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放送室から流した曲

小学5年に進級した時、クラス替えがあった。

始業式の日、賑やかな教室に女の先生が真顔で入ってきた。

ふさよ先生の第一印象は、”厳しそう”である。当時、40代半ばくらいだろうか。目力が強く、鼻筋が通った美人顔。ロングヘア―でスラっと背が高い。卒業文集にふさよ先生のプロフィールがあったが、年齢欄は「不詳」と書かれていたのをなぜか鮮明に覚えている。

実際、厳しかった。

朝、教室に入ってくる時や授業を始める時の挨拶、生徒全員による感謝表現など徹底した規律。教師として生徒たちを甘やかさない言動や毅然とした態度。

「メリハリをつけること」は、ふさよ先生自身のポリシーだったのだろう。

今思えば当たり前のことかもしれないが、生徒の前では一人の教師として、大人としてどっしりと構えていた。先生と生徒の立場に対して、しっかりと境界線を引いていたように思う。

そもそも先生は、生徒たちの友達ではない。生徒たちと仲良くすることが仕事ではないし、褒めるだけでは務まらない。

親と同じく、子供にとって教育者であり指導者としての立場がある。そこは決してブレていなかった。

夕礼では、宿題や持ち物の内容などは一度しか言ってくれない。淡々と話すものだから、みんな必死に耳を澄ましてメモをとる。

それでも宿題や持ち物をうっかり忘れてしまう。僕も何度かあった。

該当者は黒板の前に一列に並ばされる。ふさよ先生の手には、教師用の大きな三角定規。それで1人ずつ頭をゴツンと一回叩かれる。これが結構痛い。

それでも、僕を含めた生徒たちは罰としてそれを受け入れていたし、他の先生や親たちが介入して学校全体の問題になるようなことは決してなかった。

僕が小学生だった20年以上前の頃は、まだ「モンスターペアレント」や「ゆとり教育」といった言葉も聞くことはなく、「体罰」という問題は存在はしていただろうが、今ほど問題視されていなかったようにも思う。

そんなふさよ先生も、給食時や放課後は穏やかだった。もちろん、授業中で笑顔を見せることもあった。

僕が印象に残っているのは、給食の時だ。ふさよ先生が、教室に流れる曲に合わせて体を動かしリズムをとっていたことだ。

(なるほど、先生はこの曲が好きなんだな)

その曲は、荒井由実の「ルージュの伝言」だった。

小学校5年生になると、委員会に入らなければならない。

僕がよく立候補したのが放送委員だ。小学校5年時だけでなく、6年時でも放送委員をやったことがある。純粋に「カッコいい」と思った。小学校高学年にもなれば、女子たちの存在を少なからず意識し始める。

みんなの前で歌や音読をすることに苦手意識はなく、どちらかといえば目立ちたがり屋のかっこつけマン。今では恥ずかしいくらいに。

放送委員に入ると、6年生の先輩から放送の準備や手順などを色々と教えてもらった。そして忠告もされた。

「放送中は絶対に笑ったりふざけたりしないようにね!上森先生が怒って飛んで来るから」

放送委員を統括しているのが上森先生だ。普段は優しいが怒ると怖いと校内では有名だった。念を押された僕だったが、一度だけやらかしてしまった。先輩が言っていた通り、上森先生は怒りの形相で放送室に飛んできた。

言い訳をするなら、僕は一人で放送室にいたのではない。クラスで同じ放送委員だったお調子者の友達と、6年生の先輩がいた。そして僕が真面目に放送している最中、二人が変なこと言って笑わしてきたのだ。

僕は二人をかばうことなく、正直に事実と経緯を上森先生に伝えた。ふさよ先生は、よくクラスのみんなに言っていた。

「友達だからといって、悪いことをした友達をかばうことなんかない!そんなのは本当の友情なんかじゃない!」

といっても、連帯責任に変わりはない。上森先生には酷く怒られた。

放送委員の一日はなかなか忙しい。

朝は8時までに登校して、真っ先に放送室へ向かう。慣れてくると一人で放送室に入り、たった一人で放送することもあった。

朝、ドアを開けて放送室の中に入る。三角形の狭いスタジオスペースの椅子に座る。目の前にはスイッチやつまみがたくさん並んだミキサーと可動式マイク。大きな窓の向こう側は、スピーカーなどの放送機材を保管している部屋だ。

ミキサーの横にはチェンジャーも兼ねたプレイヤーがあって、登校、20分休み、給食、昼休み、下校時の各時間帯で流す音楽に切り替えたり、CDを入れてリクエスト曲を流したりすることができる。

月曜日の午前8時。

ショパンのワルツ第6番、「子犬のワルツ」を流す。一日のスタートだ。

「おはようございます。今日は全校朝礼の日です。8時30分までには校庭に集合しましょう」

2時間目が終わると、みんなは一目散に校庭へ飛び出していく。僕は放送室へ向かう。休み時間でも、放送担当の日は放送室で過ごすことが多い。

20分休み終了時、「ラデツキー行進曲」を流す。

「20分休みが終わります。まだ校庭、校舎内に残っている人は早く教室に入り、3時間目の用意をしましょう!」

4時間目が終わると、待ちに待った給食タイムだ。

「今日は放送当番なので、これからお昼の放送に行きます」

僕は給食当番に一言告げると、一番に配膳してもらう。

トレイを持ったまま一人で放送室へ向かい、お昼の放送の時間に備える。

みんなが教室で給食を食べ始めてまもなくの頃、僕はお昼の放送を始める。お昼の放送では、リクエスト曲を2曲流す。

リクエスト曲といっても、もともと放送室に保管されているCDの中から放送担当が自由に選んで流すことができた。もう選曲は済んでいる。

(よし、そろそろ時間だな)

僕はスピーカーの音量を上げ、モーツァルトの「セレナード第13番 第3楽章」を流す。

少し間を置いた後、僕はマイク音量を上げてゆっくりと話し始める。

「これからお昼の放送を始めます。本日の最初のリクエスト曲は...」

「荒井由実のルージュの伝言です。それではお聞き下さい」

セレナードを一度フェードアウトさせ、再び僕は再生ボタンを押す。

放送室に「ルージュの伝言」のイントロが流れ始め、曲が始まった。

あのひとのママに会うために 今ひとり 列車に乗ったの たそがれせまる 街並みや車の流れ 横目で追い越して あのひとは もう気づくころよ バスルームに ルージュの伝言 

曲が流れている間、僕はコッペパンと牛乳を口に入れる。

(きっと今頃、ふさよ先生は教室で機嫌を良くしているだろう)

いつの間にか、僕もこの曲が好きになっていた。

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