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【現代日本人がウォッチするべき七賢人】~林修(前編)~

先日、こんなネット記事を見つけた。
デビュー10年の「林修」が人気者でいられる理由 知識とトーク力だけじゃない“飽きられない”戦略とは

もうデビュー10周年にもなるんだなあと感慨にふけるとともに、そういえば僕も2年前に書いた同人誌『現代日本人がウォッチするべき七賢人』の中に、林修先生の魅力についてガッツリ1万字超で論考を書いたんだったと思い出し、ここに公開してみようと思います。前後編で行きます。よろしくお願いします。

林修


●profile
予備校講師、タレント
1965 年生まれ(54 歳) 愛知県名古屋市千種区出身
東海高校→東京大学法学部卒業
ワタナベエンターテインメント所属
キャッチフレーズ:いつやるか?今でしょ!
配偶者は産婦人科医
祖父は日本画家の林雲鳳、父は大手メーカーの元重役
影響を受けた人:岡崎久彦、村上陽一郎
予備校講師仲間:志田晶(数学)、村瀬哲史(地理)、他

●主たる活動
東進衛星予備校、国語科専任講師
講演活動(年間 300 回!?)
タレント活動 (レギュラー番組)
『日曜日の初耳学』 『林修の今でしょ!講座』 『林修のニッポンドリル』 『ネプリーグ』『ポツンと一軒家』他

●著作
『いつやるか?今でしょ!』
『受験必要論 人生の基礎は受験で作り得る』
『林修の仕事原論』
『林修の「今読みたい」日本文学講座』
『今やる人になる 40 の習慣』
『すし、うなぎ、てんぷら 林修が語る食の美学』



ご存じの通り「いつやるか?今でしょ!」の人である。 本書の賢人の並びにおいて、異色であると思われるかもしれない。なにせ現在、超売れっ子のテレビ タレントである。だからこそというべきか、林修先生ほど誤解や曲解をされている人もまた珍しい。し かし僕からすれば、最も理想的な人生のメンターである。それがなぜかということを、今回は語ってみ たいと思う。

名古屋市生まれ、東海高校から東大法学部に進学。大学卒業後、バブル全盛の時代に日本長期信用銀 行(長銀)に入行するも、五か月で退職。その後、株をやったり会社を作ったり、さまざまな仕事をす るがことごとく失敗。ギャンブルにつぎ込んだこともあって、最大で1800万円の借金を作る。 しかしここで1800万円というのは、「後戻りすることができるギリギリのところ」だという冷静 な判断がある。大学の同級生が官僚や医者として活躍したり、大企業でバブル景気を謳歌しているのを 横目に、自らは借金返済のためにやむなく家庭教師や学習塾で生計を立て始める。予備校講師になるま でに「空白の三年間」がある。今でも予備校講師という仕事は「好きではない」と公言する。
始めは数学の講師として採用される。しかし自分が勝てる場所は現代文だという結論に至り、現代文 担当講師に転じる。2009年から東進ハイスクール専任講師に昇格。自宅は名古屋だが、全国の校舎 での授業や講演、タレント活動のため年間200日をホテルで生活をしている。
かつては東大志望、東進衛星予備校の生徒ぐらいにしか知られていない存在であったとは思うが、何 といっても彼を世間の目に触れさせたのは「今でしょ!」というフレーズを効果的に使ったテレビCMだろう。

■テレビタレントとして


まず2009年に東進衛星予備校のCMで「漢字をいつ勉強するか、今でしょ!」というセリフが切り取られ、2010年ころにバラエティでパロディされる。2013年に流行語大賞を獲得すると、トヨタ自動車のCMに「いつ買うか? 今でしょ!」という台詞で本人が出演したのが大ブレイクのきっかけだった。 『笑っていいとも』などにもよく出演した(短文作成の添削をしたり、雑学を披露したり。ここでたまに展開した文学講座は最高だった)。そして2013年、『情熱大陸』に密着される。この時に、テレビに出ている自分というものをどのようにとらえているかというメタ的な視点を開陳しており、そのころからスタンスは変わっていないように思われる。

「ちゃらちゃらしているように見えるだろうが、計算づくで冷静にやっている。」「損得などは考えず、 自分に出来る範囲で、頼まれたことをやる」などなど。あくまでも本職は予備校講師であり、今は求められているからテレビに出ている、オファーがなくなるときは来るだろうし、それまで貢献するだけだという達観がある。実はこれこそがテレビタレントとして強いということではないだろうか。複数の活躍の場があり、一つの仕事がなくなってもそれで構わないという余裕があるからこそ、思い切ったふるまいができる。それが面白さにつながる。やると決めた仕事は、相手の期待を上回るレベルで完遂する。 するとまたオファーが舞い込む。テレビで売れたいと思っている芸人、アイドルなどにも見習ってほしいものだ。

2013年放送の『情熱大陸』では「目の回るような忙しさだが、少なくとも一年後はこんな状態(忙しさ)ではないわけだから、どこかで変化点が表れる。つまりこれは不連続関数なんですよ。だとするならば、この勢いが続くところまではがんばれるよね。数学をきちんとやっていると、こういう頭の使 い方ができるんですよ」などと訳のワカラナイことを言っていた(不連続関数とは笑笑)。こういうことをドヤ顔でいうところが林修先生のタレント力であり、僕の大好きなところです。良いですか皆さん、林修先生の本質は「ドヤ顔でヘンなことを言い切るところ」です。この塩梅が絶妙なんです。情熱大陸はあくまでもドキュメンタリだ。だからツッコミは入らない。しかしこれがバラエティだったらどうか。「何言ってんの?」である。これが想像されて楽しいのだ。ひな壇には必ず、ツッコミが光る芸人が配置される。

そして「こんなに忙しい状態は一年後まで続かない」という自身の予測は見事に外れることになる。この放送があった2013年から、2022年現在に至るまで、一度も失速することなく、むしろフジテレビをけん引する五十代男性タレントトップ三の一角(林修、坂上忍、梅沢富美男)を占めるまでになった。ますます世の中からの需要が高まっていったのだ。

■「ドヤ顔」の真骨頂

林修先生を理解するうえで、重要な概念として「ドヤ顔」があります。「ドヤ顔」とは国語辞典に当たってみれば 《「どや」は「どうだ」の意の関西方言》得意顔のこと。自らの功を誇り「どうだ」と自慢している 顔。したり顔。 とある。一般的には侮蔑的なニュアンスを含んでおり、人前では晒すべきものではないものとされています。あるいは自らの自己顕示欲を隠さずにはいられない、精神的に未熟な意識高い系と親和的な言葉だと思われているかもしれません。しかし僕は必ずしもそうは思っていません。「芸人的ないじられ気質」と「ドヤ顔」がセットになった時、むしろ万人に愛される魅力に満ちたキャラクターになると考えています。

他者との心の交流はコミュニケーションから生じます。価値観が合って、何でも言いあえる関係が良い関係性です。逆に言えば、言いたいことがいえない状態(没コミュニケーション)であると、しばしば良くないことが起こります。それがプラスの方向に行けば、人から尊敬のまなざしを向けられるということであり、まあよいかもしれません。しかしこれがマイナス方向になると、陰口や悪口、いじめということになります。アドラー心理学では「この世界のあらゆる悩みは人間関係の悩みである」と喝破しています。

これを解決するのが「芸人的いじられ気質」(=ツッコミしろ)ではないでしょうか。つまりツッコませる。ツッコんでも良いという空気を醸成する。象徴的なのが関西圏における「アホ」という言葉です。僕はお互いに「お前アホやな~」と言い合える関係こそ理想的だと思います。相手を大切に想うこととツッコミを入れることは両立する。むしろ興味がなければツッコミを入れる気すら起こらない。お笑い文化に馴染んでいる大阪では、吉本新喜劇などのエンタメがその価値観の醸成に一役買っており、だから「笑える」という観点は非常に重要です。誰もツッコミを入れることができないリーダーなど、実は誰にも愛されていない裸の王様にすぎません。

ドヤ顔こそが真骨頂といえるようなタレントはいくらか思いつくことができます。たとえばお笑い芸人でいえば、オードリー春日、ノンスタイル井上などです。春日は勢いだけで押し切ろうとするポンコツ。鍛え抜かれた肉体とのコントラストも良い。井上は自分を完全にイケメンと思い込んでいるというのが滑稽な芸人です。極度に演出されたイケメン然としたセリフは、ドヤ顔が最も生きる場面です。相方の石田のツッコミがさらにそれを際立たせます。ことあるごとにドヤ顔を披露し、そのことをいじられている彼らが、一歩舞台から降りたとき、とても人々に愛されているということ認めないわけにはいかないでしょう。それは春日の相方の若林が「春日よりも自分の方がキモチ悪いと言われているようだ」と危機感を示すほどです。

井上はニセモノのイケメンでしたが、本当のイケメンという文脈ではジャニーズにおいても見て取ることができます。元SMAP中居くん、嵐大野くん、NEWS手越くん、SexyZone中島健人くんなどは代表選手でしょう。中居くん、大野くんは親しみやすい兄ちゃんといった感じですが、ちょっと頼りないリーダーという側面もあります。だからこそドヤ顔が面白さを際立させます。手越くん、ケンティーになると、本当のイケメンなのに臆面もなくドヤ顔と共に決めポーズを披露し、それが一つの芸となって昇華しています。突き抜けるってこういうことなんだという実例です。

さて、前置きが長くなってしまいました。芸能界において、抜けているところにギャップがある芸人、イケメンなのにどこか可笑しいジャニーズがいる中で、新たに誕生したまったく新しいキャラクターが、圧倒的な知識量と話術で決め台詞をドヤ顔で開陳してしまう林修先生ではないでしょうか。そこではタレントとしての“サービス精神”がキーワードになります。

■林修先生のサービス精神

僕が林修先生の最も好きなところは、圧倒的な読書量から培われた文学知識、歴戦のトーク力、予備校講師という教育者の顔を持ちながら、テレビタレントとしてのサービス精神を持ち合わせているところです。こういうキャラは他に思い当たらない。たとえばデビュー当初であれば「今でしょ!」というフレーズを惜しみなく披露していました。それこそ求められれば何度でも。皆さんよく考えてください。いい年した大人がこれはなかなかできることではありません。普通に考えれば、こんなバカっぽいことやってらんねえと思うはずです。しかし彼は求められるままに応じる。それこそいろんな商品やイベン トにかこつけて、山ほど言ったと思います。「いつ買うか」 「いつ読むか」「いつ食べるか」バリエーションは豊富です。「いつ起きるか?今でしょ!」と目覚まし時計に録音させられている映像(from情熱大陸)もなかなかシュールでした。

今では「ドヤ顔で知識を開陳するキャラである」ということも受け入れています。その証拠に『初耳学』内では、問題の解説が行われるときに「林先生のドヤ顔知識!」とナレーションを入れられています。そしてビシッと決めポーズでキリっと言い切ることを、ハライチ澤部や千原ジュニアにいじられ、また即興の演技をやらされても応じ、自身が推理を展開するコーナーでは求められてもいないのに名探偵コナン(毛利小五郎)のモノマネまで披露するサービスぶりです。当然ここでもおかしなふるまいとして笑いを誘うことになります。


このように、高いレベルで知的なキャラクターを演じながら、MCで番組を回し、ツッコミしろも残す(サービス精神)というのはそうそうできることではありません。この知的レベルと、タレント的適応力とを高いレベルで両立できる人というのは唯一無二の存在であると思います。

テレビに出始めの当初は探りながらの時もありました。何の脈絡もなければ「今でしょ」を断ることもありました。トークにおいても、照れて遠慮することがありましたが、自分の好きなようにコーナーを持たせてもらえるようになると、徐々に「テレビ的なふるまい」というものも獲得し、どんどん適応していきました。それは出演者の性質を瞬時に判断し、ときにいじったり、ときに持ち上げたりというバラエティのコードを踏襲するということです。


■おすすめの本を聞くこと

「人におすすめの本を聞く」というのは間違っているという言説はあると思います。手っ取り早く教えてほしいという態度の表れだからです。林修先生自身がそう思った体験として、著書の中でこんな話を紹介しています。
「大学に入ったばかりのころ、秀才の誉れ高い先輩のところに友だちと二人で遊びに行ったときのことです。その友だちが、やはり同じ質問をしたのです。「先輩、何かおすすめの本はありませんか?」 すると、先輩は、「自分で読みたい本も見つけられないような感性の鈍い人間が、何かを読んだところで無駄だとは思 わないかい?」 と冷ややかに言い放ちました。きついことを言う人だなあと思う一方で、でも言っていることは正しいとも思いました。

こういう切り返しこそ、林修先生の特徴であると思います。よほどその時の経験がインパクトのあるものだったのでしょう。『情熱大陸』という番組で密着されたときには「今忙しくしているのは、得られるものがあると思っているからですか」という質問に対して「得るものがあろうがなかろうが、そんなことどうでも良いじゃないですか」。「自分の過去の人生は何点ですか?」という質問に対して「逆に聞いていいですか。過去に点数付けることに何の意味があるんですか?そういう生き方してきてないんで」と一刀両断だ。教育者が誠心誠意、低頭平身に、子供たちがお客様であるかのように振舞う間違った昨今の教育に、くぎを刺しているように見えます。

あるいは「子供が勉強をしなさいといっても聞かないのですが、どうしたら良いでしょうか。」という質問に対してはこう返します。「どうして親が子供に向かって勉強しなさいなんて言う必要があるんですか」と。まるでそこら辺の子育て世代にケンカをうっているのかという勢いです。本当に優秀で、勉強が好きになってしまった子供は勉強をやり過ぎてしまって、「あんまり勉強しすぎるなよ」と言われるのが普通であり、自分もそう言われてきたというのです。

林修先生によると、子どもが能動的に勉強をするようになるかどうかは、三歳から五歳までの間に親がどういう言葉がけをしたかが決定的だと言います。子どもが何かを知った時に、「すごいね、次はどうなるの?」と背中を押す。子どもが中高生になって勉強しないというのは、100%そういう育て方をした親の責任であると。

林先生は小学校のころに「子ども百科事典」全八巻を読破したと豪語していますが、そんな状態であるならば、間違っても親から「早く勉強しなさい」という言葉は出てきませんよね。ちなみにこれは百ます計算などで知られる影山メソッドの影山英夫先生も、著書の中で同じようなことを言っています。 教育委員会の役員たちと話した時に、東大や京大の卒業生ばかりだった。それで子供時代に親になんて言われていたかを調査したら、「勉強しなさい」と言われたという人は皆無で、ほとんどの人は「早く寝なさい」だったそうである。

僕も全くもってこの考えに同意します。子どもが数学の文章問題が苦手だとか、理科社会に興味を持てないとか、言葉を知らないとか、そこら辺の塾に駆け込んできた親が言いがちですが、そういう子どもを育ててきたのは親です。つまりはそういう環境を作ってきたのです。親自身がこの社会の仕組みとか、科学的な現象、地理や歴史のことに興味を持っていれば、おのずと家庭でもそういう話題が展開されるはずです。食卓での話題、家にある本やテレビの内容も変わってくることでしょう。今では親世代でもスマホに支配されて、深く考えることをしない生活を送っているのではないでしょうか。そうなれば理科社会に興味がない子供になるのは当然のことです。スマホしか見ていないのであれば歴史や科学といったものに意識が行くはずがありません。それで「ウチの子は理科や社会が苦手で何とかしてほしい」とか噴飯ものです。そりゃあ親であるあんた自身のことでしょうと言いたい。

※後編に続きます

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ちろう
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