アイドルは癒し?
あなたにとってアイドルとは?
そう問われたら皆さんだったら何と答えるでしょうか。その人とアイドルの関係性によって無数に答えはあると思います。ただ一般的な回答として「癒し」と答える人が多い気がしますし、アイドルオタクじゃない人からは、特にそういうイメージがあると思います。
確かに僕もライブでの可愛い表情や歌声、ダンスの美しさから、また特典会でのポーズや何気ない会話、かけてくれる言葉から「癒し」だなぁと感じることは少なくありません。ですが、アイドルとは?の回答として「癒し」は自分にとって適当ではない気がします。
僕のアイドルオタクの始まりは中学生の時でした。
毎晩夜更かしをしていた僕は、いつも通り夜更かしをしていると偶然、AKB48の冠番組を見かけます。初めて見たアイドルは、時に水に落とされたり、粉まみれになったりしていましたが、キラキラしていました。中でも1番可愛くて輝いていた子は、いわゆる推しメンとなり、番組を見てもMVを見ても目で追ってしまう存在となりました。
しかしファンになってから半年も経たないうちに、彼女は卒業してしまいました。結局ライブを生で観ることも、彼女に直接会うことも叶いませんでした。しかし彼女はグループ卒業後、タレント活動をスタートさせました。まだ会えるチャンスがあったのです。その後彼女は、文化放送のラジオのパーソナリティを務めることになりました。放送時間は深夜1時〜3時。僕の夜更かしは加速することとなりました…。
毎回欠かさず聴いていたそのラジオで、ある告知がありました。それは番組初のイベント開催のお知らせでした。公開収録が開催されることになったのです。もうどうやってチケットを取ったかも覚えていませんが、絶対に行こうと思ったことは覚えています。だって、やっと会いたかった人に会えるのですから。
公開収録当日、開場時間の遥か前に浜松町文化放送に着いた僕は、当時まだ浜松町にあったポケモンセンターで時間を潰しながら心を落ち着かせていました。時間が来て入場し、公開収録のスタート。そこに現れたのは、ずっと画面の中にいた憧れの人。大島麻衣さんでした。もう可愛いとか美しいとか、そういう次元じゃありませんでした。神秘的でキラキラしたオーラに包まれていました。
公開収録も終わりかけの頃、グッズの紹介がありました。当時はスマホもありませんでしたし、自分のパソコンも無かったので、グッズがあることも、グッズを買うとお渡し会があるなんてことも知りませんでした。「え、握手もできるしお話しもできるの!?」買う一択でした。今でもその光景と「ずっと会いたかった」と伝えた事は覚えています。これが人生初接触でした。
中学校を卒業して、高校に入学するとすぐに野球部に入りました。小学校から野球をしていたので、もうそれは自然な流れでした。野球部は基本休みはなく、365日晴れでも雨でも部活でした。そのためアイドルは変わらず好きでしたが、ライブに行ったりという事はありませんでした。じゃあ野球に打ち込んだのかと言われると、サボったりする事はありませんでしたが、何となく続けなきゃなと思って続けていたのでスタメンになることも無く、ただ3年間耐えたみたいな感じになりました。みんな最後の試合で負けて泣いているのに、1人だけ「やっと終わった…」という気持ちから泣くという笑笑。今でもあの日々は何だったのか…と思います。
大学ではやりたかった事をやろう!と心に決めた僕は、本当は高校生のうちからやりたかった「お笑い」をやる事にしました。ただ僕の大学にはお笑いサークルはなく、仕方なく落語研究会に入りました。落語研究会とはいえども、先輩に漫才をやっている人もいるし、漫才もやらせてくれるという事で、僕も同期と漫才コンビを結成することになりました。
初めてやってみた漫才はものすごく楽しくて、やってみて良かったなと思いました。せっかく落語研究会にいるしやってみるか!と同時に始めた落語も楽しくて、2年生の後半くらいからは落語にのめり込んでいきました。自分でもやるし、プロの落語も観に行くし、他大学の上手い子、面白い子の落語も観に行く。週末は大体、他大学の寄席を観に行っていました。
ここまで読んで、あれ?アイドルは?となっていると思いますがその通り。この時期はアイドルの事は忘れていました。唯一のオタク活休期間です。
"唯一の"ということは、ここでオタクを辞めるはずもなく、またアイドルにハマっていくのです。
落語漬けの僕は、気づくと将来の事を考えなくてはいけない時期になっていました。頭の中には漠然とお笑いか落語のプロになりたいなという気持ちがありました。就職せずに養成所に通うか、それとも落語家の師匠に弟子入りするか…
結局僕はそのどちらも選ばず就職することに決めました。お笑いも落語も周りはそれなりの評価はしてくれていましたが、実績も無いし自分の中にやっていく自信が無かったので、踏み出す勇気がありませんでした。それともうひとつ理由がありました。それはアイドルオタクをやりたいと思ったからです。
大学4年になる頃、僕はけやき坂46のオタクになっていました。まだまだ走り出しのグループの成長を追っていきたいと思っていました。もしお笑い芸人や落語家になるとその活動を追いかけるお金も時間もなくなるという事がわかっていました。なので僕は社会人をやりながらアイドルオタクをする選択をしました。
けやき坂46の活動を追いかけられるのは嬉しかったですが、やっぱり未練はありました。なのでライブを観ていると「悔しいなぁ」とか「自分もそっち側に立ちたいなぁ」という気持ちが止まりませんでした。
2019年のクリスマスライブ「ひなくり2019」のライブ終盤、スクリーンで告知動画が流れます。そこには翌年のクリスマスライブ開催のお知らせ、そして開催場所「東京ドーム」の文字。会社の同期と観に来ていた僕は、同期がドン引きする気配を感じつつ号泣して崩れ落ちました。当時のグループの夢の場所である東京ドーム公演がついに叶いました。そして、ここだと思いました。この東京ドーム公演を見届けて、僕は会社を辞めて芸人になろう。
翌年、東京ドーム公演は開催されませんでした。新型コロナウィルスの蔓延によって、翌年以降に延期されました。その後の僕はというと、日向坂46へと名称を変えたそのグループの興味関心を段々と失っていき、おひさま(日向坂46のファン)ではなくなっていきました。芸人の夢はどうなったかというと、コロナ禍で先行きが見えない中、芸人をやろうという気にはならず、結局今の仕事を続ける事になりました。
そして今はfishbowlという静岡発のローカルアイドルに主現場を移し、アイドルオタクを続けています。芸人になるという夢はもうありません。今の生活は楽しいですし、考えてみればオタクをしたいからと叶えたいことを先延ばしにするやつが芸人をやったところで成功する訳がないので、これで良かったと思っています。
アイドルになる子は、それまでの生活とこれからの人生を変える勇気がある人達だと思います。自分には出来なかった。だから尊敬しています。勇気があるから誰かに勇気を分けられる存在。自分もそうなりたかったなぁと思います。これで良かったとか言っておきながら未練タラタラですね。僕の夢はどこに行ったのでしょうか?
ある日「夢も目標もないんですけどどうしたらいいんですか?」と上司に聞いた時、言われたことがあります。「夢とか目標が無いなら、誰かの夢とか目標に乗っかればいいんだよ。」と。
クロスノエシスというアイドルの『VISION』という曲に"僕が君の夢になる"という歌詞があります。これこそが僕の思うアイドルだと思います。
僕の今の夢は、推しメンの夢です。だから今自分が持っている全てを捧げたくなってしまうんだと思います。自分が叶えられなかった夢も乗せて、推しメンの夢を叶えたいと思います。もし推しメンがこれを読んでいたら、もっと夢を伝えてほしいです。一緒に叶えていきたいです。大白桃子さん!これからもよろしくお願いします!
結論です。僕にとってのアイドルとは?
「夢を託して一緒に叶えていける存在」
最後までお読みいただきありがとうございました。