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魚座満月の浄化とパートナーシップ

以前結婚していた頃のパートナーシップを思い返す出来事があり、魚座満月の浄化エネルギーを浴びながら振り返ってみようと思う。

付き合って6年。結婚して8年。

いろいろ変化してきたけれど、離婚前の3年間、
家事は基本わたしがしていた。
掃除、洗濯、料理。

家賃は夫が支払い、光熱費はわたしが払っていた。
夫は正社員。わたしはパート。

なんとなくバランスをとっていたつもりだったけれど、どうにもいろいろなことがうまくいかなかった。

まず夫は仕事が安定しなかった。ようやく正社員になったと思ったら、休みも少なく、ストレスも多く、仕事も休みがちだった。

休みの日はというと、競馬。
普段仕事から帰ってきても、動画を観たり、ゲームをしたり。

わたしがいなくても別にいいやんと思った。
ただただ、寂しかったんだと思う。
自分のことをただの家政婦のように感じて、寂しい、家政婦のようだ、と伝えても、「違うよ」というだけで、行動・現実は何も変わらない。

仕事が大変だから、仕方ない、と思い聞かせていた。

自分は自分で、楽しもうと思い、いろんな場所に出かけたり、アートをしたり、好きなことはそれなりにしているつもりだった。

それはそれで楽しかったけれど、やっぱりどこか寂しい気持ちは消えなかった。

本当は、もっと一緒に出かけたかったし、一緒の時間を過ごしたかった。
2人で暮らしているはずなのに、すごく孤独を感じていた。

自立が出来ていなかったんだと思う。
お互い、一人でも十分楽しいけれど、二人でいるともっと楽しいよね、というレベルで結婚した訳じゃなかった。

そして自分自身の価値も認められていなかったと思う。

家事ができるということでしか、自分の価値を見出せていなかった。
ありのままの自分を認められていなかった。

好きだったから、相手が喜べば自分も嬉しくて、割と尽くしてきたんだなぁと思う。

自分自身を本当の本当に喜ばせられてはいなかったんだと思う。

どうして、一緒の時間を過ごしてくれないんだろう。
どうして、2人の将来について考えてくれないんだろう。

それは結局、自分に思っていることだったんだろう。

自分が自分と一緒にいてあげられなかった。
自分の将来を考えてあげられなかった。

夫には借金があって、そのこともすごくわたしは嫌だった。
子どもも欲しいと思っていた。
本当は貯金していきたいのにって思ってた。
ギャンブルでつくったものと、仕事で留学に行くことになり、向こうでの生活費として借りたものがあった。

計画的に返済も進んだ時期もあったけれど、仕事を休みがちになると、給与も減って返済に充てられなくなっていった。

どうしてこう、うまくいかないんだろう?!
とわたしが悩んでいた。
自分がつくった訳じゃないのに、なんでわたしが悩んでいるんだろう?!
と思いながら、悶々とする日々。
夫は全然気にしていない様子。

友だちや親にも相談することもあったけれど、やっぱりつらかった。
もう八方塞がり。

将来が本当に見えなくなって。
自分がしたい暮らしは、相手にとっては全然必要なくて。
そりゃもう一緒に生活する必要もなくなって。

自分が望む道を進み、離れて暮らして、
週末には戻るという週末婚生活を3ヶ月ほどしただろうか。

そうしたら、戻った週末が全く楽しくなくて。
何のために帰っているんだろう?
そんな疑問が湧いているときに、追い打ちをかけるように夫がさらにお金を借りると言うので、もうここで限界を迎えた。もう無理だ、となって離婚したいということを伝えた。夫は嫌だと言ったけれど、わたしがもう無理ですと突き通した。

この一連の流れや、夫とのかかわりの中で学んだことは多く、まだ受けとれきれてないことも多い。

ひとまず分かったことは、自分は愛着障害があり、アダルトチルドレンであり、自立できていなかったということ。
夫とは共依存関係であったということ。
自分自身の声を聴けておらず、女性性をフル無視していたということ。

親子逆転が起きていて、自分の親の、親代わりをしていたということ。
夫の親代わりもしていたということ。
自分「が」がんばってしまっていたということ。
無理や我慢をし続けてしまったということ。

愛されたい自分がいたこと。
自分自身を愛せていなかったということ。

借金あるのに、仕事さぼってんじゃねぇ、って心の中で思っていた。
父親は仕事で借金を抱えて、がんばって返済していた。
自分に鞭を打って、遊びもほとんど制限して。
そんな姿を見ていたから余計に。
でもそれは自分の理想を押し付けているだけだった。
わたしも、夫に、自分の父や母を求めていたんだと思う。

だから、元をたどれば、親子関係なのだ。
人間関係の基本なんだ。
本当に本当に、根深いものだ。。

離婚して2年が過ぎた。
まだ2年かぁ。

ここ3年ほどは、自分を満たすことをただひたすらにやってきたと思う。
念願の古民家暮らしが叶って、したいと思ったことを仕事としてできていて、畑をして、ハーブを育てて、料理をして、アートをして、星よみをして、お菓子もつくって、ギター弾いて、いろんなところに出かけて、行きたかった石垣島にも行って、ただただ、好きなことをして過ごしてきた。

大好きで大切な仲間に囲まれて、本当に幸せに暮らしている。おかげさまで、本当に。

けど、たまに、世話焼きな自分が出てくると、怖い。あの頃と同じように、おかんになってしまっている自分がいるんじゃなかろうかと、はらはらする。

いや、ただしたいと思ったことをしているだけだし、依存関係になるわけじゃない。愛されたくてそうしてるわけじゃないよね、って自分に確認する。

ちょっとやり過ぎたと思った時は、反省。
こんなんもう、かかわりの中でリハビリしていくしかない。

悲しかったね。大切に扱われなくて。
自分で自分のこと大切にできなくて。

辛かったね。自分のこと無視されて。
自分の気持ちを無視していて。

苦しかったね。なかなか本音話せなくて。
自分の本音にたどり着けなくて。

もう、大丈夫だよ。
もう安心していいよ。
わたしたちは信頼の中に在る。

信頼って、信じて頼りにすること。頼りになると信じること。またその気持ちのことを言うらしい。

いつだって、どんなときだって、自分は自分の味方でいてあげよう。
どんな自分がいたって大丈夫。
どんな気持ちがあっても大丈夫。

自分が自分とつながっていれば、大丈夫だ。

まずは自分との信頼関係を取り戻すこと。
これが、誰かと人間関係を構築するために必須なこと。

自分自身とまずパートナーシップを築こう。

好き、嫌い、良い、嫌だ、欲しい、したい、行きたい。自分の望みや気持ちをまず確かめて出そう。
そしてそれを受けとめて、できることから始めていこう。

ひらめきを行動しよう。

大丈夫、ずっと自分は一緒にいるよ。

相手にしたいと思ったことをまず自分に与える。
これほんと、本当に必要なんだ。

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