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【ブルアカ考察】isakusan氏の指紋

はじめまして、先生。

この度「ブルーアーカイブを考察する上でのヒント」を提示するために、前シナリオディレクターisakusan氏について考察しました。
彼はNEXON Gamesを退社しましたが、彼の書いたプロットを考察するために、彼自身のことを知らなければならないと考えます。

また、この記事は番外編です。ブルアカ本編とはあまり関係がありません。しかし、Vol.1 対策委員会編3章までのネタバレが含まれています。あらかじめご注意ください。

以下に続く記事は、特定の宗教や実在の人物、団体を貶めるものではありません。慎重さ・冷静さ・中立性を守ってご利用ください。
また、R-18の記事を引用するため注意が必要です。





1.インタビューのキーワード


この項では2024年4月に行われたインタビュー(公開日は2024/06/28)を3つの要点に分類して考察します。プロットの基本方針にまつわる話です。
他にも韓国語でのインタビュー動画などがありますが、ここでは日本語でのインタビューのみを取り扱います。


1-1.無神論者の「祈り」


私は無神論者であるため、慈悲を乞うことも、罪を赦すことも、どちらも人間の行為であるべきだと信じています。人間を救済するのは、人間であるべきです。
しかし同時に我々は誰かを赦し、誰かを救う瞬間、われわれはわれわれの内部に宿る可能態として存在する“神聖”に触れられます。

インタビューから抜粋
Vol.3 エデン条約編 4章18話
もう一人の私たち
同上
同上


「ミカが赦されたいと願い」、「ミカがサオリを赦す」という話は「人間を救済するのは、人間であるべきです」という主張につながります。
またこの時、ミカはサオリを同一視しているため、彼女を赦すことが自分を赦すことにもなると信じています。

続くストーリーでキリエが歌われ、プレイヤーはミカに感情移入する。
先生ではなくプレイヤー自身が「赦したい」「赦されてほしい」と感じる。(感じない人もいます)
これが、我々の内部に宿る可能態として存在する神聖」の正体だと私は考えます。


この「創作や他者に感情移入できる人間がいる」という事実は、無神論者を自称するisakusan氏の中では大きな意味を持つと考えます。

「神話は人間の創作」と見た場合、人間は神に救われているのではなく、遠回しに人間に救われていることになるからです。
やはりこれも「人間を救済するのは、人間であるべきです」という主張に繋がります。

よって、isakusan氏の哲学は「人間→創作物→感情移入→人間→創作物→…」というループをクリエイティブな梵我一如ぼんがいちにょとして捉えるもの、と考察できます。
(梵我一如はインド哲学において「宇宙を支配する原理ブラフマン」と「個人を支配する原理アートマン」が同一であるとする思想。「一は全、全は一」と要約するとわかりやすいかも)


「諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」

インタビューから抜粋

これはインタビューの最後に語られる言葉ですが、彼が無神論者でありながら仏教やヒンドゥー教を好んでいる証拠です。

何事にも終わりがあることはブルアカが学園モノである理由にも繋がると私は考えます。また、スマホゲームという形式上、サービス終了が存在することも事実です。


そして、私にはひとつ、切なる願いがあります。それはキャラクターを人として扱ってほしいということ。
データは情報です。キャラクターは生きた存在です。
キャラクターとは、人間が投影された存在なのです。キャラクターとはわれわれ自身の反映であり、われわれはキャラクターの経験する物語を通じてわれわれ自身の人生を反芻できる。
だからこそ、『ブルアカ』では人間の持っている美点も欠点もすべてひっくるめて反映させようとしました。

インタビューから抜粋

抜粋した文章には投影、反映という感情移入に関する語が見て取れます。翻訳された文章だとしても関連性があると考えます。

このことからブルーアーカイブには、
私たちオタクが「青春の物語BlueArchive」から何かを受け取り、ブルアカが失われても心の中に「ブルーアーカイブ」や「キャラクター」が残ってほしいという「祈り」が込められていると私は考えます。




1-2.先生への言及


「先生への感情移入」「先生には自分自身でいてほしい」

インタビューから抜粋

「先生=ユーザー自身」という情報以上には特筆すべきものはありません。しかし、ブルアカのグローバル版では「シャーレの先生」は"Schale's Sensei"という翻訳をされているようです。
インタビュー内で翻訳の難しさについても言及しているところから「文章の美しさ」を守っていると考えられます。Senseiという「音」に対するこだわりを感じますね。
(教官=Instructor, 教員=Administrator, などとは明確に分けられている)

また、青春はなぜ守られるべきなのか?という質問には、理由や根拠を与えられないとしています。

それはユーザーの選択なのです。ユーザー自身が「守る必要がある」と考えているから、守らねばならない。

インタビューから抜粋

これはユーザー自身に(おそらく内発的)動機付けをしてほしいという「祈り」だと考えます。




1-3.isakusan氏の立場


「会社員としてのアイデンティティを守る」「エンターテインメントから離れないこと」

インタビューから抜粋

私はこの世界への物足りなさから「責任感のある大人とはなにか」「この世界に責任を持ってくれる大人はいるのか」を問いたかった。ですが、そのために『ブルアカ』を作ったわけではありません。さきほど述べたように、それらの疑問はあくまで指紋として自然に浮きあがってくるものにすぎません。

インタビューから抜粋

「会社員としてのアイデンティティ」とあること、インタビュー内で「チームで作り上げた」とすることから、これは自分とブルアカは別物であるという主張です。しかし、彼の考える「責任」というテーマはブルアカ世界の形成に一役買っているのは事実でしょう。また、それらの繋がりを見つけることができても、それは彼の指紋のようなものだと言えます。


「オタクカルチャーの異邦人」「マカロニ・ウェスタン」

インタビューから抜粋

これらは「責任感を持つ大人の不在」に対して答えている言葉です。日本人にとっては「普遍的なテーマ」でエヴァなども生まれています。しかし、それが好きな自分は韓国人で、日本人の感覚と完全に同じではない「異邦人」であるとの主張です。だから「マカロニ・ウェスタン」のように再解釈、翻訳、再構築することで面白さが生まれる、と。

ブルーアーカイブが「キムチ・アキハバラ」と呼ばれ、受け入れられているのは興味深い事実です。




2.「isakusan」を形作るもの


この項ではisakusan氏の名前とアイコンからメタフィクションに対するこだわりと、複数の神話がなぜ混ざるのかを考察します。


2-1.isakusanという名前


彼がインタビューでフルメタル・パニックやエヴァ、庵野監督、タランティーノ監督の名前を挙げていることからその影響は伺えますが、その名前はかつて存在したエロゲメーカー「エルフ」の傑作「伊頭家シリーズ」の影響ではないか?という考察があります。

「エルフ」は日本の泣きゲー史のきっかけとなった「同級生」シリーズに続いて「遺作・臭作・鬼作」という鬼畜モノ3部作を発表しました。
(これらは伊頭家の3人のオッサンの下の名前です)

アダルトゲームとして最低限機能をしていながら、その実情は「メタフィクションによるプレイヤー自身の批判」というものだったとされます。

非常に参考になる解説がありましたのでこちらに貼っておきます。

要約すると1作目「遺作いさく」は、

・バッドエンドにしか性行為要素がない
・それらを見るためには「主人公プレイヤーの選択」で「キャラを不幸」にしなければならない
・プレイヤーが目撃するのは遺作いさくとキャラの性行為ビデオ

1作目からビデオを利用したメタフィクション構造が確認できます。




2作目「臭作しゅうさく」は、

臭作プレイヤーがネタを収集して女性を脅し、性行為に至る
臭作しゅうさくを昏倒させ、主観プレイヤー視点で性行為が見られる
・2周目、唯一攻略できなかったヒロインが臭作プレイヤーの下にやってくる
臭作プレイヤーとヒロインが何も起きない純愛モノな生活を送る
・しかし臭作しゅうさくの選択肢への介入によって強制的に性行為に至る

鬼畜の限りを尽くしたプレイヤーが「理性」となって暴走するオッサンを止めようとする。面白い構造です。話は前後しますがisakusan氏のインタビューの件から影響が伺えます。

それはユーザーの選択なのです。ユーザー自身が「守る必要がある」と考えているから、守らねばならない。

インタビューから抜粋

また余談ですが、厳密なタイムスケジュールがあること、ゲームに介入してくることから、私は地下生活者が頭をよぎりました。

地下生活者
(私はあんまり嫌いになれない)




3作目「鬼作きさく」は、ギャグ要素が多くポップな雰囲気で展開されます。

鬼作プレイヤーは会社員としてキャリアを積んでいる
鬼作きさくの過去が明かされ、彼の自己否定感を知ることができる
・しかし実際やることはネタの収集とそれを利用した脅し
・登場するのは「女性に抱く幻想を破壊する」ヒロインたち
・鬼畜を求めているプレイヤーには萎える展開が多い
・全ヒロイン攻略後、鬼作プレイヤーの下に謎の少女がやってくる
鬼作きさくは追っ払おうとするが、逆に懐かれる
鬼作プレイヤーは鬼畜に戻ることもできるが、少女と遊び、絆を深めることもできる
・この少女とのストーリーを全て見るには一切の鬼畜行為をしてはならない

オッサンとプレイヤーを明確に分ける1,2作目と違い、3作目はオッサンに感情移入できるように作られていることがわかります。少女と過ごしている間、プレイヤーの善性は鬼作きさくと同一になり、たしかに作品の中に存在していると考えることができます。

そして、isakusan氏と鬼作きさくには会社員という共通点があります。

ブルーアーカイブは私と会社間の労働契約による結果物です。この無味乾燥な事実が、私の努力を掻き立てる源でもあります。

インタビューから抜粋

これらのことからisakusan氏は伊頭家シリーズから影響を受けていると考えられます。




しかし、この3部作から自分の名前をつけてくださいと言われたら、私は「鬼作」を取るでしょう。ではisakusan氏はなぜisakusanと名乗っているのでしょうか?

私は彼自身がブルアカの舞台、キヴォトスKivotosと関わりを持つことでisakusanからKisakusanを目指していたのではないか?と考えています。
(この頭文字へのこだわりは、彼の次回作がプロジェクトKV、その舞台がカピラと命名されていたことからも考慮できると考えます)
(前々作はCROCINTHUSクロセンイダス、前作はQURAREキュラレ)

モチーフが示唆される登場人物や会社員という共通点、そして頭文字の件から、私はisakusan氏が伊頭家シリーズ、特に「鬼作」から影響を受けていると考えます。
このことからブルアカはやはりメタフィクションであると私は考えます。

(余談ですが、イサクサンという音だけを見た場合『創世記』のイサクが想起され、その名前は「彼は笑う」を意味します。isakusan氏の「ギャグ」に対する思い入れを感じるところ)




2-2.X(旧Twitter)のアイコン


彼のアイコンは「ピカおじ」の愛称で親しまれていますが、田亀源五郎先生のBL漫画「雄心~ウィルトゥース~」のパロディである話はご存じでしょうか。

内容は、新人剣闘士と花形剣闘士の愛憎劇であり、その花形剣闘士にフられる女性が登場する。というものです。

おそらくこの漫画はギルガメシュ叙事詩が参考になっていると考えられます。共通点は以下の通りです。

粘土版2:
暴君ギルガメシュエンキドゥの激しい戦い。互いの力を認め、友となる。

粘土版6:
ギルガメシュに恋をしたイシュタル。求婚を迫るがギルガメシュはこれを拒否。怒ったイシュタルは父アヌに頼んで聖牛グガランナを差し向ける。
ギルガメシュとエンキドゥがこれを撃破し、英雄として讃えられる。

漫画に関してはこれ以上の共通点はありません。漫画の舞台も古代ローマです。

これがどうブルアカと関係あるのかと言うと、続くギルガメシュ叙事詩のエピソードにウトナピシュティムが登場することです。
この人物は「アトラ・ハシース」や「ノアの方舟のノア」と同一視される人物です。

大洪水は諸々の神話に共通して見られるテーマであること
・旧約聖書の出来事を新約聖書の前兆と捉える予型という概念があること
・別々の宗教が融合する習合という過程が現実にあったこと

この3点を考えると、ブルアカに大量のモチーフが含まれることは同一視がきっかけであると考えることができます。
これらの分類には比較宗教学が参考になると考えます。
(比較宗教学は神話の類似点、相違点を比較する学問。世界宗教はアブラハムの宗教、インド宗教、東アジア宗教という3つに大別される)




03.最後に


ゲームの舞台、キヴォトスがギリシャ語で「方舟」を意味すること。
劇中に登場する「アトラ・ハシースの箱舟」の性能が「データを収集、分解、再構築」するものであること。

私はこの2点から、キヴォトスも開発者たちの手によって「データを収集、分解、再構築」されて出来ているものだと考えます。


以上ことからブルアカの考察には、

習合予型という見かた
比較宗教学という分けかた
「音」による曖昧な結びつき

これらのことがヒントになると考えます。
(これ以上はより専門的な分野になってくると思います。一般人の私はWikipediaなどを参照することに留まります)


しかし、ブルアカの表テーマは「一風変わった日常」です。
それが何気ない奇跡であると気づくために、裏テーマとして感情移入や同一視が付いて回るだけだと考えます。
「責任」についての関連性を見つけても、それはやはり指紋に過ぎません。

それでも私は考えます。
私は極東の考える葦です。

(2024/12/31)


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