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[日常]松本人志や中居正広は干されるべきか? 芸能スポーツ業界のビジネスモデルについて

たまには教育以外の話題も取り上げてみます。タイトルに[日常]を入れて区別がつくようにしていきましょうか。

今回は、昨今話題の芸能ニュースから芸能スポーツ業界の未来について考えてみます。

下世話なことはいいません。芸能界だろうが推定無罪だし、憶測で悪印象をもつ必要はない。中居正広が悪いことをしたか否かとか、テレビに映って良いのか否かとか、そんなの一般人にはよくわからない。

よくわからないんだけど、「悪いことしたっぽいからもうテレビで観たくない」と大衆の一部が感じている有名人をどう扱うかが主題です。

そこから広げて、もうひとつ言いたいことがあります。そもそもこの手のニュースって、法律や道徳じゃなくてビジネスの問題ですよねってこと。

つまり、芸能スポーツ業界の旧来型のビジネスモデルが窮屈で、そこが機能不全を起こしつつあることが根底にありますよねってこと。そこを確認していきます。

大衆の一部を怖がるビジネスモデル

不倫した俳優とか、私生活が荒れているプロ野球選手とか、入れ墨をいれたプロボクサーとか。そんなのチョコチョコと出てきますよね。そういう人の扱いがテーマなので、ここでは話題の松本人志とか中居正広ではなくて、入れ墨をいれたプロボクサーについて考えてみましょう。

入れ墨をいれることはまったくもって犯罪ではありませんが、それを嫌う大衆が一部いることも事実です。ですから興行をうつ側としては、入れ墨をいれないでほしいと要請するわけです。「いれたらダメよ」と協会が規約をつくったりもします。

これを無視して入れ墨をいれたスポーツ選手は干されてしまいます。規約違反だからです。なぜこんな規約があるのか。興行をうつ側が「大衆の一部から嫌われたくない」と考えるからです。

大衆ではなく、大衆の一部です。マジョリティーではありません。入れ墨の有無などほとんどの人は気にしないかもしれません。しかし、ほとんどの人が気にしないようなことでもNGになってしまうのは、ご存知の通り、大企業がスポンサーとして間に入っているからです。

大企業はブランドこそ命。大衆に嫌われたら終わり。ファンをつくりたいという気持ちと、アンチをつくりたくないという気持ちを両方抱えています。大衆の一部にだって嫌われたくないのです。

そして芸能スポーツ業界は、大企業からの資金提供により運営されています。大衆の一部に嫌われるという、大企業が恐れていることをしたら、犯罪であろうがなかろうが干されてしまうわけです。

今の芸能界がもつ大衆の一部を怖がるビジネスモデルは、大企業の広告やスポンサード(協賛)を介することによって生まれます

このモデルにしたがうと、どうしても芸能人には清廉潔白なイメージが要請されます。そういう人しか活躍できなくなる。事実、テレビCMに出演できるのはそういうイメージの人だけです。ビジネスモデルからしてそうならざるをえない。

テレビCMじゃなくて、ネット広告とか、それもタバコとかギャンブルとか暗号資産とかになってくるとこうした要請が弱くなりますよね。だから入れ墨をいれたラッパーとかでも出られます。

とりあえずここでは、大企業が広告や協賛という形で資金提供することで成り立つモデルをスポンサーシップモデルとでもいいましょう。

スポンサーシップモデルの問題点

このモデルの問題点は、大衆の一部に配慮した結果、提供するコンテンツがつまらなくなることです。

コンプラ配慮しすぎのお笑いとか、ドラマとか、そういったもの。楽しみたい、興奮したい、感動したいといった大衆のニーズを満足させられないコンテンツが増えていきます。

それはそれで不満がたまりますよね。その不満が「おい文春のやろう、また芸能人のスキャンダルを暴きやがって、またテレビがつまんなくなるじゃねえか」といった形で噴出します。

これが昨今起こっていることですが、その根底にはビジネスモデルがあるため、どうしようもないのです。テレビのキャスティングとかについて、ファンの訴えなど無視されます。広告やスポンサードというビジネスの前ではどうにもならないからです。

別のビジネスモデルについて

では、別の収益モデルはないのでしょうか。目下、干された芸能人が必死に考えているであろうモデルについて考えてみましょう。つまり大企業を介さずに、ファンや視聴者から直接お金をとるモデルです。

これはインディー路線というか、たとえばライブのチケット代とか配信の投げ銭でお金を稼ぐ路線です。こっちが本来といえば本来の在り方です。

税金でいう直接税と間接税の関係に似ていますね。大企業からの資金提供ありきのスポンサーシップモデルが間接税だとすると、ファンからお金を集めるモデルは直接税のイメージです。

これはこれで自由にやれていいのでしょうが、どうしても規模が小さくなりがちです。私の知る限りでは、あまり成功していません。

「いやいやYouTuberとかいるだろ」って思うかもしれませんが、YouTuberだって再生数に応じた広告収入をあてにしているのなら、直接税ではなく間接税、スポンサーシップモデルになります。そうではない、ファンから直接お金を集めるビジネスモデルは、芸能界では容易に成り立ちません。

YouTubeでも、メンバーシップというか会員制にして囲い込んでいるところもありますよね。このnoteもそうか。有料記事とか有料サロンみたいなのあったな。でも会員制のタイプが無料のタイプより影響力をもっているケースってあまりありません。

うーん、パッと思いつくとこでいえば、アイドル系はうまくいっているのかも。

旧ジャニーズなんかはファンクラブの会員数っていうのがとても大事らしくって、大企業を介さないビジネスモデルが本当に成り立っているのかもしれない。旧ジャニーズが大みそかに紅白歌合戦に出ないで独自の配信をしているのとか象徴的ですよね。まあそれが有料配信じゃなくて広告料をあてにしているのなら、それもまだスポンサーシップモデルにはなりますが。

スポーツはどうでしょう。サッカーは、一時に比べて公共的・国民的になることを諦めたきらいがありますね。

テレビで全国放送されることを望まず、DAZNみたいな有料の会員制のみで囲い込む方に進んでいる。日本代表が戦っていても大衆は無関心ならそれでも構わない、一部の熱いファンがお金落としてくれるから問題ないんだ、という方向性ですよね。昨今、人気が高まっているバスケも同じかもしれません。

でもこの路線って茨の道だと思います。

この道に進めば、大企業からのスポンサードや、ましてや税金をつかってのスタジアム建設なんて絶対不可能ですから。本当に熱いファンのサポートだけでスポーツ業界って成り立つんでしょうか。詳しくは知りませんが、疑問ですね。

(東京オリンピック開催の是非をめぐっての一部アスリートの発言はきわめてナイーブでした。こうしたビジネスモデルについて考えてこなかったのが丸わかりで、日本のスポーツ業界に失望しました。)

大衆を切り捨てる道はあるのか?

とにかく今、一部のサブカルチャーやハイカルチャーのように、芸能やスポーツといった業界で大衆を切り捨てる方向性はありえるのかが問われています。

うーん、でもねえ。大衆を捨てた芸能界。ちょっとイメージわかないですね。

なんといってもお茶の間、大衆向け、バラエティ番組やスポーツ中継って切っても切れない関係です。この関係を断ち切るにはちょっとやそっとの改変ではうまくいかないでしょう。

旧来型のビジネスモデル(スポンサーシップモデル)が限界にきているのは間違いなさそうなんで、今後はどうなるんでしょうか。こういう問題を放置して、ちょっとずつつまらなくなっていくだけなんでしょうか。

残念ですが、そんなもんですよね。

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