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みんな最後は無になる、ということ

私には、もうすぐ100歳になる祖母がいる。
共働きだったので、祖母に育てられたようなものだ。

90を超えたあたりから痴呆が始まり、出かけた後、自分の家に一人で帰るのが難しくなった。
自分のことが、よく分からなくなるんだと、そう言っていた。

その後、更に痴呆が進み、孫の名前を言っても、10秒で忘れるようになった。

もう100歳になるのだから、自然の流れだろう。
悲しい、とかではなく、ああ、人生、こんなふうになっていくんだなぁ、としみじみと思った。

どんなに頑張って富を蓄え、名声を手に入れても、老いれば次第に自分のことがよく分からなくなり、そのうちよく分からなくなっていることも分からなくなる。

今必死に確立しようとしてる自我も、結局はなくなるんだなぁ。
分からなくなるなら、悩むこともなくなるのかなぁ。
悩むというのも、自我があるうちにできる、ひとつの道楽なのかなぁ。
無になるまでの時間を楽しんで、味わい尽くす。
悩んでも、結局は無になると思えば、それも楽しめるかもしれない。

そんなことを、祖母を見ていて思った。

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