Step by Step 8月14日 ■□赦す恵み、赦される恵み□■
もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。マタイ6章14-15節
人間の心には、相手を赦さないことで、つまり、いつまでも被害者であり続けることによって、相手よりも自分を優位な立場に置こうとする、ひねくれた心があるのではないでしょうか。そうすることで相手の良心につけ込み、いつまでも謝らせようとします。更にはあれやこれやと蒸し返して、相手からなにがしかの利益を奪い、屈折した優越感に浸ろうとします。
これは被害者のふりをした“ゆすり”“たかり”です。相手の良心や罪責感につけ込んで牛耳ろうとしているのです。
謝るべきことには、真心をこめて謝ることは人間として当然のことです。相手に誠意を示すことは当たり前です。しかし、適正に処理され完了した過去を蒸し返して来る場合、それは要注意です。相手の心の傷が深いのかも知れませんが、それだけでそういう相手に振り回されてはなりません。被害者の振りをしながら周りを操ろうとしているからです。
結論的に言えば、加害者も被害者も感情に絡まれることなく、対等な立場に立って自分の人生を健全に生き始めることが何よりも大切なことではないでしょうか。お互い過去の犠牲者になることなく、自分に与えられた未来に向かって歩んで行くべきです。
■祈り■
神よ、あなたは赦しの神であると同時に希望の神です。真心込めて悔い改めるなら神によって赦されない罪はありません。神はどんな人にも希望を用意して下さっていることを感謝します。イエスの御名によって、アーメン。