イギリスの絵本棚から - 'If all the world were' by Joseph Coelho & Allison Colpoys
2020年の春、日本にいる祖父が亡くなりました。私をとても可愛がってくれた、厳しくも温かい、大好きな祖父でした。
その年の夏、ロンドンの本屋で5歳の娘に絵本を選んでいたときこの表紙が目にとまりました。おじいさんと、孫と思われる小さな女の子が手をつないでいるイラストです。最初の数ページをぱらぱらめくると2人のほのぼのした交流の様子がとても美しい色彩とタッチで描かれていました。残りは家で娘と読むときのお楽しみにしよう。私は深く考えずにその本を他の数冊と一緒にレジへ持っていきました。
ところが数日後、家で改めて読んでみると、この絵本はおじいさんと孫の死別のお話だったことがわかりました。主人公は女の子。いっぱい愛情を注いでくれた祖父との思い出、買ってくれたおもちゃ、自然の中で教えてもらったこと、膝の上に乗せて話してくれた物語、そして、作ってくれた手作りのノート。おじいさんが亡くなり空っぽになってしまった1人がけのソファを見て女の子が泣いています。祖父が死んでからまだ間もない私とって、このストーリーは直接的で、思いがけず涙が溢れてきてしまいました。
90代で亡くなった母方の祖父は岐阜県に生まれ、旧制大学で工学を専攻。戦時中は戦闘機「ゼロ戦」を作る愛知県の工場で働き、終戦後は岐阜で高校の数学教師をし、定年退職後は夫婦で農業をして暮らしていました。私は幼い頃から京都の学校が休みに入ると、母と一緒に祖父母の岐阜の家へ行って過ごしていたのでそこでの思い出がたくさんあります。
祖父は先生のように孫の私を「あやこ君」と呼び、祖父の家で朝寝坊をしたり、ぐずったりすると「しゃんとしなさい」と厳しく叱りました。けれども小さい子どもや動物の世話が好きで、夏休みが近づくと「虫取り網と虫籠を買っておいたよ」「竹とんぼを作ったから一緒に遊ぼう」「文鳥を飼ったから楽しみにしておいで」と電話をくれ、冬休みの雪が積もった日はかまくらや滑り台を作ってくれて、春休みに土を一緒に耕したときは畑で鍬を持った私とカエルを描き「あのときは冬眠していたカエルさんが土から出てきてびっくりしましたね」と、後日達筆な文字を添えて絵手紙をくれました。
祖父の老衰がすすみ、寝たきりでもう目も開けられなくなってきたと聞いたとき、お別れの日が近づいてきていると感じました。日本がコロナ禍に入る直前で、病院にまだかろうじて面会に行くことができた2020年3月初旬に、私は仕事で一時帰国をしていたので岐阜へ向かいました。弟と母と3人で入院先の病室にいくと、痩せて衰弱した痛々しい祖父の姿がそこにありました。「じいちゃん、あやこだよ。ロンドンから来たよ」そう言うと、祖父はすこし目を開けて何か言おうとしました。口が開いたままだったので喉が乾燥していたらしく、かすれたうめき声しか聞こえませんでしたが、私のことを分かってくれているようでした。
「今までありがとう」 そう伝えることは、「あなたはもうすぐ死ぬんですよ」と死の宣告をするのと同じくらい残酷で、遺される側の自己満足かもしれないと迷いました。けれども元気だった頃に「もう友人たちはほととんど死んでいなくなったから死ぬことは怖くない。静かに、自分の番がくるのを待っとるだけだ」と言っていたのを思い出し、私は泣きながら「じいちゃん、小さいころたくさん遊んでくれて本当にありがとうね」と言いました。すると祖父は、目を閉じたままでしたが、こんどははっきりと声を振り絞って返事をしてくれました。「寂しくなるな」 もう会えなくなるのが寂しい。でもお別れだね。そう言われた気がしました。それが、私と祖父の最期の会話でした。
その数週間後、祖父は亡くなりました。イギリスはロックダウンに入った直後で私が日本へ帰国することは叶いませんでした。葬儀は身内の数名のみ。母が送ってきた動画をみても実感がわかず、心の整理ができずにコロナ禍であることを悲しく思いました。
昨年、祖父の遺品を片付けていた母から私の携帯電話に数枚の写真が送られてきました。文房具屋で売っているような何気ないプラスチックのファイルの表紙に祖父の字で書かれた私の息子の名前。それは私がロンドンから岐阜へ時々送っていた、赤ちゃんから幼児の頃の息子の写真がきれいに収められた祖父手作りのアルバムでした。私はまた号泣してしまいました。海外に住んでいて会えないひ孫を恋しがり、飼い猫にひ孫と同じ名前をつけ、帰国時に顔を見せにいくととても喜んでくれた祖父でした。
' If all the world were… ' この絵本の中で、小さな女の子は祖父の死を少しずつ受け入れていこうとします。おじいさんはもういないけれど、心の中には一緒に見た景色や言葉がちゃんとのこっています。女の子は、亡くなったおじいさんのソファの上に遺されていた、おじいさんが作ってくれた新しい手作りのノートに2人の思い出の言葉や絵を記していきます。春の花の花びらを入れて漉いた紙のカバーにインドの伝統的な紐で綴じたノートです。表紙にはおじいさんの字で女の子の名前が書かれていました。
最初から最後まで、この絵本には悲しみを強調するような暗い色は使われていません。優しく明るい色だけをたくさん使って楽しかった日々を振りかえり、読み終えたあとに温かい気持ちと安堵感が残るよう工夫がされています。5歳の娘の祖父母はふた組ともまだ健在で、このストーリーはある家族の物語として映っただけに過ぎなかったかもしれません。けれども私にとっては、女の子と自分を重ねて、いなくなった大切な人との時間を愛しく思い出すことができた本でした。
'If all the world were…'
文 Joseph Coelho / 絵 Allison Colpoys / Frances Lincoln 刊 / ISBN 9781786036513
おじいちゃんは私に虹色の芯の鉛筆をくれました。
「書いて描いて、書いて描くんだよ。君の夢ぜんぶをね。」
ちいさな女の子と祖父との愛情についての詩的な絵本。そして、思い出を通して愛情はどうやって生き続けるのか。
賞賛を受けた詩人ジョーセフ・コエロと、受賞歴のあるアーティスト、デザイナーであるアリソン・コルポイズによる作品です。
ー 出版社広告文より ー
Text - Ayako Iseki
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