表現の自由をめぐる議論について②
以前書いた、「表現の自由をめぐる議論について」については、多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。今回は別の角度から、表現の自由について考えてみたいと思います。
私は今まさにこうやって、表現活動を行っています。表現の自由は日本国憲法にも定められた大切な権利です。ただ、日本国憲法には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」(21条1項)とあるだけで、その後の代表的な判例においても、近年の状況にアップデートされたものは出されていません。近年の表現をめぐる状況の問題のうちの一つが、以前書いた内容。一言でいうと
こういうことです。もう一つは、最近事故の被害者の方や、スポーツ選手に対するSNS等での誹謗中傷がひどいということで問題となっています。個人的には、なぜ彼らがこの標的になっているのかが分かりません。これについては以下のような指摘があります。
それにしてもひどい話です。事故の被害者をSNSで中傷した人は、被害者の方が法的措置を採ることを示唆すると、謝罪したそうです。スポーツ選手の方は、具体的にいうと大坂なおみ選手のことですが、大坂選手は個人で戦っている選手だし、試合の結果はすべて個人に帰属するはずなのに、何が気に入らなくて彼女を中傷しているのか、全く理解に苦しみます。団体競技において、大切な試合でミスをした選手が責められるというのは、百歩譲ってあり得る話です。しかし、大坂選手はそうではない。もともと精神状態に波があるとされている大坂選手が、このような中傷に接することによって、さらに成績が落ち込み、そしてさらに中傷されるという悪循環に陥っている可能性もあります。可能性があるとすれば、日本人と外国人のハーフである大坂選手が、日本人としての立場と外国人としての立場を都合よく使い分けているという指摘があるという点ですが、それは彼女のアイデンティティの問題であり、全く批判されるいわれはありません。
こうした動きに対応し、政府では刑法を改正し、SNSなどでの誹謗中傷が起きた場合に、懲役刑を科することができる法令案を閣議決定したそうです。
しかし、この方針が発表されると、「政府への批判がこれによって取り締まられる可能性がある」という声が噴出しました。もっともなことです。そもそも、政治家とは批判の声も含めて国民の声を聞き、それを政策に生かすのが仕事のはず。実際には個別の案件について、量刑を決定するのは裁判所の仕事なので、政府批判をしたことにより立件されたとしても、その結論は裁判所によって導かれますが、かたや政府、かたや一個人では勝負は最初から決まっているようなものです。先ほどの私人間の話とは全く次元が違います。こういう方針を見ると、政府が自らの身を守るためにやっているのではないかという疑問が沸き上がるのは当然のことです。
次に、表現の自由に関する問題として重要だと思うのは、確かに表現は自由だけど、自由には責任が伴うよね。ということです。よくSNSのプロフィール欄に、「ここでの記述は私が所属している団体とは無関係です。」というただし書きがあることがあるが、その肩書や名前を出している以上それは単なる責任逃れだと思います。そういう意見を、自分の名前が出ている場で出すのであれば、それに対して責任を取るべきだし、責任が取れないのであれば、内心にとどめておくべきだと思います。
ということを最近殊更感じるのは、ニュース番組とかで、ただの「タレント」とか「芸人」とかが、ちゃんと責任をもって、その「意見」をしゃべっているのかという疑問からです。そもそも「タレント」というのは日本にしかない職業と言われていますが、その人にしかできない仕事だから「タレント」と呼ばれているのであって、それがワイドショーでご高説をたれることなのかと、もっとその人にしかできない仕事をするべきだと、私は思います。芸人は、劇場などでネタをしてなんぼという世界のはず。世論にかみつきたいのであれば、それをネタ見せの場においてやるべきで、ワイドショーなんかでやる話ではない。
https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2022/03/post-104.php
最近の大きなトピックとしては、何と言ってもコロナとウクライナなのですが、コロナにしても、最初は何もわからなかったわけで、その中で、感染症が専門の研究者の方が、過去の類似の例を取り出して、こうなるのではないかとあくまでも推測で発言をしてきました。ウクライナの件にしてもそうです。情勢は刻々と変わり、そのたびごとに取るべき対策も変わってきます。ましてや情報の伝達も不十分だし、情報統制がされて、本当に正しい情報が日本に伝わってきているとは限らない。現地に取材に行くことも困難だ、という中で、なんとか現地の事情を長年調査研究してきた人達が、推測で発言をしてきました。そんな中、何の学もない芸人やタレントが、断定的なことを言えるはずがないのです。若い人はネットを駆使して色々な情報を得ることができますが、ネットも使えない中高年齢層は、専門家が色々配慮して、玉虫色の結論を出しているのに、横で若者が断定的なことを言うと、それになびいてしまうのではないかと心配される向きもあるようですが、そういうのに対しては、専門家の意見に対しては傾聴しつつ、それ以外の人については、「若造のくせに何を偉そうなことを」という態度が最も適切だと思います。あとは自らの人生経験を踏まえて判断すればいいと思います。そういう態度の人が増えると、テレビ局も素人に意見を求めることはなくなっていくのではないかと思います。
その意味では、タモリさん司会の番組でウクライナのことが取り上げられたときに、タモリさんが取った態度は称賛に価すると思います。私は見ていないのですが、見た人の感想によると、
という感じだったそうで。タモリさんは自分の立場を分かっておられるから、こういう対応ができるのだと思います。「俺が俺が」という立場でもないし、もともとそういう人でもないし。地学と鉄道とジャズが自分の守備範囲なので、それ以外のことはあまりでしゃばらないという態度が、多くの支持を集めているようです。
一テレビ局社員(しかも報道の部署ではない)T川さんとか、中卒で前科ありの俳優(最近俳優として見てない)のS上さんとか、元政令指定都市市長で弁護士のH下さんなどは、是非タモリさんの爪の垢を煎じて飲んでほしいものです。