プレプログラム ~QUANTA retreat in YAMAGATA 0.5~
リトリートの参加決意まではここに
10月も終わろうとする頃、オンラインでプレプログラムが行われた。MOTOKOさんのリーディングで全体のテーマとリトリートまでの事前課題が伝えられる。
もちろん、オンタイムで参加。
恐れや不安もある中で参加者のみなさんと繋がれることと、ぐっとリトリートが現実的なることが待ち遠しくて仕方なかった。
今回のテーマはずばり『エゴ』
わかっているようで漠然としているエゴの正体。
そこには、
✴︎生きる原動力やパッションとなるポジティブな
良いエゴ
✴︎他者(社会)をコントロールしようとする
ネガティブなエゴ
の2つがあるとMOTOKOさん。
全体課題は、それを受けたうえで自分が情熱を傾けている(エネルギーを使っている)ことを細かく書き出し、ネガティブなエゴなのかポジティブなエゴなのかをみつめるというもの。
そして次に個人課題。
他の方のお話の時も気になることはメモしつつ自分の番を待つ。
いよいよ名前が呼ばれる。
「お父さんのようにならないぞ!というエゴです」
ー わ!それが来たか!
(となったタイミングで何故か回線がとまった 笑)
まさか、ここにきて父のことが持ち出されるとは。
幼い頃から顔も性格も似ていると言われるのが嫌で嫌で仕方なかった。
10代の頃はずいぶん反発したし衝突もした。
15年ほど前に父は他界したが、今ではもし生きていれば自分の1番の理解者だったかもしれないと思えるようになっていた。
2年前のMOTOKOさんのセッション時に両親や家系の話もしており、私の中ではもう解決された案件だった、はずだったのに。
(回線が戻り)
「お父さんのイヤなところをトレースしてきたことも、そんな自分を嫌ってきたことももう十分見てきたけれど、そこをエゴと紐づけて見てきてください」と告げられる。
逃げるワケにもいかず、その後から行動や発言をエゴというフィルターを通し観察することが始まった。
そして時々父とのあれこれを思い出す。
寝る前にノートにポツポツと書き出してみる。
エゴだと後ろめたかったことがポジティブな良いエゴだと思えたり、その逆もまたしかり。
あらゆることが疑わしくなる。
父のエゴだと不快に思っていた数々は、父にとっては純粋なものだったのでは?と思い始めたり。
そしてこれらに答えはなくて、あくまで当日までのベース作り。
時に気分が悪くなったり、もういいじゃん!と投げ出したくなったりしながら、自分を見続ける日々がやく3週間続いた。
旅支度を始める頃にはナーバスになっている自分とも向き合った。
そして迎えたリトリート初日のオリエンテーション。
MOTOKOさんから課題の真意が伝えられたのでした。