苦しみは幸せの前座
人と関わらないと生きていけないことを心から悟った時、曲がりなりにも人間なんだと思えました。
そう思うことが社会と私を繋ぐリストバンド。手首に巻いたらそれは美しい記憶に変わるのです。
テーマパークのようなここで通りすがる人の手首をみれば皆同じ証を持っているから、彼のしかめつらも気にする事はないんです。皆孤独に震える絶滅危惧種のタンポポなので。
風が吹くと雲が流れます、天国の様な湖面にもさざ波がたち、何もかもが動いていくことを教えてくれました。潮は引き、足元が実際乾いたことを知ったのです。これまでにも思い当たる節はあったかも。
つまり、つまり、時間は現状を変えてくれます、もちろん良くも悪くも。
川が流れて土砂が堆積し、それもまた水の流れに侵食されていきます。
登って下って大変ですが、道が続いていることだけはわかっているので、もう一歩だけを繰り返しているのです。きっと生きるってそれだけなのかも、今はそう思うことにしましょう。
特段生きる目的もなく、死ぬのが怖いだけ、手間なだけ。それでいいのかも。それでいいって今は思っておけばいいんです。どうせ正解とかないので。
惰性で生きてダメなことなどなくて、どうせ死ぬなら楽しいことをしたいんです。別に頑張らなくてもいい、一人でもいい。人と関わりたかったらまた誰かと共に歩けばいい。
選択した何もかもは正解なので、何一つ間違ってこなかったのですよ。それがただ一つの弱さだけど、ワンポイントのアクセントになって、夜空の月みたいにほの明るさをもたらしてくれます。
孤独。自信の喪失。悲しみが蔓延る暗い道は、何もかも間違ってなかったという明かりが照らしてくれます。全ては繋がっていて、いつかきっと訪れる幸福のためだったんです、全ての寄り道は。
これはあくまでも祈り、展望とも言えます。
無責任というレッテルを貼ることも簡単ですが、右も左も見えない夜道に、進んだ道が不正解だったと吐き捨てることに意味などないのですから。だからせめて、何の力もない私ですが、祈ることだけは、望むことだけは諦めないでいたいです。
そうでしょう、祈りは強い力、きっとわかっています。
いつかきっと僥倖の一瞬が訪れて、今までの苦しみはその瞬間のためにあったと報われる日が来ます。無駄じゃなかったと言えます。
そう祈ります。