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月は安心と絶望を抱いてる:山羊座冥王星最後の時間に

☆この激動期に知ったリリスの面白さ

星の流れからすると、2024年のこの秋は大きな切り替わり。
冥王星が逆行を終え、山羊座を抜ける最後の期間です。
地の時代の総決算と最後の手放しが徹底的に続きます。
星の流れも、魚座月蝕・秋分・天秤座日蝕と
禊やリバランスの作用が続いていて強烈でした。

そんな中、
天秤座新月の日蝕にブラックムーンリリスが重なっていること』が
私の心に留まりました。

日蝕は目的意識の大きなリセット。
今回はテイル側だったで、カルマの浄化や手放しがテーマになります。
そこにリリスが重なっているということは、
私たちはタブー視している欲求に対して
見直しと手放しをすべきということ。

実はこれまでリリスってあまり興味がなくてですね…。
占星術を主に自己発揮の手段として捉えてきた私は
リリスってなんか暗そうだし、
ちょっとファムファタル的な幻想が入っていそうだし、
中二病っぽい概念のような気がしていたんですね。(すみません)
簡単に言えば、他の感受点のような神性を感じられなくて
興味を曳かれなかった…という感じでしょうか。

それが「へぇ!日蝕にリリスが重なってるのは面白いかも」と調べてみたら
「リリスには3種類ある」と知って、
がぜん印象が変わってきたんです。

1つ目は「小惑星リリス」。
2つ目は「月の遠地点のリリス」。
「ブラックムーン」とも呼ばれる、一般的な占星術で扱うリリス。
3つ目は「ダークムーンリリス」。
地球のもう一つの衛星。実証されていないため架空の天体。

これを知って私、「は?」となりましたね。
3つめは地球のもう一つの衛星?架空の天体?なにそれ??

ダークムーンリリスは以下のようなもの。
別名「ウォルテマスの月」。


ウォルテマスの月とは、1898年ドイツの天文学者ゲオルグ・ウォルテマス(Georg Waltemath)博士が主張した月とは別の第2の衛星(第2の月)。公転半径103万km、公転周期119日、会合周期177日で、直径は700kmあり、「特定の時間帯に見ない限り、望遠鏡なしでは観測できないほど太陽光を反射しない」「夜、太陽のように輝くことがあるが、1時間ほどしか輝かない」と説明された。この第2の月は結局観測されず天文学界からは否定されたが、20年後イギリスの占星術師のセファリアルが「ほとんどの時間帯において目に見えないほど暗い月」というウォルテマスの月の性質から、この存在しない「もうひとつの月」をリリスと名付け、占星術に取り入れた。


と、天文学的な根拠は全くなく(!)
トンデモな感じの経緯で設定されたのがダークムーンリリス。

でも神智学協会然り、
サビアンシンボル然り、エドガー・ケイシー然り、
この時代にはなぜかやたらと
「霊的に降りてきた系」の概念が百花繚乱で
それはきっと物質主義の近代社会が発展する流れへの
カウンターとして人が無意識の中から
編み出したものなのだと思うのですね。

だからトンデモと切り捨てるにはもったいない
私たちの中の無意識の野生」を
形として残そうとした概念ではないかと思うのです。

しかも「黒い月」の伝承は世界各地に残っているそう。
そもそもが満ち欠けをする月の「光る面」と「黒い面」というのは
私たちの無意識に強烈な影響を与えているはず。
「満ち欠けすらしないダークサイドの月」
霊的に感知した人がいてもおかしくはないと思います。

☆月の複雑な設定が、現実に生きることの複雑さを教えてくれる

で、このダークムーンリリスが
いわゆるリリスと何が違うのかと言いますと。
複雑なので順を追って書いてみます。

まず月が「体・母性・インナーチャイルド・情緒」を象徴するのに対して
一般的なリリスは「深い欲求・タブー・非服従」を象徴します。
月が【無意識の自動的な反応】であるのに対して
リリスは【現実への非服従や拒絶、そして際限のない欲求】を表します。

これって、すごい裏表の関係ですよね。
現実に適応するために
「無意識の反応パターンを決めてしまって安心する」月に対して、
現実の制限から逃走すべく
「内なる欲望やファンタジーをエネルギー源にして反抗する」リリス。

月とリリス、結局はどちらも
『心が”肉体を持って生きる現実と制限”にどう反応するか』です。
いやはや生きるって大変なことよ。

つまり月というものは
「肉体をもって生きる上での安心」と
「その制限への怒り」の
両面を持っているのだなぁと気づきます。
どっちも生きるエネルギーで大切なものですよね。
「女性性の受け身な側面と、能動的な側面」ともいえるかもしれません。

とりわけリリスは月の遠地点なので
「地球から反発する」性質を持っています。
リリスは物質に捉われない自主性や創造性、ファンタジーの源でもある。
これは「現実の制限よりも想いが先」という
人の心のポジティブな側面でもあって、
私たちの創造性を引き出してくれるものでもあると思います。

で、で。
ダークムーンリリスは、リリスのさらにB面という感じ。
生き物としての原始的な欲求やファンタジー、
怒り、そして絶望
をも司ります。
いや、濃い。怖いです。でも黒い月って感じしますよねぇ。
私の中でダークムーンリリスは
タロットの月のカードのイメージがぴったりきます。

水の中から這い出てるザリガニ。吠える犬。動物的本能や爬虫類脳が露わになる「月」のカード。


☆ダークムーンリリス考察。根源的なファンタジーと恐怖心

いわゆる月が「白い月」であるなら、リリスは「黒い月」。
物質世界に対する反応の白と黒、みたいな対比です。
適応するか反発するか。どちらも実際のやりようがあるという感じ。

対してダークムーンリリス。
これは「幽霊の月」みたいな言い方が合っているかもしれません。
見えない月。幻の月。
現実に適応することも反発することもできず、
ただ中空をさまよい続けるしかない心の領域。
心の中の「余り」がふくらんでしまった行き場のない世界。
占星術の解釈では「生き辛さ・虚しさ・破壊衝動」などを司ります。

スケールが小さい例えですが、
子供の頃の寝る前の暗闇が怖く感じたり、
たまたま外でいつもと違う家族の表情を見たら怖くなったりする感覚

当てはまるかもしれません。
「気のせいだよ」「問題ないよ」と言われたらそれまでなんだけれど
気になったら心が捕まってしまう迷妄。
これってきっと、人類が共通に持つ根源的な恐怖心なのかもですね。

頭が認知エラーを起こして、
心の中に広がってしまう恐怖の妄想ワールドとでも言いましょうか。
そして「もうヤダ!むきー!怖い―!」とすべてを壊してしまいたくなる。
頭と肉体と心のずれ、生きているとどうしても付きまとう
煩わしさや絶望、みたいな感じでしょうか。
※そうそう、自分のダークムーンリリスはastrodeinstで出せますよ。
 「追加オブジェクト」の
 「他のホロスコープ要因と「仮想」惑星のリスト」から
 「H58 Waldemath Black Moon」を選択してください。
 ちなみにこの欄を見ると、仮想の惑星が山ほどあってびっくりします(笑)

誰しも心の中にそんな側面を持っている。
その感覚を「ま、そういう気分の時もあるよね」と明るく突き放せるか、
「生きるって恐ろしい」とじーっと見つめてしまうかは人それぞれ。


ホラー作家さんは、子供の頃に抱いた言われようのない恐怖心が
作品を書く動機になっている
という方が
けっこういらっしゃるようなのですが
これはとてもダークムーンリリス的だなぁと思います。
それは誰しもが無意識に持っている感覚ですが、
そこに強い関心を惹かれて作家やアーティストになる人もいるでしょうし、
迷妄的になって自己破壊的な生き方をしてしまう人もいるのだと思います。

ダークムーンリリスはやり場のない心の磁場のようなもの。
内なる幽霊との付き合い方は、感情的に引きずられることなく
「そこにいていいよ」と優しく認めて成仏させるしかないのでしょうね。
それには理性と自主性をもって
肉体と心を丁寧に扱う姿勢(つまり愛♡)が必要
です。
生きていく上での矛盾や葛藤はあることがおかしいのではなく、
あって普通なのだと、人が体と心を持って生きるのって結構大変なのだと、
シンプルに理解すること。

先ほど、ダークムーンリリスは
タロットの月のカードを連想させると書きましたが、
このカードもすごく面白い絵柄なんですよね。
月が大きく宙に表れて、犬たちが吠え、川からはザリガニが這い出てくる。

月は私たちの肉体・情緒、つまり動物的な本能を表します。
月には、物質世界で生きるための
動物的な本能や過去の記憶が凝縮されている。

それを認めて、引き受けること。
そうしたらタロットのデッキは次の太陽へと進んでいくんですよね。

私たちの中のプリミティブな欲望や恐怖は
脳の深いところでいつでも生きていて、
ひょんなことで刺激されて現実をも凌駕するパワーを出すことがある。
でもそれは過去の遺物であり、
それを生のまま出しても不合理すぎて使えない。
(「無限に食べたい」とか笑、敵はみんな倒さなきゃ!とかね。
 逆にすべてがワンネスだった記憶も深いところであるでしょう)
その痛みを、記憶を、
意識の光を当てて変容させていくのがこれからの世界。


と、長々と書きましたが
今、自分がこのトピックが気になったのには
理由があるなぁと感じています。

最初に書いたように、
今、冥王星が山羊座から水瓶座へと移る最後の期間であること。
月は冥王星とオクターブの関係性であること。
今、さまざまな膿み出しが進んでいる最中で
私たちの中の「どうにもならない絶望」の取り扱い方を
丁寧に意識的にすべき
だということ。

時代は「月を抱いて越えて、太陽へ」というタームに進んでいっています。
月の扱いは本当に一筋縄ではいかないので、
その構造を丁寧に見ていくことが必要かなと思っています。
私たちの月(心と肉体)は安心と反発、誤解や絶望とをすべて含んでいて
心の世界はとても多重的で繊細なのだと理解しないとうまく扱えません。
自分の心身を丁寧に扱ってこそ、太陽の領域へと進めるのでしょうから。

先日の天秤座の新月日蝕にリリスが重なったということは
私たちが心の中にあるタブーや秘密をまっすぐに見据えて、
手放していくべきだということ。

そんなわけで、
体を丁寧に扱うこと、心をよく見てケアすることの大切さを
ますます感じる最近です。
さまざまな統合医療というのかな、
冷え取りにもアーユルヴェーダにもタオにも、
とても繊細な技術と世界観、心身への扱いがあるのですよね。
私は改めて、そこに大きな希望と関心を寄せています。