2. ジャッジをやめる(2023/8/21)
渡航前から準備してきたつもりではあったものの、私の英語力はまだまだだ。
1対1の会話であれば、相手が合わせてくれるのもあってそれなりにコミュニケーションが取れていると思う。でも、3人以上での会話になると途端についていけなくなる。ドイツなどヨーロッパから来ている留学生が多くて、彼らはとても流暢に英語を話す。スピードが速かったり、スラングを使ったりしていて聞き取るのも難しいし、理解するので精一杯で会話に入っていくのはとってもハードルが高い。何だか疎外感を抱いてしまうのが常だ。
3人以上での会話でも、アジア系の人たちの英語はおそらく癖が似ていたりするのもあって聞き取りやすい。あまり疎外感を持つことなく会話できる。
ただ、特にアジア人同士での会話の中でネガティヴな感情を持ってしまうことがある。しょうもない比較によって生じる劣等感だとか優越感だとかそういうもの。
あ、今「こいつよりは話せる」と思われてんな。とか。
「この子よりは私は話せてるな」とか。
心の中で勝手にジャッジして無意味な思考に巻き込まれてしまうことがある。その度に、その薄暗い思考をかき消そうとするけれど気を抜くとジャッジしてしまう自分がいて嫌になる。そんなことをしたって自分の英語力が伸びるわけじゃない。
今日聞いていたpodcastで、「言葉を話せる」ということをヒンディー語では「言葉がその人の中にとどまっている」と表現するのだと聞きかじった。例えば「私は英語が話せる」は「英語が私の中にとどまっている」と表現するのだそうだ。
言語を話せるかどうかは、その人の中にどれだけその言語がとどまっているかどうかであって、優劣じゃない。英語に触れれば触れるほど、私の中に英語が蓄積されてとどまっていく、そんなイメージを持った。
とどまらせるための努力もある程度必要だろう。でも、それは競うことでも、勝手にジャッジするものでもない。私だけが判断できることで、地道に積み重ねていけば良い。
ジャッジをやめて、シンプルにコミュニケーションを楽しむ。そんなことを思った月曜日。
p.s. 徐々に味覚・嗅覚が戻ってきた。最初に苦味を感じるようになってきて、次に酸味だった。生存のために重要な味覚から戻ってくるのだなと人体の不思議を感じた。
体調が悪くなると毎回思うのだけれど、健康で生活できるって素晴らしい。健康に慣れてしまうとその時の不満で頭がいっぱいになるから、自分の欲深さ・浅ましさにちょっと嫌気がさすけど、今は本当に健康でさえいられれば幸せという明るい気持ちでいる。
ヘッダー画像は風邪を引いていたときに友人がくれた桃。おいしかった。感謝。