こどもの日と私の家族
このnoteは2021年の5月に下書きをして、
心の整理のために書いたのに、公開する勇気がでずに下書きに溜めていたものだ。
父は、2021年の8月に亡くなる。
父の癌を知り、会いにいくことができずにいた時の私の心の中の話。
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父の癌が先週発覚した。
両親は山口県にいて、もう1年半は会っていない。
夏休みもお正月もGWも全部コロナで帰省することはなかった。
電話越しに聞いた「お父さんが体調が悪い」という連絡から数日後、癌だったと報告があった。いくつも想定した最悪のパターンの中の一つだった。
里帰り出産のためいま実家にいる8個上の姉はその報告がショックで部屋に閉じこもってしまったそうだ。
東京にいる7個上の兄は私と同じように電話越しに報告を受けたようだった。
私もあまりのショックで受け止めきれない気持ちだったが、1番つらいのは父で、そして母なのは間違いなかった、そんな2人が気丈に話すので、「髪の毛が無くなっちゃう前に写真でも撮って送ってよね」とせめてもの冗談を言い、そうやねと母は次の日から父の写真をよく撮るようになった。
父の入院生活が始まった。母親経由で話を聞くが、抗がん剤の治療はやはりきついらしい。いつ退院が出来るかもわからない。
会いに行こうにも、東京でコロナが蔓延した中で生きている私は向こうに行っても余計迷惑になるだけだった。
私に出来る事は何か。
仕事を休んでも山口県に帰り家族を助けたいと素直に思う自分がいる。そこには一切の損得の感情はない。
「愛されて育った。」
今になってそう思う。
大人になって、様々な家庭環境で過ごした人と出会う。
いわゆる仲良し家族ということではないし、1人で暮らし始めてからは実家より1人の方が楽だとすら思う。
しかし、そんな私にとって両親は理由もなく当然に私のためになんでもしてくれる人だったし。
兄弟の中でも年が離れた末っ子の私は本当に手がかかる、迷惑しかかけない娘だった。何もかもが中途半端で、本当にどうしようもない娘だったと思う。でも、たしかに愛されていた、それはこれ以上ないほどだったと、今は思う。
だが、そうでない人もいる、家族に会いたくもない人もいる。そしてそれは性格が歪んでいるからなどというものではない。人それぞれ、家族それぞれなのだ。
私が気づかないうちに貰っていた家族からの愛は、今度は返さないといけないのだ。愛されている自覚をできる大人になったのだから。
いっぱい愛されたから、いっぱい愛したい。
まだ、これからも。
こどもの日は、家族の日だ。