
郡上で聞こえた夏の音
飛騨高地の南、山合いの中に岐阜県郡上市はある。
郡上八幡(ぐじょうはちまん)というその地名を聞いただけで、何だか古き良き日本を感じるのは僕だけだろうか。
岐阜県美濃市よりもさらに北の山岳地帯にあるこの土地は、古くから奥美濃と呼ばれた城下町だ。
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郡上八幡に向かって国道256号をバイクで走っていた時、もうすっかり夜になっていた。
長野県の駒ヶ根で一泊し、岐阜県中津川市から下呂市を経て、真夏の日差しを避けるように山あいの中を走ってきた。
ガソリンの残量にひやひやしながら、真っ暗な山道をバイクで一人走っている時は心細いものだ。
すれ違う車もほとんどなく、バイクのライトがなければ暗闇同然だ。バイクに跨って走っているという安心感があるが、とても一人で歩けるような場所じゃない。
(ここでもしバイクが動かなくなったら....)
(最悪、JAFって山の中でも来てくれるよな?)
(鹿はいいけど、熊でたらどうしよう)
そんな自問自答を繰り返しながら、バイクをただ走らせる。
わざわざ夜の山道を走る必要ないじゃないか、と言われればそれまでなのだが、計画性に乏しい僕の旅のスタイルではよくこういう事になる。
夜の山道を一人で走ったのはこの時が初めてだったが、それ以来、こういう怖い時は決まってタンクをコンコンと叩くようになった。
(頼むぞ、相棒!)
やがて、つづら折りの山道を下り始めた時、街の気配を感じさせる音が聞こえてきた。
和太鼓を叩くドンドンという力強い音、盆踊りの唄だった。
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山道から郡上八幡の街に下ってきた時、僕は真っ先にガソリンスタンドに向かった。
これからしばらく走ることへの不安はなくなったが、宿探しをしなくてはならない。
店員のおっちゃんに尋ねると、
「今日は祭りだから泊まれるとこはないだろう。これで寝るしかねーな!」
と、僕のバイクに括りつけていたテントを手で叩きながら笑った。
さすがにこの夜からテントは張りたくないな、と思った。初日、まだ明るい時でさえテントの設営に手こずったのだ。しかも、ここからキャンプ場を探すほどの余裕も僕にはなかった。
実際、おっちゃんの言う通りだった。街中は明らかにお祭りムード一色で、道路は人でごった返していた。断れることを覚悟して飛び込んだホテルも見事に満員御礼だった。
フロントの人は申し訳ないというより、こんな日に予約なしで泊まれるわけがなかろう、と半ば呆れた表情をしていたのも無理はない。
郡上八幡での宿探しは諦めようとしたとき、嫌がらせのように雨も降り始めた。人混みの中でバイクを止めて合羽を着ると、僕は郡上八幡から北へ走り始めた。
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郡上白鳥(ぐじょうしろとり)までやって来た時、僕は「民宿さとう」という小さな看板を見逃さなかった。
入り口は2つあり、食堂の方は真っ暗で完全に閉まっていた。明かりがあるもう一つの扉を開ける。
「すみません!」
テレビを見ていた女将さんが奥の部屋から出てくると、僕を見るなり一瞬だけ怪訝な顔をした。
「今晩泊めてもらえませんか?」
一瞬間があった。だが、雨に濡れて疲れ果てた僕の身なりに同情してくれたのか、
「夜ご飯はもう出せないけど、今部屋の準備してあげるから少し待ってて」
和室の部屋に案内してくれると、女将さんはすぐに布団を敷いてくれた。この時は、もう穏やかで優しい表情をしていたので安心した。
「今日は川の向こう側でお祭りやってるから、見に行ってきたら?」
と、女将さんは勧めてくれた。
郡上八幡ではお祭りの雰囲気はあったが、それを楽しむ間もなく走り抜けてきた。
僕は散歩するように、長良川にかかる橋を渡って郡上白鳥駅の方向へ歩いて行った。アスファルトはまだ濡れていたが、雨はもう上がっていた。
駅周辺の道路まで来ると、浴衣を着た地元の大人や子供たちであふれていた。道路のど真ん中に立派な和太鼓がいくつも置いてあった。
僕が歩いて見て回った時、ちょうど盆踊りの唄も太鼓の音も響いていなかったが、僕にとって地元の人たちと同じ場に身を置くことができて良かった。
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こうして記事を書きながら、郡上市のホームページで知った情報がある。
郡上踊りと白鳥踊りはともに郡上2大おどりと呼ばれ、僕が訪れたお盆の期間はちょうど「徹夜踊り」(午後20時から朝方4時まで)が開催されていた可能性がある。
毎年8月13日から16日までのお盆の期間に連日開催される。もちろん、地元の人たちだけでなく、観光客も大勢やってきて、みんなで朝方まで踊って踊って踊りまくるのだ。
もう15年も前のことではっきりと覚えてはないが、僕が白鳥を歩いていた頃は、その徹夜踊りが始まる前だったのではないかという憶測が生まれた。
とはいっても、この時の僕に一人で徹夜踊りに加わるほどの体力は残っていなかったが。
この2大おどりは400年も前からある郡上の伝統的な行事だ。古くから”男女が出会う場”であったという。
僕は踊りもせず、素敵な女性と出会うこともなく、この郡上を代表する二つの街を過ぎ去っていった。
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(油坂峠から郡上白鳥の街を望む)