かくれんぼの思い出。
子どものときお隣の家がおにいさんたちの寮になっていたことがあります。
工場(こうば)に勤めていたおにいさんたちが何人かで住んでいました。(と思います)
わたしはまだ小さかったので何人かのおにいさんたちがそこに住んでいたらしいということだけ覚えています。
そしてなぜかかくれんぼをしたのです。
けれどそのかくれんぼをした日は家の中には何の荷物もなくかっらぽの家でのかくれんぼだったのです。
どうしてかくれんぼをしたのか思い出せないしかくれんぼはその日一回だけでした。(と思います)
なぜかわたしがおにでおにいさんたちを全員探さなくてはいけなかったのです。
3人か4人か5人か6人か、それもよく覚えていないのですが
とにかくわたしはいっしょけんめいおにいさんたちを探しました。
からっぽの押し入れにおにいさんが一人かくれていてわたしが見つけたのにおにいさんは「ありゃーっ」と猿飛佐助のように身をかわしまたどこかへ上手にかくれてしまいました。
おにいさんたちはわたしがどんなに見つけてもまたかくれてしまいかくれんぼはいつまでも続きました。
とうとうわたしが泣いてしまったのか思い出すのは、おにいさんたちが何人かで夕ご飯に来てくれたことでした。
その日はおにいさんたちの引越しの日だったのかもしれません。
おにいさんといっても20歳くらい年上だったと思います。
引っ越すことになってからっぽの家で隣の小さな子とかくれんぼをしてくれたんですね。
わたしはおにいさんたちに「ご飯に来て」とさそったのだと思います。
多分おばあちゃんやおかあさんに聞きもしないで招待したのだと思います。
おにいさんたちは困って、じゃあかくれんぼで全員見つけたら夕ご飯に行くよと約束してくれたのだと思います。
どんなに見つけてもまたかくれてしまうおにいさんたちを見て泣いてしまったことだけは覚えています。
かくれんぼで全員見つけたらご飯に来ると約束したのだから。
思い出すのは、お客さんの時に使う座卓とちゃぶ台をくっつけて使ったこと、
そこに困ったような顔のおにいさんたちが座っていたこと、
父がおにいさんたちにビールをすすめていたこと、
そして
おにいさんたちが最後には約束を守ってほんとうに夕ご飯に来てくれたこと。