人間が作り出す偽りの美学
先日, 静岡県にある旧東海道の鞠子宿のとろろ飯を食してきた。
実際の浮世絵の舞台にもなっている
歌川広重の描いた『鞠子宿』
この浮世絵と実際の風景,
構図を見比べてみると明らかに違う構図となっている。
山をメインにすると家の構図がおかしい、家の横面の構図をメインにすると山の構図があわない. はたして何故だろう?
ところで,
日本語には【偽り】という言葉がある。
いつはり 【偽り・詐り】
1.
本当でないこと。うそ。虚言。
「うそ―」
2.
(自然に対して)人為を加えたもの。虚構。
我々人間も完璧な人間など一人もいない
本当でないこともいうし、嘘もつく。
嘘のデザインでもそこの【美】を感じるのは
我々が完璧な人間ではないからかもしれない。
我々が仮にお釈迦様のように悟りの境地に達した時には
その【偽】を見た時には【美】を感じなくなってしまうのかもしれない
良き人間になろうと思っている手前、今の自分のままでいいと感じてしまうのは不思議だ。
歌川広重も実際の風景をそのままに描くとそこの【美】が生まれないと考え、それゆえに
この構図にしたのかもしれない。