Step by Step 7月6日 ■□自分で自分に蓋をしない□■
しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。ローマ5章8節
日本人は自己概念をもっと高くする努力をしたほうがいいのではないでしょうか。多くの日本人は、自分を遠慮がちに評価します。長所よりも短所に目を向けてしまいます。出来ることよりも出来ないことに注目します。成果を出すことよりも失敗しないことに気持ちがいきます。日本人はそんな日本的遜りに親しみと安心感を感じます。とか言う僕もその一人です。
しかし最近の僕は意識して、短所よりも長所に、出来なかったことよりも出来たことに注目するようにしています。そうです。どちらに注目しても、どちらも事実であり、嘘をついているわけでもないからです。更にネガティブなこともポジティブに表現し直しています。だからといって「愛されて当然」なんて思わないですが、このように注目するところを変えるだけで、明るく、気分良く生活できるようになっています。
みなさんは、どこに注目して生活していますか。物事には必ず良い部分と今ひとつの部分があるものです。毎日の生活でもそうです。また自分や周りの人達も同じです。良い所と今ひとつのところがあります。そしてどちらに注目するかは私達の自由であり、自分で選べることなのです。
自分の人生は自分が生きます。ですから、自分が前向きになり、やる気が起こり、気分良く生きれる事実に目を向けていいのです。誰に迷惑を掛けることではありません。自分に蓋をするようなことばかりに注目していてはいけません。
それでも自己嫌悪に落ち込んでしまうことがあるかも知れません。そんな時、「にもかかわらずの愛」をもって赦し、励まし、立ち上がらせ、やり直しをさせて下さるお方がいることを忘れないでください。それは神です。
神はご自分の「にもかかわらずの愛」を私たちに示すために、神の子キリストを人としてこの世に送り、私たちの全ての罪をキリストになすりつけ、私たちの身代わりに十字架につけ、キリストのいのちで私たちの罪滅ぼしをしてくださいました。この愛によって私たちは「にもかかわらずの愛」を体験し、赦され、立ち上がらせてもらい、やり直させていただけるのです。
■祈り■
神よ、あなたは私の内に大きな可能性を埋め込んでくださっていることを感謝します。そんな可能性を自分で蓋をしてしまっています。神を信じている故に、私は自分を信じ、新しいチャレンジをしていきます。イエスの御名によって、アーメン。