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Step by Step 8月6日 ■□平和と罪の原点□■

人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。ヤコブ1章20節


 8月は戦争を想起する時であり、同時に平和を願う時でもあります。「世界人類が平和でありますように」という名文句を見たことがあると思います。この言葉は美しい理想の文言なのですが、そこには大きなトリックがあるように僕は思っています。なぜなら、人間というのは理想に燃えれば燃えるほど、理想に立つ自分自身を絶対正義にし、自分の理想に少しでも反対する人を批判し、否定し、争いが起こるからです。実に“平和を破壊するのは人間の正義”なのです。

 聖書は、この人間の現実を罪の原点として教えています。人間の罪の原点は、「食べることを禁じられていた“善悪を知る木の実”を食べた」ことに始まっていると聖書は語ります。「善悪を知る木の実を食べる」とは「人間が善悪の基準になる」ということです。善悪の基準は神のみであるのに、相対的な人間が善悪の基準になるときに、自分の正義をもって互いに相手を裁き合うことになり、それが発展して喧嘩になり、争いになり、戦争になってしまうのです。

 日本の各地で、特に沖縄で平和を叫んでいる人たちがいます。彼らは平和の名の下で、地域住民に迷惑をかけ、反対者に暴力を振るっています。それでいて彼らは平和を主張し続け、自分たちこそ正義なのだと自認しているので、悪いことをしているなどと全く思っていない。一番やっかいです。

 そうです。「平和を破壊する最大の敵は人間の正義」なのです。自分を正義の立場に置くとは、自分を神の立場に置くことになります。これが罪の原点であり、人間の罪深さです。自分には自分の正義があるように、相手には相手の正義があります。だから自分の正義を相手に押しつけないことです。自分の考えこそが正義なんだ!と相手に押しつけるときに、平和な関係が崩れていきます。

 ではどうすればいいのでしょうか?

①善悪を最終的に判断されるのは神であることを認めることです。神の前にも人
の前にも自分の正義を振り回さないことです。

②自分には自分の正義があり、相手には相手の正義があることを認め、自分の正義を相手に押しつけず、自分の正義は自分だけに適用されるものだと認めることです。

③自分の正義と相手の正義がぶつかったときは、自分を押し殺したり、相手を無理矢理変えようとしないで、より良いものを生み出すために話し合う努力をすることです。それでもダメな場合は、それぞれの道を歩んで行けばいいでしょう。

■祈り■
 神よ、あなたこそが本当の正義です。私を正義の誘惑から守ってください。自分の正義を振り回さないで、愛を中心に生きていくことが出来ますように。イエスの御名によって、アーメン。

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