会社休んで石垣島に行った話。#Day4
石垣から波照間に行く便は竹富島等に行く船に比べはるかに欠航が多いことで有名だ。
前日は全便欠航になっていたため、最悪波照間にはいけないかもしれないなと思いつつ、欠航のリスクが低いと聞いた8:00発の1番最初の船に乗るべく早起きをした。
来る船旅に備え前日はお酒を控えるべきであったが3泊もしたTHIRD石垣島の最後の晩餐に我慢なぞ出来るはずがなかった。
朝食はサラダだけにして、せめてもの船酔い対策をしつつ、曇天の石垣港を眺めながら支度をした。この時点ではまだ8:00の便が出るかはきまっていなかった。安永交通のサイトを逐一チェックし、出航のマークがついたことを確認した。
波照間島に、いける。
持参した酔い止めを飲み、すぐにホテル目の前の石垣港のターミナルに向かった。
波照間行きは1日3便しかないためそれなりに人が並んでいた。事前にwebから予約もしていたが便の指定はしていなかったので最悪乗れなかったらどうしようとも思ったが無事チケットも手に入り「ぱいじま」という船に乗り込んだ。
船には私のような観光客やおそらく地元の人、日本一周中というプレートをつけた自転車の若者などがいた。
船はどんぶらこ状態になると聞いていたが、行きの船はそこまで揺れなかった。それでもスマホはいじらないようにし海をひたすら眺めた。約90分程度かかっただろうか。
波照間島に到着すると、港には送迎の車が並んでいた。
石垣島のホテルはかなり入念に選んだが、波照間については検索して1番上に出てきた「ペンション最南端」という海辺の宿にまず電話をしたがもう空きがないと言うことだったので、急に面倒になりその下にたまたま出てきた「星空荘」と言う宿がなんだかネーミングが良かったのでそこにした。
星空荘は島中央部の集落に位置していたため、港から歩くには少し距離があった。
スーツケースもあり自転車も借りれないので仕方がないので歩こうとしたら、偶然「星空荘」の車を発見し、声をかけ宿で荷物だけ預かってもらうことに成功した。(おそらく同じ日に泊まっていたもう1人の男性が送迎を依頼していた)
リュック一つで身軽になったので早速レンタサイクル屋さんに。港の1番近くのお店はわりと人が居たが、まぁ他にもあるだろうと歩き偶然見つけた西浜荘という民宿で借りた。何かのクチコミで電動がおすすめと書いてあったので電動自転車を借りた。
そこから、「日本最南端の碑」に向け自転車を漕いだ。簡単な道だが一面サトウキビ畑なことと、方向音痴の私は当たり前のように道を間違えた。
この日はこの一人旅で唯一の快晴で、自転車を漕ぎながらその爽やかな風に「サイコーだな…!」と思わず口をついて出た。そして何故かいとしのエリーを口ずさんだ。このときすでに大きく道を間違えているが、なんとなく違うことに気づき、今度は真夏の果実を歌いながら引き返すなどした。
やっと着いた日本最南端の碑にはまだあまり人が居なかったので存分に自撮りを楽しんだ。
(あまり人が居なかったが、船にいた「自転車で日本一周している男性」がいた。むしろ私と彼くらいしか居なかったので旅のテンションで話しかけるべきなのかとそのプレートを見て思ったがあえてスルーした。むしろプレートを掲げるくらいなら向こうから話しかけるべきである)
タイマー撮影に失敗したショット👇
日本最南端の碑周辺は、事前にネットで見ていた波照間島の風景のイメージとは大きく違う、厳しい表情の海岸だった。
一通り周辺を散策すると少し人も増えてきたので少し早いがお昼ご飯を食べにまた自転車に乗った。
Googleマップでなんとなく選んだ、ククルカフェというお店に向かうことにし、これまた方向を間違え、道にいるヤギに不審な目で見られながらもやっと着いた。(この島では人とすれ違うことはほぼなかったが、ヤギはほんとうにたくさんいる)
バリのような雰囲気のカフェは屋外席のみで、店内の営業はコロナの影響か元々そうなのかやっていなかった。
タコライスとさんぴんソイチャイたるものを注文した。この、さんぴんソイチャイがとてつもなく美味しい。ざわわと吹く風が気持ちいいのと他にお客さんも居なかったのでそれなりに長居したと思う。
その後宿に行きチェックインの手続きをした。宿のおばさんはこの宿の使い方や、周辺のお店のこと、島の神様のこと、星空が見えるスポット、日没の時間など大変詳しく親切に教えてくれた。
海帰りでも水着で島内を歩いてはいけない、舗装された道の側にある森のようになっている場所に入ってはいけない。それは、この島には神様がいて、神様の場所だから。とも教わった。
宗教的な空気感に少し怯えたが、島ってこういうもんだけど、普通にしてればいいって事さと言われ少し安心した。ごく当たり前の文化としてあるもののようだった。
「いるか座」という部屋に入り、少し疲れていたので横たわりながら寝そうになったが、この最高の天気の最高の島の時間を無駄にしたくなく私はTシャツの中に水着を仕込み、1番の目的であるニシ浜に出かけた。
部屋は昨日までのホテルとは打って変わって畳に布団を敷くスタイル。かつ、シャワーも共同だ。
宿から自転車で5分程度。
海が見えた瞬間の感動ったらなかった。見たこともないような色の海と真っ白な砂浜は石垣で見た美しい海すら余裕で凌駕するほどの美しさだった。
自転車降りる途中にビーチが見え始め、その美しさにニヤケが止まらなかった。
自転車を降り、ビーチが見えたこの瞬間が一番感動した。
持参した無駄にでかいレジャーシートを広げとにかく写真を撮りまくった。シュノーケルをしている人もいたが少し寒かったので足まで入った。
青い海、白い砂浜に、太陽の中で飲むオリオンビールは温くても最高だった👇
仰向けになって少し寝てみたり、やっぱり海に少し入ってみたり、写真を撮ったりしていると、ビーチ焼けした際どい水着を履いている40代くらいの男性が「ねぇね、写真撮ってやる」と話しかけてきた。おそらく、このビーチで日焼けを恐れず唯一私がビキニを着ていたからだろうとは思うが、人とあまりコミュニケーションを取りなくなかった私は「あ、大丈夫です」と断ったが、そのおじさんは写真を撮ってくれた。
1人では絶対にやらない陽キャショット
そのおじさんは、ビーチから港の方を指差しあのテトラポッドの先の方まで行くとかなりインスタ映えした写真が撮れると教えてくれた。
もう十分目の前の景色も綺麗だしそれなりに面倒な距離感だったのでそんなに興味はなかったが「いいですね」と返すと、行ってみないかと言われ、まぁこう言うのも旅かと思いそのおじさんとテトラポッドの方まで行くことにした。
その人はTさんとしよう、勝手に地元の人かと思っていたが関東の人で、年に何度も波照間島に来るそうだ。すごい馴染みっぷりだったので少し驚いた。そうなるとさっきからの沖縄弁(うちなーぐち)っぽい喋り方はなんだったんかと思いつつ、その件については触れないようにしていた。
映えスポットまでの道は、何故ここを通るんだと言うくらい険しい道で鋭い岩間を歩くこととなり私は大変に後悔をした。落ちたら死ぬと思いながらそっと歩いた。
が、その後悔も吹き飛ぶくらいの景色が広がっていた。
防波堤で、景色を眺めながらTさんと色んな話をした。なぜ波照間にきたのか、波照間がいかにいい場所か、そしてどんな生き方をしているのか、この景色に騙されて島に嫁ぐと大変なことになる、と言う話など。(嫁ぎたいとは言ってない)
そんな話をつまみにTさんは持参したラムをストレートで飲んでいた。(昨日読んだ風のマジムと微妙にリンクした瞬間だ。)
そして驚愕の体幹でテトラポットを飛び移るなどしていて只者ではないと思った。
良い子は真似しないでください。☝️
Tさんは若い頃はバックパッカーをして、そのあとワーホリで行ったニュージーランドで働いた農園の主に仕事っぷりを気に入られ娘と結婚して跡を継いでほしいと言われたこともあったらしい。
その時、馬を貰ったらしいがその馬がとにかくTさんに懐かなかったことでニュージーランドでの生活を諦めたという。その話がかなり面白かったが、本人にとってはたくさんある人生の分岐点のただの一つのようだった。
あの時、馬が懐いてたら多分そのままニュージーに居たんだよなぁと笑っていた。
今はバツイチで高校生くらいの娘と息子がいるらしかった。離婚したのは俺が自由すぎるから、と言っていたがたしかにこの人に結婚とか家族は少し向いてないだろうなと思った。
なんで今日会った若いお姉ちゃんにこんな身の上話してるんだろうな、と笑いつつ家族の話をしているときは幸せそうだった。
話を聞きながら、この人は、自由と引き換えに孤独になった人だと思った。でも全く不幸でも寂しそうでもなかった。こういう生き方もある、そして、良い。
Tさんには私は大学の卒業旅行で来たものだと勝手に思われていたが、(何故か一緒に来る予定だった彼氏と直前で別れたため1人できたというアナザーストーリーまで入っていた)
私は大学生ではなく27歳の社会人であること、仕事と人間関係に疲れてひとり旅に来て、波照間は星が見たくて三脚持ってきたことを話した。
「やっぱりなー!なんか訳がないと来ないよなぁ」と笑いながら、「人間関係はどこに行ってもあるね〜」と続けた。その発言に、一瞬例の上司を彷彿させられたが、続けた言葉は私の上司とは全く逆だった。
「嫌になったら逃げる、こうやって波照間きて綺麗な海見て、戻ったらそのあとはしばらく人に優しくいられる、優しくなれなくなったらまた波照間に来る、俺はそうしてるんよ」
島で出会った得体の知れないおじさんの言葉に、この旅の意味を気付かされた。
逃げる事は負ける事だと心のどこかで思っていた、そうじゃないと思おうとしても、心のどこかでは自分は逃げた、どうしようも無い人間。そう思っていた。今回お休みをした事で私はその上司に負けたのだと思っていた。でも、逃げたから優しくなれたなら負けでもいい、そう思えた。優しくいることは、私らしさでもあるのかも知れないのだ。
「ねぇねは夢あるか?」
Tさんの偽物のうちなーぐちでそう聞かれたとき、すぐ答えられない自分がいた。
少し考えてから、「好きな人と好きな場所で生きて、たまにこうやって綺麗なものを観に来れる生活が夢。ですかねぇ...」と答えた。その答えがその時の私の全てだった。
大したことのない答えに何を言われるかと思ったら、「それが1番いいことよ、よーくわかってんな〜」と笑っていた。
夕日が見たかったので、一旦宿に戻り近くの売店で食べ物を買い、レンタカーを返却して、また海に戻った。もうビーチの人はかなり減っていたが、Tさんはまだビーチにいた。
その後も2人でいろんな話をして、夕日を待ったが雲が厚くて残念ながら見えなかった。
次はいつ来ようか、おすすめのシーズンを聞いた。Tさんはすでにゴールデンウィークの便を予約したとのこと。
宿まで送ってくれ、波照間のいろんな話を聞いた。今度は、その時教えてもらったみんぴかというかき氷のお店にも行きたい。途中、Tさんの馴染みの?ヤギを撫でたらパーカーを食べられかけた。
Tさんは、酔っていることもあったが本当にねぇねと会えて良かったわぁ、楽しかったなぁ、と繰り返した。こちらこそありがとうございましたともいい星空荘に戻った。
昼間は気づかなかったが、日焼け対策を怠っていた私は日に焼けた、そして日に焼けるだけならまだしも、おいおい痛くなったため日焼け対策は必須だ。
宿に戻ると、シャワーを浴び夕方売店で買ったお刺身とお酒を飲んだ。共用スペースで食事をしていると、この日私以外に泊まっていたもう一人の男性が通りかかった。こんちは、と挨拶をし、少しだけ会話をした。その人は私と同世代の20代後半くらいの人だった。広島からダイビングが好きで来たという。
最南端の地で同じ日に同じ民宿に同世代の男女が泊まっているなんてなにかしらの運命を感じ、これは恋に落ちるやつか?とも思ったが
特に何もなかった。
夜になると、雨が降り始めた。星は全く見えなかった。三脚まで持参した私は諦めきれず夜中に何度も起きて外を確認しては雨が降ってることにがっかりした。
同時にでもまぁ、また来るしいいか、とも思った。ひとり旅の良いところは気持ちの切り替えも勝手にできるから良い。
旅行中の天候については本当にどうしようもないものだが、こんなとき同行者がいると相手はショックを受けてないだろうか、ついてない旅行だとか思ってないだろうか、などと考えなくていい。
翌朝も雨だった。
元々1便で石垣島に戻る予定だったので問題なかったが、雨の波照間はなんとも悲しい気持ちにさせる。
朝ごはんを食べた後、雨を見ながら母親に電話をし波照間の話をした。
いつか、あの綺麗な海を両親に見せたいとも思った。
コロナもあり、山口県に住む両親とはしばらく会っていない。今回の旅行もコロナに対する意識が高い田舎に住む母親には相当引かれたが、それでも私はひとり旅に行った。
「行きたい時に行かないと、東京に居たら私は治らない」と言い張った。自分勝手な行動である事は間違いないが、私の人生は私しか生きないのだ。だから、行きたい場所には行ける時に行く。そしてそれが行くべき時なのだ。
波照間は二面性のある場所だ。
ニシ浜の美しくおだやかな表情と最南端の碑付近の近寄り難い厳しい表情。これはきっとこの島にいると言う神様が作り出した、自然の怖さを忘れるなよと言うメッセージなのだろう。
民宿と売店といくつかの飲食店、そのどれもが外の手が加えられてないものばかりだったし、ここにしか流れていない文化やら空気が色濃く残る場所だった。そしてそれが私は好きになった。
また来ることを誓い、行きと同じ型の船に乗り込んだ。帰りの船はかなり揺れた。
今回私のひとり旅は5泊したのでもう1泊分、石垣島に泊まったが、大したエピソードもないため旅行記はこれにて終了とする。
3月に行った旅行の記録を6月に書いてしまったが、旅行の細部まで今でも鮮明に覚えている。
私はこの旅行を終えて数日後また東京で元の職場に戻った。現実は厳しいことも多いがまた波照間ブルーを見に行くことを楽しみに生きている。
また、波照間島に行きたい。