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Step by Step 8月3日 ■□命を選択する□■

 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。Ⅱコリント4章7-10節


 聖書の真理は、パラドックス(逆説)の真理です。小さい者が大きい者に勝つ。愚かな者が神の知者になる。弱い者が強くなる。貧しい者が富んだ者になる。死んでも生きる。どうしてこんなパラドックスが起こるのでしょうか?それは私達の弱さ(マイナス)に神が介入なさるからです。

 人生は、ある意味、自分の弱さと向き合っていく歩みだと言えます。自分の弱さに絶望した時に、神を信じて神と繋がることができるなら、その弱さは神の強さが表れる場所となるのです。

 キリストは「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。」(マタイ5章3節)と言われました。「こころが貧しい」とは「自分の弱
さを痛感した心」「自分に絶望した状態」を意味します。キリストは、そういう状態になった人は「最高に幸せだ!」と言われます。なぜでしょう?それは、そういう人は「天を見上げるしかない。神にすがるしかない。だから神の力を自分のものとすることができる」からです。「天国は彼らのものである」とはこういう意味です。

 逆に言うなら、まだ「心が貧しく」なっていない人は、「まだまだ自分は大丈夫!自分の力でなんとか出来る」と自負があるので、神の力を自分のものとすることができません。私達が0に近づけば近づく程、神の力は増していくのです。

 しかし「自分に絶望した状態」は私達には「危険」でもあります。生か死かの境界線に立たされていると言ってもいいでしょう。その時、命を選択しなければなりません。それが神を信じ、神に繋がるということです。教会に来て神に祈り続ける!ということです。そのとき、私たちは命を選び、命の領域に入ることができるのです。人生が好転し始めるのです。人間のピンチは神のチャンスとなります!


■祈り■
 神よ、あなたに大きすぎる問題はありません。あなたが介入できない領域はありません。私達に不可能でも、神に不可能はありません。自分には不可能だからと言って全てを投げ出しません。その時こそ神に頼ります。イエスの御名によって、アーメン。

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