の写真。
日本、東京ではそんなに冷え込むのは冬、弱弱しい太陽が南の空低く昇るので日中の気温はそれほど上がらない。
明け方それほど冷え込む時期でも、日中の太陽は日本の夏とそれほど変わらない。
冷え切った大地に夏の日差しが差し込む感じだろう。
こんな冷え込む時期でも昼過ぎには30度近くの気温まで上がるのだ。
この場所は国立公園の外だが、野生動物は豊富。
インパラやシマウマ、バッファローなどは普通に見られ、時折ゾウもやってくる。
野生動物たちにとって国立公園の境界線は関係ないのだ。
民家からは、朝食の準備のために起こした火の煙が上がっている。
この時僕は、普段生活していた、キャンプをちょっと離れ、友人の家に泊まらせてもらっていた。
晴れ上がった空、美しい日の出を期待して、丘の上の見晴台に500mmの望遠レンズを持って上がった。
1996年の事、カメラは、もちろんフィルムカメラ。
フィルムはフジクローム、ベルビア50を使っている。
ダイナミックな色を演出してくれるフィルムがダイナミックな光景をさらに印象的に仕上げてくれた。
フィルムで一枚一枚撮るあの感覚が懐かしい。
カメラボディは確かF4Sだ。
満天の星空が広がった翌日の事
いつもよりも空気の透明度が高く、放射冷却の影響か、いつもより気温は下がっていた。
吐く息は白く。寒さは手がかじかむほど。
おそらく気温は0度以下だったかもしれない。
空は驚くほどクリアで、晴れ上がり、先程まで星が出ていた夜空は鮮やかな群青色に染まっている。
日はまだ出ていないが、東の地平線近くの空はオレンジ色に染まり、刻々とその明るさを増している。
日が出るとともに、大地からは湯気が立ち上りダイナミックな光と影を演出してくれた。
何よりも、その空気の透明感、大地の匂い、透き通った空気の匂いを今でも思い出す。
セレンゲッティのそれとも違った匂いだ。
そんな状況で撮ったのが上の写真。
アフリカは年中暑いというイメージを持っている方が多いが、実際そんなことは無く、寒いときは寒いのだ!
緯度が低く赤道に近くても、何せ大地そのものの標高が高い。
ナイロビ1700m、ルサカ1400m、アジスアベバ2400m程度。
寝袋持参の進め
バックパッカーでアフリカを旅行をされる方には、バスとかで移動する際、寝袋は手元に携帯しておく事をお勧めする。持っていても手元に無ければ意味が無い。
車がブレークダウンを起こして夜を明かすことになっても、窓がしっかりと閉まらず、席に風が吹き付けていても、心地よく過ごす事が出来るのだ。
当時は完全に閉まらない窓がそのままだったりしたが、いまどきはそんな事もあまり無いのだろうな。
最近乗るバスはどれも快適なものばかり、快適過ぎると、あまり思い出に残らないのだな。
3年後の1999年タンザニアに留学していた時に、陸路でザンビア、カフエ国立公園に行った。
新たにタンザニアでの経験を積んでから再び訪れるザンビア。初めてザンビアに訪れた時とはまた違った目で見る事が出来た。
帰りは鉄道を利用しながらダルエスサラームを経由、ナイロビまで行った。
時間をかけた陸路での移動、ある意味贅沢な旅だな。