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伝えることを伝えるために引き算する

片柳神父に感謝。神父の著書「こころの深呼吸」からインスパイアーされてエッセイ風メッセージを毎日投稿させていただいています。神父の絞りきった言葉が僕によってメタボな文章になっているかもしれません笑(※こんな風にエッセイを書いて投稿することについて、片柳神父ご本人から了承をいただいていますのでご安心を)。

「写真は引き算」。なるほどね!確かにそうですね。僕は写真を撮るのが下手なので、“どうせ撮るならあれもこれも”と盛り込んで撮ってしまいます。結果、うるさいだけの写真になり、何を伝えたいのか分からなくなってしまいます。

実はこの前、教会の青年にこんなこと言われました「先生の今日の服装、うるさすぎてよく分からん」って。僕は「賑やかでいい感じ!」と思っていたのに、残念なことになってしまいました。

「引き算」なんですね。写真も服装も文章も説教もスピーチも、伝えたいことをしっかり伝えるために「引き算」することが重要なのですね。

僕は牧師として人前で説教をします。正直言って僕は文章も説教も自信があるほうではありません。「引き算」してしまうと時間が持たなくなるかも…と心配になります。ですからついついあれもこれとぶち込んでしまいます。でも最も重要なことは「伝えたいことがちゃんと伝わる」ことですから、「伝達力」を更に磨いていきます。

したがって、「伝えたいこと」をしっかり握っていることが重要ですね。「伝えたいこと」が明確でないまま、文章を書いても、スピーチしても、何も伝えることができません。

人々の前で表現する説教やスピーチや文章に携わることのない方であっても、夫婦や親子、会社、学校、教会、ご近所で必ず会話があり、コミュニケーションが展開しています。こういう日常でも「伝えたいことを伝える力(伝達力)」は必要です。ちょっとした時間でも「伝えたいことは何か」をまとめ、握り直す時間を持てたらいいですね。

***参照聖句***
むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。Ⅰペテロ3章15節

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