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世界の役立たずになる時間
僕のクセのひとつ。気を抜かないということ。
常にアクティブか、アイドリング状態になっていて、気が休まるということがない。
見た人はあまりそうは思わないと思う。行動はあまり伴わないから。けれど、意識の上では忙しく、ぼけーっとしているようでも、頭は爆走している。
なにか、常に得たいと思っているようだ。物質的なものじゃなく、気づきとか、意識の変容とか、精神的な充足や生産性を求めてアイドリングはやまない。
けれども、僕は逆のことをしている。
精神的な充足や生産性を求めるならば、むしろあたまを空っぽにしたほうがいいのだ。スペースのないところに、気づきは生まれない。
これでもだーーーーいぶマシになったほうなのだけど、物質的な日常が充実してくると、ノリに乗ってきて、休むということをしなくなる。次々に楽しいことを見つけに行き、探し出し、自分に課してはかきこんでいく。途中まではいい。しかし、『義務』へといつのまにか切り替わっていることもあり、止まらなくなる。
とても気分が悪くなってきている、自分に気づいた。
勇気を出して、あえて止めてみた。意識を、頭の動きを。
習慣を手放し、生産性を捨て、このままでは役立たずだと脅してくる頭の中の声に「それはいい。わたしは世界の役立たずになろう」と応じた。
ただ存在する。
それはそういう時間だった。
テレビを見ながら、ただ見ている。
湯船に浸かりながら、ただ浸かっている。
布団に寝そべって、ただそこにある。
スマホはいじらない。
感想とか思いとかは、浮かべない。思考もしない。“頭の中から言語を失う” 。見えているが、見ているのかどうか……。
結果的に、僕は豊かさを得た。
頭がスッキリして、気分も落ち着いた。まとわりつくような眠気も去った。からだから余計な力がとれた。
僕は役立たずが恐い。お前は役立たずだと自分に責められるのが嫌い。だから、有用でありそうなものを常にかき集めていた。
けれど、世界の役立たずになることは、正直快感だった。めっちゃ気分よかった。
ただ僕は、また爆走の日々に戻る。それも僕であるし、めっちゃ楽しいから。
前と違うのは、1日のうち幾ばくか、世界の役立たずになる。そこで自分をリセットするのだ。
たぶん忘れたりもする。根を詰めすぎて、イライラすることもきっとある。
そのたびに、「あ!僕は世界の役立たずになれるんだった!」と思い出せたらいい。そう思っている。