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小説 ちんちん短歌 第27話『心(シン)が死ぬ』

 心臓に近い位置だ、と思った、建。
 左の脇の近くに、女から投擲された匕首が突き刺さっている。

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「ここを強く打つとね」

 左胸の乳首の先に、冷たい青銅の矛の切っ先が触れる――これは走馬灯なのかもしれない。大伴家持から武技を習った時の事を思いだした。
「死ぬのよね」
 当時、10歳くらいか。建が奴隷になったばかりの頃。裸でちんちん丸出しの建に、大伴家持は青銅の矛を突き付けた。

「基本、殺すときに狙うのは頭。次は首。だいたいそのあたり、兜や鎧で守られているでしょう。だから吾は、胸ね、狙うの。左胸あたり、突くとね、胸骨をうまいことすり抜けると、死ぬ」

 家持は片手で矛を操ると、何度も何度も建の胸あたりめがけ矛を突き、寸止めする。
 建、動けなかった。動いたら死ぬ、と思っていた。実際、家持は動いたら死んでもしょうがないよね、くらいのつもりで矛を操っていた。

「心(シン)があるのよ、ここに」
 また、突く。
 家持は個人武勇でいえば、奈良時代最強の武官でもあった。

「心が一番、身体に近い。……頭や首撥ねって、死にとって間接的っていうか、無理やり命から身体を引きはがしてる感あるのよね。だから、いい敵に巡り合った時、吾はなるべく、心を刺して殺すようにしてるの。頑張って、考えて、よく狙って、心を、一気に突き刺して、殺す。そうすると、身体の力を抜いてあげられて、ちゃんと死にさせてあげられる。ちゃんとよ。ちゃんと死ぬの。ちゃんと死なせるって、敬意って感じするし。……建も誰かを殺すときがあれば、頑張って狙ってみて、心」

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 そんなの言われたことを、なんか思い出していた。
 心(シン)を突かれて身体全体が壊れて死ぬ感じ。ああ、今ならわかるかも。悲鳴を上げている自分とは別に、分離して客観的になっている自分がそう思う。きれいに力が抜けて、血も出て、ああこれはー死ぬなあ、と建。

 でもまあこれまで、何回も死んでるしな。下痢で死にかけたし、強姦されそうになって死にかけたし、老婆のまんこから出てきた火の鳥に脳天を焼かれて死んだし、地獄に落とされたり、一回死んでアフリカに飛ばされ、でも、そう、そこでも、死にかけた。

 何回も死ぬと経験になるけど死に癖がつくしやめたほうがいい。
 そう思った。思いながら、やがて悲鳴も出なくなり、失血が多くなって膝をつき、力が抜け、気を失いかける。
 その体を、後ろから掴まれる。

「建さん、しっかり」

 石上兎麻呂だった。
 さらにその両脇から風のように二人の大男が、倉庫群の奥へ駆けていく。二人は、髭もじゃで奇妙な上着を着ており、両手には何か箱のようなものに弓が横になってるやつがついてる……あれは――?

 ややあって、シャッ、シャッと弦の震える音と、うめき声と、身体が崩れ落ちる音。
 その間に、兎麻呂は自分の服を破り、布をわきの下から胴体に通して、手慣れた手つきで止血をする。その力がすごく強い。だが、この締め付けのおかげで、血が、ギリギリ外に出ていくのが防がれた。

「兎麻呂、さん……?」
「しゃべんない方がいいです。あと、できれば目を閉じていただけると……」
 すると、先ほど奥へ走っていった二人のもじゃ大男が、なにかちんまりとしたものを背負って戻ってきた。一人は、さっきの黒衣の女を担いでいる。手には、変な弓。あれは……「弩」?

「あー、見ちゃいました? 建さん」
「え、あ、はい……それにあれ、あの大男の方、蝦夷(エミシ)の方ですよね。たしか、敵の異民族の……え? え?」
 兎麻呂、止血を終えて建の顔を見たが、明らかにがっかりしていた。

「これで私、建さんを殺さなければならなくなったじゃないですか……」

「ケノ」と呼ばれるクニが、ツクバの北西にあった。
「ケノ」、もしくは「ケヌ」あるいは「キヌ」「クヌ」、あるいは「ケロ」とも「ケロケロ」ともとも呼ばれ、要するに「毛の」国であり、つまり蝦夷、つまり、毛がもじゃもじゃのネアンデルタール人のテリトリーだった。だいたい、森と山の中の川が境界線となっていて、その川の名前は「キヌガワ(鬼怒川)」なんて名前だったりする。
 で、「毛の蝦夷」からヤマト勢力圏への侵攻を防ぐ、という事が、常陸太守の仕事であり、その補佐官である兎麻呂も表面上は「毛の蝦夷」と戦っているテイで、このツクバの地を守っていたはずなのだが。

「こちらの大男は、ケロケロのケロッピ(毛呂婢)、こっちの、鼻が削がれてちんちんが二つあるほうが、ケロケロのクロッピ(黒婢)と言います」
 建は、倉庫の中の一室に寝かされ、そのケロケロの二人にさらなる治療を受けている。
 二人はこういう傷に手慣れているのか、サクサクと建に治療をしてくれる。

 その建の横に、人間だったものが寝かされていた。先ほどの黒衣の女だ。
 一応治療をしようとした形跡があったが、兎麻呂が途中で止めさせたっぽい。
 死んだのだろう。

 建の方は、傷の強い痛みは引いたが、じくじくとしたつらみが残っている。傷口の熱もすごい、感じる。熱い。すごく。突っ張ったような感じと共に。熱い。痛熱い。

「……蝦夷の人を部下にしてるって事は、兎麻呂さま、あれですか。」
「もー。察さないでいてくださいよ、もーう。」

 異民族の敵と結んでいるという事は、味方に、つまりヤマトに反乱を起こすつもりなのだろう、兎麻呂は。ヤマトっていうか、政権を握っている藤原氏にか。
 ろくに穀物の取れないムラに異様な倉庫が沢山ある秘密も、分かった。建の視界の先に、たくさんの、四角い箱のついた変な弓――「弩(クロスボウ)」。この時代の最先端の殺人兵器が、何百と置かれている。ケロケロの二人がさっき使っていたものだ。

 弓は熟練を必要とするが、弩はただ、銃爪をただ引くだけで、素人でも遠距離の人間や動物を殺せる。
 無能な人間でも殺人者に変える事ができるこの兵器は、遠く漢土では決戦兵器として、戦車(チャリオット)と共に重要視されていた物であり、またその複雑なメカニカルは、都の匂いがプンプンする。ああ、兎麻呂さん、こういうの好きだよな、きっと。

「建さんには何も知らない状態で、家持様に準備が万端であることをお伝えしてほしかったのですが……」
 なるほどなあ。なまじ建が事情を知っていては、建が途中で藤原系の政敵につかまったとして、情報が洩れる可能性がある。家持には「準備ができてるっぽい」と伝えさえすれば察するだろうし。

 今の常陸太守が藤原系の人間(藤原清河)が唐からのリモートで任命されており、その隙に、反藤原である家持と連携して、兎麻呂は太守から実権を引きずり降ろそうとしていたのだった。

 そのための武力として、この村に棲むだめ人間、よわ人間でも人を殺せる「弩」を密かに集め、さらには、敵である「毛の蝦夷」を手懐け味方にしていたわけなのだが。

「密偵が来てたんで、泳がせてたんです。その、女ですね」
 死んだ女。体つきは、童女以上少女未満。こんな若い年齢の女が密偵なんかするんだ。

「密偵が何を知ろうとしてるのか知ろうとしてたんですけど……まさか建さんと遭遇しちゃうなんてなあ」
「……その女、かなりの使い手。ちっちゃいのに」
 ケロケロの、ケロッピの方が口を開く。
「弩が無ければ危なかった。恐るべき脱手鏢(だっしゅひょう・手裏剣術の事)の手腕です」
 そうなんだ。
「この歳で、君ら二人にそういわせるなんて、あれだね。この子、よほど絶望してないと、こうはなりませんよねぇ」
 兎麻呂はしみじみと語る。
「そんなわけで建さん、この密偵、プロですから、そんな簡単に姿現すようなヘマを普通はしません。……。何かしたんですか」
「……歌を」
「んー?」
「歌ってました。練習で」
「ああ……。あー……。あー。……。届いちゃったんですね、建さんの歌が。心に」

 若くして密偵をしなければならない人生は、地獄だったのだろう。
 そんな彼女に、建の歌は、思いがけず、希望を与えてしまった。その希望の光で自らの存在があばかれ、そして、死んだ。
 建が歌など歌わなければ、一生絶望の闇の衣に隠れて、死ぬことはなかっただろう。

 歌なんかに感動さえしなければ、彼女は絶望の中で、何一つ良いこともないけれど、闇の密偵として生きていくことができただろう。

 心がなければ、生きて行けたのに。

常陸娘子(ひたちおとめ)ですね、彼女は。間違いなく」
「ひたち……おとめ?」
「この地域で中立を保っている遊行女婦(うかれめ/宴会コンパニオン)で、志能便(しのび/ニンニンしてる人)の集団ですよ。彼女はその一員です。建さんを傷つけた匕首に塗られた毒がその証拠」

 え、毒?

「常陸娘子の使う毒はやばいですよ。骨が黒くなって、心(シン)が腐って死にます。……もともと建さんの事、殺さないといけないなと思ってたけど、手間が省けちゃいましたね」

 死体を返還することとなった。女の密偵のだ。

 もともと兎麻呂は、この地域で中立の忍者集団である常陸娘子たちとは対立する気はなかった。密偵されてても、まあ、警戒はするけど、スルーという方向で、一応警戒の見張りはしていただけ。ただ、殺してしまった。
 中立の団体に、殺しはまずいということと、本当敵に回したくない、モメたくない、ということで、兎麻呂は女の密偵の丁寧に弔い、その遺骸を常陸娘子の棲む集落に運ぶことにした。
 で、その役目を、毒に侵されている建が依頼された。

「その毒の治療は常陸娘子たちしかできないと思いますんで……。まあ、毒が治っても常陸娘子たち、建さんを殺して喧嘩両成敗の手打ちって事にするでしょうし、どのみち、建さん、さようならって感じなんですけど。なんかすみません。」
 と兎麻呂、なんか冷たい。けど、まあ策謀を巡らす有能な人はこれくらいドライなのかもしれない。
 建、傷口が熱くてとても苦しいけれど、うす、わかりました、と遺体返還の使者の仕事を引き受ける。なんかあっさり引き受ける。
 死ぬ仕事なのにだ。
 でもなんか建、そういうもんだよなあ、と、なんか受け入れてしまう。

「最後に、建さんの歌が聞きたかったけど、毒に身体が侵されてたらだめですよねー」
「あー、だめですね」
「じゃしょうがないっすね。歌って、体調悪いと、だめですよねえ」

 本当にそうか。
 でも、そうとしか言えない。今、とても歌える状態にない。たとえ今、無理やり歌い舞ったとしても「毒で苦しむ身体をおして一生懸命歌っている歌い手のがんばってる感」みたいな、スーパー余計なものが歌に結びついて、まあ、それはそれで観客のエモのスイッチが押されるかもしれないが。

 そんなものは、歌ではない。表現者を名乗る病人の、つまらない、最低の同情引きだ。詩歌などでは断じてない。

 しかし――
 歌が、書かれたものであればどうだっただろう。書として、紙や木片に、歌が表されていたら。
 書手の……「筆触」ともいえるクセはあるかもだけど、短歌を、歌を、より受け手に純粋に伝えられることができるんじゃないのか?
 人間の身体に短歌を染みさせて、それを発話・発舞・発現させるというやり方は、その者のエゴや体調によって、短歌の本来のおもしろさを、狂わせてしまうのではないのか。

「途中までは、ケロケロの二人が道案内と遺体を運びます。家持様には、建さんが死んだっていう事を、使者、出しておきますんで。……建さん、じゃああの、……さよならという事で」

 歌には、別れの歌が結構ある。
 でもこの時、建の頭の中には、なんの別れの短歌が思い浮かべられなかった。別れの歌といっても、だいたい男女の別れだったり、「宴会おわっちゃうと寂しいねえ」みたいな短歌だったり……。

 こういう、どうでもいい、つまんない雑な別れを、誰も歌わないのか。いい別れの時にしか、人は詠わないのか。
 死ぬのにな、自分。
 なんか、強姦されかけた時と、同じだ。

 それで、出発した。建と、ケロケロのケロッピとクロッピの二人。
 見送りは特にない。異民族の二人、黙ったまま、一人は棺桶代わりの行李を背負い、一人はお手回り品の入った行李を背負い、毒に病む建は手ぶらで。

 ただ死ぬ旅が、中途半端に始まった。
 目的地についたら殺されるだけの、何一つ希望の無い旅。
 建の覚えた短歌はまったく味方しないし、思い出すこともできないし。
 
 空は、すごくつまんない気持ち悪い曇天の、何にもいいことのない春の空だ。


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