Step by Step 9月2日 ■□小さくても大丈夫□■
私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。2コリント4章7-10節
キリスト教の立役者はパウロです。彼を通してキリスト教はパレスティナの枠から飛び出して地中海沿岸地域とヨーロッパに拡がっていきました。また彼の書いた手紙が新約聖書に収められ、キリスト教教義の土台となり、それ以後の世界史を変えたといっても過言ではありません。
彼の元々の名前はサウロで、イスラエル初代の王様の名前でした。彼はその名にふさわしい誇り高き男で、学識にも非常に優れ、精神的にも強靱で、情熱溢れる男でした。クリスチャンになる前の彼は、キリスト教こそ神の敵と見なし、クリスチャンを激しく迫害したほどでした。
そんな彼がキリストに出会いクリスチャンになると、サウロという名前を改め「パウロ」にしました。パウロとは「小さい者」という意味です。真に偉大なお方と出会ったとき、自分の小ささが分かったのです。自分が神の敵と見なしていたキリストが神の子・救い主であることが分かった時、自分の罪深さを思い知らされると共に、そんな自分がキリストに愛され、赦され、キリストのために役立てると時に、サウロは「パウロ」になりました。
その後、彼はキリスト宣教者として生きていくのですが、その中で更に自分の小ささと弱さを心底悟ることになります。そこで彼は偉大な真理に出会うのです。それは、自分が小さくなればなるほど、神の偉大さが現される。自分の弱さを知れば知るほど、神の強さを知ることが出来る。自分が空洞(無)になればなるほど、神の命と知恵がそこを満たすことができるという真理です。
ですから彼は自分の小ささに卑屈にならず、自分の弱さにいじけず、自分が空洞であることに劣等感を持ちませんでした。彼は小さいまま、弱いまま、空洞のまま現実から逃げず、前進していきました。それは神の大きさ、神の強さ、神の豊かさを体験できるからでした。ですから彼は自分の小ささを喜び、弱さを誇り、空洞であることを感謝しました。キリストの素晴らしさがもっともっと現れるためにです。
彼には持病があり、それを大変苦にしていたようです。しかし彼はこの持病こそ、自分を傲慢にしないために必要なものであると受け止めました。この持病の故に彼は自分の小ささと神の大きさを混同することはありませんでした。
私たちも自分の小ささや弱さ、自分が空洞であることに引け目を感じ、現実から逃げ、自分を隠すことのないようにしましょう。神の偉大さは私たちの小ささ、弱さ、空洞に現されるのです。
■祈り■
神よ、あなたの偉大さの前に自分の小ささを自覚します。自分の小ささを見ないで神の偉大さを本気で見上げさせてください。イエスの御名によって、アーメン。