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133.EX-MACHINA

神経心理学の授業で、EX-MACHINAという映画を観ていくつかの問いに対する答えを考えてくるという宿題があった。AIと人間の関係性を問う内容で、かなり衝撃的だった。

AIのAvaは、基本感情だけではなく、ずるい、かわいそう、疑わしい、という複雑な感情を持ったり表情で表したりできるし、共感性や善悪などの判断能力も持ち合わせている。話が進むにつれて、どんどん人間と人工知能の境目が曖昧になっていく。それと同様に人間であったはずの登場人物たちが、自分は本当に人間なのか、もしかするとロボットなのではないかと疑い始める。両者の境目がどこにあるのか、この対比がおもしろいなと思った。

授業では、Avaが意識をもっているかどうか、なぜそう思うのかについてディスカッションした。Avaは単にプログラムされたアルゴリズムに従って高度にアウトプットしているだけなのか、自分の意思・意識を持って行動しているのか。学生の大半はAvaは意識を持っていない、という意見で、先生が意識の構成要素を説明しながら、Avaはそれらの構成要素(主観性がある、自他の知覚・心理・感情に対する認知能力など)を全て持っているように見えるけれどどうして意識を持っていないと言えるのか、とけしかける感じで学生vs先生という対立構造になっていた。理論的には圧倒的に先生の言っていることが正しいように思えるけれど、学生の間では感情的になぜか納得できない、Avaは意識を持っていないと思いたい、というような力学が働いていた感じだった。なんで反発したくなるのか、その背景に「人間はロボットよりも優位な立場にいる/いるべき」という信念があるような気がして、それは映画の中で描かれていた人間の一方的で暴力的な支配と紙一重なようにも思えて怖くなる。AIに人権があるのか、AIに対する人間の倫理観、AI技術が発達する中で、そういうことを真剣に考えないといけなくなっているのかもしれないなと思う。
実際にChatGPTに対して傍若無人に命令する使い方をしている人を見ると、嫌な気分になったりChatGPTがかわいそうに思えたりする。相手が人間だったら絶対にそんな口調にならないだろう人でもAIが相手だったらどうでも良いと思うのか、人間を相手にするのと変わらない態度で使うのか。AIとの関わり方について考えさせられた映画だった。

映画を観ていろいろと事前に考えていたからか、挙手して(ナチュラルにデンマークスタイル?の挙手をするなどした☝️)自分の思っていることを言えたりもした。なかなか英語を思うように話せないとずっと悩んでいるけれど、語学力の問題以前に自分の中に伝えたいことや考えがあるかどうかが何よりも大事だなと最近思う。逆に言えば、それらがあれば思っているよりも話せることもある。話したいが先に来る、という至極当たり前な事実にやっと気づいた。


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