赦すということ
本文に「人を赦せるのは、怒りや憎しみの感情に、打ち勝つことができる人だけ」とあります。同意はしますが、僕の言葉で表現するならこうなります。
「人を赦せるのは、怒りや憎しみの感情を手放す人だけ」
「強いマイナス感情を相手にしない」ということです。感情を相手にして打ち勝つことは難しいのです。強いマイナス感情と戦うのではなく、その感情を「手放す」のです。手放すことを選ぶ人が赦せるようになっていくと僕は思います。
言い換えれば、「赦し」の出来映えを「感情」を基準に判断しないことです。感情で判断するなら、いつまでたっても赦すことはできないし、(良心的な人であればあるほど)赦すことができない自分を責め続け、自己概念を下げることになります。
勿論感情レベルでも日本晴れのようにスッキリ赦せたらいいのですが、感情はなかなかそこまでスッキリしてくれないものです。
だから、「赦し」の出来映えを、「感情」ではなく、「真理(思考)と行為」を基準に判断する方が良いと思います。感情は後からゆっくりついてきます。
●赦しについての「真理(思考)」とは何でしょうか?
*赦しは、自分のためである(赦したら損をするという思い込みは間違い)
*赦しは、神がもっとも喜ぶ選択である
*赦しは、忘れることでなく選び続けること
*赦しは、感情に打ち勝つことではく手放すこと
*感情が癒えるには時間がかかる。感情が癒えるのと赦しを分けて考える
*赦しは、好きになることではなく、マイナスの感情を「0ゼロ」に戻すこと。余力があれば親切にしたらいいけど、余力がなかったら「0ゼロ」のままでも大丈夫
●赦しについての行為とはなんでしょうか?
*上記の真理に基づいて、怒りや憎しみの感情を手放すことです。
*「手放す」とは、「悪感情を手放します!赦します!赦しを選択します!」と
宣言することです。
*感情に騙されずに、「赦し」選び取り、宣言し続けることです。
*もし赦せない相手が困っているのを知ったら「ざまぁ見ろ」と思わず、「祝福を祈ってあげる」ことです。
*もし赦せない相手が目の前で困っていたら「ざまぁみろ」と放置せず、「手助け」してあげることです。
*相手を憎んでいたことを神の前で悔い改め、自分を赦すことです。
赦せない過去や相手に囚われ、それを思い出して、マイナス感情を再生産することは止めましょう。そのために悪感情を手放し、赦しを宣言するのです。幸せな将来に向かって、それにふさわしい行動を「今」選択するのです。
私たちは全員、一回きりの人生を生きています。過去は過去です。赦せない過去と相手に縛られて、現在と将来に影を引きずる義理は全くありません。赦したもん勝ちです。あなたはあの人を赦せなくて悶々としているのに、赦せないあの人は楽しく生活しているんじゃないでしょうか。「赦せない」のではなく「赦さない」のです。「赦さない」と意志決定しているのです。意志決定なら自分で変更できます。自分のために、「赦す」意志決定に切り替えましょう。
※力が入って長くなりました。最後まで読んでくださり感謝します。
***参照聖句***
怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない。また、悪魔に機会を与えてはいけない。エペソ4章26節