124.幸せ論考(2024/2/26)
幸せってただの感情なんだなということに、最近思い至った。
幸福感に関する研究をしていて、毎年幸福感が高い国として上位にランクインするデンマークに半年以上住んで、とてもシンプルな考えに行き着いた。幸福「感」という感情を意味する文字がくっついているのにどうして今まで気づかなかったのかと思う。幸せって、感情であって状態じゃないのだ。
最近私が幸せを感じたのは、ただ道を歩いていた時に自転車に乗ったおばあさんとすれ違って、その方がにっこり微笑んでくれた時だった。ただてくてく歩いていたアジア人に微笑みかけてくれたというただそれだけのことで、ああ幸せだなあと思った。ふわっとしていてあたたかくて、そして消えやすい感情、これが幸せだ、と思ったのだった。
お金持ちであるとか、何かで成功しているとか、そういう状態を言うのでは決してない。お金持ちであることが幸せな感情をもたらすことはあるかもしれないけれど、お金持ちな人がみんな幸せであるかと言われたらそうではなく、貧しくても幸せだと思えることがあるのは、幸せが状態ではなくて感情であるからなのだと思う。喜びや怒りや悲しみなどの他の感情と並列に語られるべき、すっと現れてはすぐに消えていく感情なのだ。
朝カーテンを開けてすっきり晴れた空が広がっていたとき、美味しい食べ物を食べたとき、友達をたわいないおしゃべりをしているとき、道行く人と微笑み合うとき、そういうときに幸せだ、と思う。だから「幸せになりたい」というのは、そういう幸せを感じる瞬間を増やす、できるだけ自分が幸せを感じられる場所に身を置く、ということで、何か大それたことを実現させることでなくても全然良い。ちょっとしたことであればあるほど良い。なぜなら幸せな感情というのはどうせすぐに消えてしまう瞬間的なものなので、ちょっとしたことがたくさん日常にちりばめられている方が結果として持続的に幸せを感じられることになると思うから。日々嫌なこともしんどいこともたくさん起こるし、ネガティブな感情を完全になくすことはできないけれど、割合として幸せという感情をより多く持てるように、身の回りの環境を整えていく努力をすることが「幸せになる」につながっているような気がしている。
前にジェーン・スーさんがどこかで書いていた、
この言葉の意味がわかったかもしれない。
日本だとあまりうまくいく気がしないけれど、口角をあげて歩くように心がけて、笑ってくれそうな人に全力で目を合わせにいって幸せ集めをしていくとか、そういうことを毎日積み重ねれば良いのだと思う。うつむいて歩くことしかできない日もあるというのが難しいところではあるのだけれど、そんな日がずっと続くわけではないと信じられていれば何とかなる気がしている。