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聞くということ
「無知の知」とはソクラテスの有名な言葉です。自分は無知な存在であることを知ることから学問が始まるということなのでしょう。
「話すことは技術、聞くことは器」です。人の話に耳を傾けられるのは、その人の器の質や大きさを示します。本文のように“そのことは聞いたことがある、知ってる知ってる”と思って、話しを聞かないということは、知っているという状態から何も成長しないことを意味します。人の話を聞けるということは、学びたい、成長したいという願いの表れです。
また人の話を聞けるということは、その人への愛を現すことになります。話しを聞くということは、時間を使うということであり、時間は命でもありますから命を使うということにもなります。また心も体力も使います。ということは人の話を聞くということは、自分の人生の一部を相手に与えるということになります。まさに「聞くことは器」です。
確かに私たちの耳に入ってくる情報は聞き流すだけで充分のものもあります。しかし、聞くだけでなくそこから生き方に適用していくべき情報もあります。その場合は、何度も聞くことによって自分の身体に染みこませることが重要です。
聖書は本です。ですから聞くよりも読むといった方がいいのですが、それでも「聞く」ことに重心を置いて読みます。神様との対話を意識しながら聖書を読みます。「神様、今日読む聖書から語ってください」という心で読むのです。その時に読んでいる聖書の一つのフレーズが心に響き渡ることがあります。
ですから聖書の信仰は「聞く」ことを非常に大事にします。聞くことによって心が通じ合い、聞くことによって信仰や情熱が芽生えるからです。聞くことは謙遜、聞くことは成長への意欲、聞くことは相手への愛です。
僕も「聞くことのできる大きな器になりたい」です。いや、メガ器でなくてもいい。しっかり聞いて良い情報で器を満たしたいです。
***参照聖句***
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。ロマ10章17節