沖縄が デマという言葉の暴力を これ以上受けることがないように 【2023.2.28 勝訴判決後の記者会見全文】
記者会見全文
まず、一番初めに言いたいのは、この名誉棄損裁判を、一地方議員が、団地入居についてのデマを書かれて闘った裁判という風にとらえないでほしいということです。
なぜこのようなことが起こったのか、その背景に目を向けてほしいと思います。
私は、宮古島の伝統工芸である織物がやりたくて15年前に宮古島に移住してきて、島の人と結婚して子育てをしながら畑や手仕事をして、このようなことに巻き込まれるとは思ってもいませんでした。
2014年頃から琉球弧の島々に軍事化の波が押し寄せてきて、生活に不安を感じるようになりました。2015年から平和を求めてミサイル基地建設反対の声を上げ、17年1月には、基地建設を止めるために市議会議員になりました。私が産経新聞に今回の記事を書かれたのは、そのすぐあとです。
全国紙である産経新聞がジャーナリズムのプライドを投げ打って、事実と異なるデマ記事を書いてまでも、塞ぎたかった声はなんでしょうか。
それは、中国への脅威を煽り、軍事費を増大し、琉球弧の島々に軍事基地を作り、国民を戦争に駆り立ててゆく、この流れを止める声だったのではないかと、私は思います。
一般的に、市議会議員が県営住宅に住んでも、私のように記事で取り上げられ問題視されるということはありません。実際私の後にも公明党の宮古島市議が県営住宅に住んでいましたが、記事で取り上げられることはありませんでした。なぜ私だけが取り上げられたのかという理由は明白です。産経新聞は、私について全く個人的な内容でデマを書き、私を貶め、基地建設への反対の声を塞ごうとしたのだと思います。
日本の平和を維持するという名目のために、琉球弧の島々が最前線として差し出されていること、そしてそこに暮らす人々がいるということを知ってほしいと思います。
島では、暮らしを守るために軍事化に反対することすら許されなくなっているというのが、私が受けた名誉毀損の意味であり、平和を求める声をこのようなデマによって押し潰しながら、島々の軍事化が今も進んでいます。この記事を書かれた2017年にはまだ全く手付かずだった宮古島駐屯地とミサイルの弾薬庫がある保良訓練場はすでに運用開始され、来年度も宮古島だけで100億円かけてさらなる軍事化が進められます。
今回、私は夫と子どもたち4人と一緒に裁判の判決を聞きに宮古島から東京に来ました。
子どもたちとの日常は慌ただしく、普段裁判のことを考える余裕はほとんどありません。
そんな日常に、軍事基地という力による暴力が入り込み、生活を守るために声を上げると、次にはデマという言葉による暴力に晒され、生活を壊されてきました。
ただただ、私の望みは、島での平穏な生活を守りたいというものです。そして、力や言葉の暴力を我慢して見過ごせば、次なる暴力を生み出すことを許してしまいます。
この裁判の結果によって、常に基地という力による暴力に晒されてきた沖縄が、さらに言葉による暴力を受けることがこれ以上ないよう望みます。