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Emilia Pérez(エミリア・ペレス)感想怪文書 ※ネタバレあり!

※たくさんネタバレがあります。
※私はジェシ役のSelena Gomezの大ファンなので、全体的にジェシに感情移入しています。
※本当はふせったーに書こうと思ったけどリンクを埋め込んだり見出しを付けるのが楽なのでnoteにしました。つまり何かを見た後にオタクが書き殴る怪文書です。


概要

 2024年5月18日、第77回カンヌ国際映画祭にてフランス映画 Emilia Perezはプレミア上映を行い、喝采と称賛の声を浴びて審査員賞を獲得した(パルムドールはアメリカ映画のAnoraが受賞)。更に本作の主要な女優、Zoe Saldaña, Karla Sofía Gascón, Selena Gomez, Adriana Pazの4名が最優秀女優賞を共同受賞した。なおKarla Sofía Gascónはオープンリー・トランス女性初の受賞である。作中ではトランス女性エミリアの性適合手術を受ける前と受けた後、その両方を見事に演じている。
 フランスの巨匠ジャック・オーディアールが脚本・監督を手がけるEmilia Perezは各メディアや批評家たちにも概ね好意的に評価されており、来年の第97回アカデミー賞での有力候補としても注目の的だ。フランスは本作を国際長編映画賞に出品すると発表したが、それだけでなく、北米での配給権を獲得したNetflixは作品賞や脚色賞、助演女優賞なども狙っているのではないかと噂され(ノミネートの条件を満たすためにアメリカ国内で限定上映を行っている?)、第92回アカデミー賞における『パラサイト 半地下の家族』を彷彿とさせる快挙も期待されている。

左からSelena Gomez, Zoe Saldaña, Jacques Audiard, Karla Sofía Gascón @カンヌ国際映画祭
Higher Ground より

 現在はフランスの一部の映画館で劇場公開され、北米と英国ではNetflixにて視聴可能である。日本からは、VPNを使用して北米版(もしくは英国)Netflixに接続すれば視聴できる。サウンドトラックは各サブスクリプションでストリーミング中である。なお舞台がメキシコであるため主な使用言語はスペイン語だが、Netflixには日本語字幕もあった。

あらすじ

 物語はメキシコの女性弁護士リタ・モラ・カストロ(Zoe Saldaña)がある殺人事件の公判での陳述を準備する場面から始まる(El Alegato)。彼女は上司と共に、妻を暴力によって殺害したと疑われているメンドーサ氏を弁護し、妻の死は自殺であったと主張する立場にあるが、実際はメンドーサ氏が殺害したのだろうと考えており上司の陳述中も内心悪態をつく。リタは幕開けの楽曲El Alegatoでこの事件を指し「今日私たちが語るのはある夫婦の話/暴力の話/愛と死の話/病んだ国の話」と歌い上げるが、これはEmilia Perezという作品全体についての示唆だ。つまりこの映画は、リタが目撃者/語り部となって展開される、ある夫婦の暴力に満ちた愛と死の物語である。
 メンドーサ氏に無罪判決が下り、会見を抜け出したリタはトイレで不審な着信を受ける。「リッチになりたいなら良い仕事がある、新聞売り場に来い」と言われたリタは(どう考えても闇バイト)、「いつまで他人に才能を使われ続ければいいの?」「職場の女子は「独立はいつ?」なんて尋ねるけど、さあね、黒人をやめた時?」と燻りを吐露し、「なぜ私に電話したの?どうして新聞売り場なの?」と怪しみながらも「失うものは何もない、つまり得るものばかりってこと」と興奮の面持ちで新聞売り場へ向かう(Todo y Nada)。
 新聞売り場で頭に袋を被せられ拐われたリタは、麻薬カルテルのアジトへ連れてこられる。彼女の依頼人はそのボス、マニタス・デル・モンテ(Karla Sofía Gascón)だったのだ。マニタスは法外な報酬を提示し、「話を聞けば戻れない。依頼を受けるか?」と問う(El Encuentro)。リタはその状況に怯えながらも頷き、彼の依頼を引き受ける。マニタスの依頼とは「女になりたい」だった。幼い頃から体と心の不一致に苦しんできたと語る彼は、身体の性別を変え、マニタスとしての人生を捨て第2の人生を歩むことを望み、リタに「誰にも知られず、安全に手術を受けられる医者を見つけること」「手術後の身分を用意すること」を頼む。彼はすでに2年にわたりホルモン治療を行っていた。
 リタは弁護士の仕事と並行しながら、性別適合手術の情報を集め医者を探すために海を渡る。バンコクでは「手術の手順に術式にリスクを教えて、手術は何回?必要な期間は?」と矢継ぎ早に質問を浴びせ、実際に手術を受けている患者を目にする(La Vaginoplastia)。このシーンは英語が使用されるが、私は初めてMammoplasty(豊胸)、Vaginoplasty(膣形成)、Rhinoplasty(鼻整形)、Laryngoplasty(声帯形成)、Chondrolaryngoplasty(甲状軟骨切除=喉仏切除)という単語を知った。
 テルアビブの医者ワッセルマン(Mark Ivanir)は「体を変えても女になれるかは心次第、整形手術をするのではなくIDを変えなさい」と諭すが、リタは「体を変えれば周りも変わる。周りが変われば心も変わり、すべてが変わる」と反論し、「男性及び女性の皆さん、どちらにも属さない方も、過去に前例のない方々も、私がついています!」と宣言する(Lady)。この辺りは話の進むテンポが速いのでリタの心情の変化を少し追いにくく感じたのだが、おそらく最初は恐怖と報酬ゆえに依頼を引き受けたが、リタは徐々にマニタスの苦しみに対して同情を感じ、己の良心ゆえに彼の望みを叶えようと奔走する部分が生じてきていたのではないだろうか。リタのポリシーを読み取ることができる端的なシーンである。ワッセルマンとの会話はお互いに「考えを変えるべきだ」と言い合って決着がつかないが、彼はマニタスに会うことに同意する。リタは「話を聞いたら引き受けるしかなくなる」と忠告したうえで、彼をマニタスのもとに連れていく。ワッセルマンと対面し、マニタスは「本当の自分を隠し通し尊厳を守るためには悪党になるしかなかった。でも常に自死を考えていた。少しくらい本当の人生を生きたい。自分らしく生きたい」と己の苦悩、願いを打ち明ける。ワッセルマンは彼が幼いころから「女になる事」を望んでいたと確認し、手術に同意する。おそらく以前に聞いていたのであろうその告白を思い出していたリタは、「あんた誰?」とマニタスの妻ジェシ・デル・モンテ(Selena Gomez)に話しかけられる。ジェシも2人の小さな息子も、マニタスが進めていることを何も知らなかった。
 マニタスは性別適合手術を受けるにあたり、「すべてを失うことはわかっている。でもこうするしかない」とマニタス・デル・モンテの人生を完全に葬り去る。性別も容姿も名前もすべてを変え自らの死を偽装して、妻ジェシと息子たちには何も知らせず、ただ「安全のため」と言ってスイス・ローザンヌへ国外逃亡させる(裕福な暮らしができる仕送りは保証)。望みの実現を目前にして、マニタスはこれまでの「彼」としての人生を「すべてを持っていた。でも歌が、夢が欠けていた。別の顔が、別の肌が、別の魂が欲しい。」と嘆き、「もう誰かを愛せなくても、愛されなくてもいい、これまでのすべてを手放そう。「彼女」になる事だけが望み」と「マニタス」に別れを告げる(Deseo)。
 リタにローザンヌへ連れてこられたジェシは雪景色を前に「ここは私の居場所じゃない、アメリカの姉の家ではダメなの?」と涙を流し、マニタスの偽装された死の報せを受け泣き叫んだ。彼女を宥めたのちリタは依頼の完遂をマニタスに告げ、高笑いと共に仕事の痕跡を消す。ワッセルマンによるマニタスの手術は痛みを伴いながらも無事に終わる。「彼女」が愛おしげに噛みしめる新たな名こそ「エミリア・ペレス」だった。

 エミリア・ペレスが誕生して4年後、垢抜けたリタはロンドンでエミリアに出会う。彼女が「マニタス」であることに気づいたリタは「私を消しに来たんでしょ」と怯えるが、エミリアは「確かにこれは偶然じゃない。けど違うの、頼みがあって会いに来たのよ」と告げる(Por Casualidad)。エミリアの頼みとは「子供たちが恋しい、メキシコに連れ戻して」。このエミリアの願い――あるいは欲——から歯車が狂い始めるのだ。
 エミリアはマニタスの従妹であり、時が来たら彼女のもとに行くようにマニタスから指示されていたのだと偽って、リタはジェシと子供たちをメキシコにある「エミリアおばさん」のお屋敷へと連れ戻す。息子たちと対面したエミリアが「父親の従妹」としては近すぎる距離感で彼らに接したため、ジェシは彼女を怪しんだ。翌朝、子供たちは環境の変化への戸惑いを口にし、ジェシは一人、死んだ(と思っている)夫に支配され続ける自由のない自らの人生への嘆きと、エミリアに対する不満、他人の家で暮らすストレスを吐露する(Bienvenida)。そしてジェシはかつての不倫相手グスタボ・ブルン(Édgar Ramírez)に「メキシコに戻ったのはあなたのため」と電話をかけ、関係の再開を持ち掛けた。
 リタとエミリアは市場で行方不明の息子を探す母親に話しかけられ(Mis Siete Hermanos y Yo)、マニタスという過去に直面して「後悔ばかりよ」と語る。更に息子に「おばさんからはパパの匂いがする」と無邪気に抱き着かれて(Papa)、エミリアはリタと共に「小さな光 La Lucecita」というNGOを立ち上げ、裏稼業の者たちとのかつてのコネクションを利用して行方不明者(多くの場合はその遺体)を探す事業を始める。彼女はこの贖罪を通して「初めて自分を愛せた」と独白する。「誰かの愛する人を見つけること」を最大の目的とし、「(被害者と遺族の?)新たな人生と地平線」を目指すことを掲げた「小さな光」は、償いを望む元殺し屋たちや家族が行方不明になっている多くの人々がボランティアに集まり、すぐに大規模な活動に成長していった(Para)。
 一方グスタボとの逢瀬から帰宅したジェシは、エミリアにマニタスとの夫婦関係について尋ねられ、「私は彼に夢中だったけど、マニタスはどうだったかな。子供ができた後、彼は変わっちゃったから。寂しかった」と答える。更に、以前からグスタボと不倫関係にあったことも「他に何も考えられないくらいのめりこんじゃったから、すぐに終わったけど」「駆け落ちなんかしたら、マニタスに殺されてた」と答える。ジェシのマニタスへの愛情と、同じものを返してもらえなかった寂しさが垣間見える。
 エミリアは「小さな光」の活動を通じて時の人となり、リタはその右腕として彼女を支える。2人はもはやかつてのカルテルのボス・マニタスと脅された弁護士リタではなく、互いに尊敬しあうビジネスパートナーとなっていた。「小さな光」の資金を集めるために、エミリアは著名人を集めてパーティーを開く。その招待客の中には彼女が「知っている金持ち」として加えた麻薬王や汚職役人が混ざっており、リタは「汚いお金に頼るのはダメ」と非難する(El Mal)。エミリアはスピーチを「愛する人を失うのはまさに悲劇です。更に遺体も失うのは終身刑に等しい、一生囚われてしまいます。」と締めくくるが、これはエミリア(マニタス)のジェシに対する「何も知らせない」という仕打ちにも当て嵌まるだろう。

 自分を虐待していた夫の遺体が発見されて安堵する女性エピファニア(Adriana Paz)と、エミリアは恋仲になった。エミリアは「私は何者?——人を表すのは感情、私は今初めて感情を、愛を抱いた。私は今、彼女の願いによって生まれたの」とエピファニアとの出会いを喜び自らの存在を確かめる(El Amor)。
 一方ジェシはグスタボとの交際を続けており、クラブのカラオケでデュエットしながら「私はありのままの私を愛したい、そうして崖から落ちたって私の勝手でしょ、ほっといて」と歌う(Mi Camino)。朝帰りした彼女はエミリアに「グスタボと再婚するから、子供たちを連れて家を出る」と報告する。エミリアは「子供たちと住む家にはあんたのヒモ野郎もいるわけ?」と詰め寄り、売り言葉に買い言葉でジェシは「あんたの女も娼婦って呼ぼうか?」と返す。これに烈火のごとく怒ったエミリアは彼女をベッドに押し倒して「「私の子」は渡さない」と言い、更に部下に命じてグスタボをリンチし、メキシコシティから追い出してしまう。「どうかしてる、私の子供よ!」とキレたジェシは子供たちを連れて夜逃げし、2人の間の溝は修復不可能となった。
 エミリアはジェシを追うために彼女が使用しているマニタスのカードや銀行口座を止めてしまう(ジェシは「なんでそんなことできるの?私の夫が残してくれた金なのよ」と怪しむ)。双方から怒り心頭の電話がかかってくるリタは対応に追われ、「私の子を盗む気よ、あんな女と結婚してたなんて」と憤るエミリアを「思い通りに操れるとでも?その人生は終わった、今は違うの」と諭す。
 遂にジェシはグスタボら男たちの協力のもと、エミリアを誘拐し身代金を要求する強硬手段に出る。警察やNGOのメンバーたちがごったがえする事務所に届いたのは、エミリアの3本の指だった。

 リタは荒事に慣れた人員を集め、指定されたジェシたちのアジトに3,000万を持っていく。リタが武装チームを連れてきたことが露見すると、銃撃戦が始まる。激しい銃声の中、最期を悟ったのかエミリアはジェシに「出会ったのはあんたが17歳の時。結婚の贈り物は2つのネックレスだった」とマニタスしか知り得ないことを話して自分の正体を告げ、許しを請う(Perdoname)。ジェシは「なんてことをしてしまったの」と謝るが、混乱のさなか何も知らないグスタボがエミリアを車のトランクに詰め、ジェシを助手席に乗せてアジトを脱出する。
 我に返ったジェシは「トランクにマニタスがいる、私の夫よ!」とグスタボに車を止めるよう求め、2人は揉みあいとなり、車は転落したのち炎上する。リタが呆然と見つめる中、エミリア、ジェシ、グスタボはともに死亡した。

 リタは遺された2人の子供の後見人となり、「ママは事故にあってもう帰ってこない。私がついてるからね」と彼らを抱きしめる。エミリアは聖女として称えられ、葬列にはエピファニアをはじめとする多くの人々が参列した。「秘密を抱いたまま、永遠に去ったあなたに、この花束を捧げる」という彼らの歌声でこの物語は幕を閉じる(Las Damas que Pasan)。

感想

 最初に観終わったあと感じたのは、エミリア・ペレスという人物を観客はどのように評価したらいいのか?という疑問だった。あるいはマニタスはエミリアになれたのか?という疑問。本作の問いは「人は変われるのか」なのかもしれない。
 「小さな光」での贖罪とそれを通じた人々からの思慕は、彼女が「麻薬カルテルのボス:マニタス・デル・モンテ」という過去と決別し「メキシコの闇に立ち向かう勇気ある女性:エミリア・ペレス」として生まれ変われたのだと結論付けるのに十分だろう。しかしジェシの存在が、観客にエミリアの聖女化を許さない。
 ジェシの人生に思いを馳せると、マニタス/エミリアの行動は身勝手すぎると思わざるを得ない。性別適合手術を受けて第2の人生を歩むにあたり、死を偽装して妻子を騙すのは残酷だが、ある種の「けじめ」とも言える。マニタスの生きてきた環境からして、どうしようない部分もあった。生きていくための資金も遺しているし、ある程度責任は果たしているといえるだろう。しかし4年以上たってから「エミリアおばさん」と偽ってジェシと子供たちに干渉し、何も打ち明けていないのに「私の子供」をコントロールしようとするのはアンフェアだ。ジェシが浮気していたのは責められるべき点だろうが、おそらく2人目の子供が生まれマニタスがホルモン治療を始めた後かと考えると、「寂しかった」という言葉が効いてくるし、マニタスが死んだ後は子供たちさえ責任をもって養育すればあとはどうしようがジェシの勝手である。最後に暴力的な手段をとったのはジェシの罪だが、そこに至るまでのやり取りも必ずエミリアが先に手を出している。ジェシは常に、支配から逃げ出すため、自分と子供たちを守るために反撃しているに過ぎない。
 つまり、「麻薬カルテルのボス:マニタス」としての過去は捨て去ることができたのに、「強権的な夫・父親:マニタス」は捨て去ることができなかった。親として子供たちに関わり続けたいならジェシや子供たちに対してそれなりに誠実である必要があったのに、都合のいい過去とだけ決別できず、その過程で「マニタス」の暴力的な部分が顔を覗かせ、強権的な手段に出てしまった報いがこの結末なのだろうと私は解釈する。ワッセルマンの「体を変えても心は変わらない」という言葉がリフレインする。ここでは男か女かという話ではなく、マニタスという人間の暴力性が変われなかったという悲劇を指すのだろう。

 脱線するが、エピファニアと出会ったエミリアが「初めて愛を抱いた」と喜ぶのも残酷だと思う。ジェシは17歳の時にマニタスと出会い、当時はジェシの姉と付き合っていたマニタスが彼女に乗り換え、姉への罪悪感を抱えながら彼と結婚した(エミリアとしても女性と交際していることを踏まえると、この時は確かに、マニタスはジェシに恋していたのだろうか?)。「彼に夢中」でも、故郷アメリカにも帰れず、子供が生まれてからはどこか自分の方を見ていないような夫と暮らすのは寂しかっただろうし、常に(死んだ後も)夫の意向に振り回される生活はストレスフルだっただろう。それでもジェシは、心からマニタスを愛していたのだと思う。死の報せを聞いて悲しむし、エミリアにマニタスのことを問われて「夢中だった/寂しかった」と答える言葉に嘘はない。すべてを知ってエミリアにしたことを後悔し、慣れない銃をグスタボに突き付けて彼女をトランクから出そうとする姿は必死で、マニタスに対する怒りや恨みは感じられない。
 またジェシはしきりにマニタスのことを mi marido / esposo(私の夫)と呼び、自分のことを su esposa / mujer(彼の妻)と表現するのに対して、マニタス/エミリアは mi mujer /esposa(私の妻)や su marido / esposo とは言わない。「エミリアおばさん」として最初に対面するときに「あなたがマニタスの妻 su mujer ね」というがそれっきりで、そうした部分にもこの夫婦の非対称さがあらわれているように思う。
 しかし作中でジェシを憐れみ、エミリアを非難する人はいない。リタは基本エミリアの味方だし、リタ以外の人はエミリアの過去を知らない。ジェシ自身ですらエミリアを赦す(というか怒るような時間もなく死んでしまった)。ジェシを悼むのは子供たちとリタだけだ。エミリアを聖女として称える民衆の葬列は作中世界での彼女の評価を示すとともに、私たち観客にはその陰で翻弄されたジェシの人生、エミリアの罪を思い起こさせる。出番はエミリアとリタに比べて少なくとも、本作においてSelena Gomez が高く評価されている所以だろう。それでもエミリアの最後の言葉は "Jessica"、ジェシの最後の言葉は "Mi marido" だった。2人は確かに「ふうふ」として死んでいった(巻き込まれ間男のグスタボもいたけど)。

 リタ・デル・カストロが2人の子供を引き取るのは作中でしきりに「もういい年だけど子供がいない」と言っていたことの回収だろうが、リタについても少し考えてみたい。
 リタはマニタス/エミリアと関わることによって何を得たのだろうか?弁護士として働いていた頃、彼女は自分がいわば汚職に加担するような立場にあることを自嘲し、いつまでこんなことをしているのか、と苛立っていた。麻薬カルテルのボスの依頼を受けるのはある種悪事への加担かもしれないが、リタが徐々に、この依頼に「苦しんでいるマニタスを助ける」という良心に訴えかけるものを見出し、ワッセルマンと話す頃にはそれなりの誇りを持ってこの仕事に取り組むようになっていると考えることができる。ロンドンでエミリアに再会するまでの4年間何をしていたのかはわからないが「キャリアは最底辺」と言っているあたり多分弁護士はしていない(マニタスから得た報酬で遊んでいた?)。エミリアと共にメキシコに戻り、なし崩し的に「小さな光」を支えるようになってからは、良心に反しないキャリアを得ることができた。またエミリアというビジネスパートナーを得ることもできた。彼女との関係の始まりはマニタスにほぼ脅迫されたことで、確かにリタは怯えていたのに、メキシコに戻ってからはリタがエミリアを対等なパートナーとして尊重していることは興味深い。これはLadyにおけるリタの主張「体が変われば周りが変わり、心も変わる」をリタ自身が心底信じていることの表れだろう。エミリアとジェシの確執の顛末を見届けてリタが何を思ったのかはわからないが、彼女は子供たちを養育しながら、「小さな光」を続けていくだろう。Todo y Nadaで「私にはない」と言っていたものを、リタは得たのだ。


祈願


長々書いたけど、とにかく賞レースで勝ちまくってほしいです。
そしたら日本でも劇場公開されるかもしれないし!
El Mal とか Mi Camino とかスクリーンで見たすぎるほんまに



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