Tiny bubbles
4.涙溢れて
<As tears go by
by Andrew Loog Oldham,Keith Richards and Mick Jagger(1964)
It is the evening of the day
I sit and watch the children play
Smiling faces I can see
But not for me
I sit and watch
As tears go by
My riches can't buy everything
I want to hear the children sing
All I hear is the sound
Of rain falling on the ground
I sit and watch
As tears go by
It is the evening of the day
I sit and watch the children play
Doing things I used to do
They think are new
I sit and watch
As tears go by
(大意)夕方に子供達が遊ぶのを見てる
笑顔が見えるけど、それは僕のためじゃない
座って見てたら涙が溢れてきた
欲しいものが全てに入る訳じゃない
子供達の歌声が聴きたいだけのに
聞こえるのは地面を叩く雨音だけ
涙が溢れてくる>
大学生の頃、よく実家の近くの野球グランドの有る大きな公園でベンチに座ってボーッとしていた。前の日の明け方近くまで、自分の部屋で酒を飲みながらヘッドホンを着け、大音量でクリムゾンやツェッペリン、ボブ・マーリーなんかを聴いていて、二日酔いで大学まで行く気力は無く、かと言って家にいて「酒ばっかり飲んで学校にも行かず何やってんの」という母親の無言の圧力に耐える力も無く、大学へ行くと言って近くのグランドで何をするでも無く時間を潰していた。
思えば、あの頃はいつも宙ぶらりんな気分だった。高校時代に読んだドキュメンタリーに影響されて、将来は新聞記者になろうと思っていたが、そのドキュメンタリーの著者の新聞記者がどんどん過激になり新聞社を辞め、「日本の大手メディアは全てプチブルで政府の傀儡だから、若者はそんなメディアに入る事を目指すべきではない。」などと発言したので、そんなものかと思い新聞記者への道は諦め、今度は「音楽は、ロックは世界を変える!」というテーゼに乗っかり、毎日夜中までロックを聴き、自分でもバンドに入りドラムを始めてみたが、これが全く才能が無く、一人前のドラマーには絶対なれない事にすぐに気がついた。大学へ行ってもクラスメイトと近くの雀荘で麻雀をするか、名画座で3本立ての映画を見るだけの日々だった。多くのクラスメートが遊びと学業を両立していて、卒業後は所謂一流企業に入る事を目指していたが、そんな彼らの考えには全く共感できず、かと言って自分には目指すものは何も無かった。はっきりしていたのは、僕は何にもなりたくないという事だけだった。
そんな日々の中、公園でボーっとしているとそこでは多くの子供達がいつも野球をしていた。近所の暇なおじさんが俺がノックしてやると言って無理やり子供達の中に入ろうとして、嫌がられたり、喜ばれたりしていた。そんな風景を見ながら、二日酔いで頭の回らない中、「僕の人生はこれからどうなっていくんだろう?社会になんか出ないでこのまま宙ぶらりんの時間がずっと続けて行けるなら、それもそんなに悪くないような気がするな。でもこのまま一生無為に過ごし続けて死ぬ事になったら、僕の人生には何の意味が有るんだろう?いや、無為に過ごす過ごさないに関わらず、そもそも僕がここに存在する事に一体どんな意味が有るのだろう?」などといった事を取り止めもなく考えていた。