コロナ禍の振り返り(りささん)
“ちらちら”は新潟市内のいろいろな場所や人にご協力いただいて、「筆談カフェ」を中心に催しを開いてきましたが、コロナ禍になってしばらく催しをお休みしていました。
その間、それぞれがどんな風に過ごしていたのか気になったので、
質問を3つずつ出し合って答えてみました。
りささん編です。
りささんプロフィール
福祉事業所製品の企画販売を中心に活動。福祉の現場で一人ひとりに焦点を当てた働き方の工夫などを目の当たりにし、相手のことを想像する福祉のあり方は、社会全体にも必要なあり方だと思い活動を始める。
〇コロナで人との付き合い方は変わった?
〇ステイホーム生活どうだった?
〇自分にとって必要なものがはっきりしたけど、みんなはどうだったんだろう。
■最近、手紙を書くことはありますか
自分は全然書いていません。笑。でも手紙をもらう機会は何度もありました。笑
手紙って相手の温度が感じられる不思議なツールだよね。
■この半年くらいの間に、何か「ちらちら」しましたか?気になることを覗いてみたり、誰かと話したりしたことがあったら教えてください。
そういえば、全然自分から「ちらちら」していない気がします。ただ、ちらちらで感じてきた「視点を変える」っていうことは日常の生活の中で必然的に必要になり、遠くに行けないことや家での時間を自分自身が気持ちよく過ごすために無意識にやっていた様に思います。
些細だけど、近所をいろんなルートで散歩するとか。家の中でご飯を食べる場所をいつもと変えたり。本当に些細だけど、そういうことの積み重ねが自分をご機嫌にできたと感じます。
あと、友達と話す中や読み物を読んだりの中での気付きみたいなのは、自分で取り入れる情報が減った分増えた気がします。
■そういえば、お元気ですか。
元気です。なんならスティホームになってからの方が気持ち的は元気になったかもしれない。
今まで私は周りの状況に流されていて、いろんな意味で自分にとって必要なことが明確になったのかもなーと思います。
でも話を聞いていると、気分が落ち込んだりしている人も多いのかなという印象も。
▽コロナの間思ったこと。 ▽みんなが感じてることとか。
マスクで人の表情が読み取れなかったり、ネットでやり取りすることも多くなって、私自身は、視覚的情報が優位だなと思っていたけれど、視覚だけでなく、なんとなくの空気感やお互いの呼吸や間みたいなもので相手のことを感じていることが多かったのだなと改めて感じました。
あと肌感というか、人との距離感が実質的に広くなったことで、そこで感じる相手の快不快みたいなものが読めなくなったなーと感じることも。
いろんなことが通常に戻りつつあるけれど、マスクで表情がつかめないのは相手とのやり取りで困る場面がおおいなと感じています。コミュニケーションの中で表情の一つが見えないことは自分にとっては大きいです。
あと、これは私自身だけでなく周りとのやり取りで感じることだけど、家族で過ごす時間が増えたことでより関係性が狭くなった分、それが辛い人が多いことも改めて感じ、密接な関係の中で気軽に力を抜ける、気分転換になる場所の必要性はより強く感じました。
▽いま足りないな、あるといいなと思うこと
許容の範囲が広がったらいいなと思う場面がより増えた気がします。
こうしてはいけない。こうしなきゃいけないみたいなものがどっと増えた中で、そこを守らなければいけないけれど、他人へのパトロール的なものもすごく多くなって、以前より周りの視線が気になるようになったと思う。他者の視線と自分自身はなかなか切り離すことが難しいけれど、そこを少し離して、自分自身がしっかり立たなくちゃいけないなと強く思う場面も多いです。周りへの許容や自分自身への許容がもっと広がったらもう少し過ごしやすいのかなと。
あと居場所かな。何者でもよい場所。自由すぎず、何か共通の時間が流れている場所が会ったらいいなと。