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私とインバウンドと2024:第一話「ママのひとり旅」

めぐる季節の中で今年もたくさんの海外ゲストに出会った。通訳ガイドをしていて一番の楽しみは、多様な価値観に出会うこと。驚き、自分を振り返り、世界が広がる。そんなことがたくさんあった2024年だった。
思い出に残ったゲストとの旅を季節と一緒に振り返る、第一弾!


1月の寒い朝に出会ったひとり旅の女性

「思っていたよりずいぶん若い女性だな」
雪が降るか降らないかという寒い朝の京都。坪庭に面しやや照明を落とした暖かい和の雰囲気のあるホテルロービーで待ち合わせした彼女の最初の印象はこうだった。

男性のひとり旅は少なくない。今までも20代から70代まで、さまざまな年代の男性のひとり旅をガイドしたことがある。でも女性のひとり旅は私の経験上、年配の女性が多かった。事前のメールのやり取りでは文章に聡明さが滲み出ていて成熟した大人の印象だったこともあり、先入観で年配の女性かと思い込んでしまっていました。どう見ても30代以下、もしかしたら20代かも知れない。

ロビーのたっぷりとした布製のソファーに腰掛けて、今日から3日間続く旅程の確認と、リクエストの聞き取りをしていた。待ち合わせ直後にいつもする短いオリエンテーション。今日のゲストのコンディションをさらっとチェックしたり、今日までで変更になった希望がないかなどを聞く。文章のやり取りでは分からない相手の情報が、実際にお会いするとたくさん分かるので、お会いしてから新しい提案をすることもしばしばある。相手のことを知る大切な時間だ。
オリエンは順調に進んだ。ふむふむ。とてもアクティブそうだし、なんでも食べられる人だし、楽しい旅になりそうだ。その時、彼女の携帯が鳴った。ちょっとごめんねと電話に出る。小さな子供と話しているとすぐわかる、赤ちゃん言葉の混ざったリラックスした会話。数分話したあと電話を切る。

"It was my boy. I have three-year-old."

えっ、と目を見開いたかも知れない。three-year-old とは、3歳児のこと。
彼女、お母さんだったのか。若いお母さんだ。いや、30代でお母さんは別に驚くほど若くはないか。自分は何に驚いている?一瞬わからなかった。
そうだ、3歳のお子さんのいるお母さんがひとり旅をしていることに自分は驚いているんだ。

小さい子供を自国に残しての「ひとり旅」はめずらしい

小さな子供を自国で誰かに預け、大人だけで旅する人々は結構いる。夫に子供を預けてきたという親友同士の女子旅や、赤ちゃんをベビーシッターさんに預けて結婚記念日を祝いに来たという夫婦の旅など。親以外が子供の面倒を見ることに抵抗がない文化圏ではよくあることだし、今までもたくさんツアーしてきた。でも、小さなお子さんを自国に残して「ひとり旅」というのは初めてだ。めずらしい。ひとり旅は、100パーセント完全に自分のためだけの旅だ。そこに一切の言い訳がない。
自分の中の好奇心センサーがピコーンと反応した。聞いてみたい。どうして、ひとりで日本を旅しているのだろうか

しかし、と躊躇する。否定的な意味に取られないようにするには、どういった聞き方がいいだろう。というのも、ひとり旅の中には傷心の旅というのが結構ある。自分を見つめ直す旅とか、悲しみを癒すための旅とかだ。数日過ごす中で仲良くなり、そういったことを話してくれる人もいれば、最後まで詳しいことは話さずにお別れする人ももちろんいて、それはそれでいいと思っている。そういう時は、この旅がゲストの心に寄り添う時間になるようそっと心をつくす。
だから普段の自分ならひとり旅の理由に最初から土足でどしどし踏み入ることはしない。でも、目の前の彼女のきらきらの目から、つやつやの髪から、弾ける笑顔からポジティブパワーがあふれ出ていて、人生が山あり谷ありなら絶対今「山の方」にいることが明らかなように思え、背中を押された。

I fell in love with Japan. 

" Do you travel alone often?" (よくひとり旅をするのですか?)
頭に浮かんだいくつかの選択肢の中から、こういう聞き方をしてみた。答えはいいえ。仕事以外のひとり旅は「初めて」。自分はひとり旅をするような人間だと思っていなかったとさえ言う。

彼女のひとり旅の理由はシンプルなものだった。
I fell in love with Japan. (日本が大好きになったの。)
But nobody had time to come along with me this month. 
(でも今月一緒に来る時間のある人がいなかったの。)

歯科クリニックを経営する歯科医師であるその女性は、昨年(2023年)の11月にデンタル機器の買い付けに初めて神戸を訪れたそう。数日間の滞在で日本にfell in loveし(恋に落ち)、後ろ髪をぎゅんぎゅん引っ張られる想いで帰国した。すぐにでもまた来たいと思った。しかし夫も母も友人もみんなスケジュールの都合をつけることができなかったのだという。

アメリカ人の1月は旅行のスケジュールが立てにくい

そう、1月からの数ヶ月は働くアメリカ人にとって旅行のスケジュールが立てにくい季節
11月から12月までホリデーシーズンで仕事を休みまくり、家族や友人と集まるパーティーやクリスマスギフト交換で出費も増える。極め付けにニューイヤーの年越しパーティがある。

なので1月2日からはホリデー気分はすーっと波が引いていくように鳴りを潜め、仕事モードに切り替わっていく。春にはイースター、夏は子供の夏休みや独立記念日のお祭りなどイベントが多いので、1月からの数ヶ月は気を引き締めてガッツリ働く季節なのだ。だから今月一緒に旅行してくれる人が見つからなかったというのは頷ける

それでも、この女性は日本にすぐ来ることを諦められなかったという。飛行機とって、ホテルとって、一人で2週間の日本旅行に来ちゃったというのだ。

ふと自分を振り返る。自分には子供を置いて2週間海外を旅するという発想がなかった。自分の周りの同世代や、母親の世代の知り合いまでさかのぼっても、3歳前後の子供を置いてひとり旅をした人を知らない。
それほどのときめきが人生にあっていいということを、当たり前に知ってたような気もする。だけど、実際には見たことがなかった

なにも、ときめいてすぐ2ヶ月後に一人で来なくても、夏まで待ってもよかったのでは、とか、子供がもう少し大きくなるまで待ってもよかったのでは、とか、そんなことを考えてしまう自分のナンセンスぶりに嫌気がさしてしまう。
子供がいても、ひとりでも、日本に今すぐ来たかったのだ。
しかも、いつも子供を置いてあっちこっち旅している人ではなさそうだ。それほど望んで行きたいと思った国は日本が初めてなのだという
このときめきを理由をつけて押さえ込むのではなく、「初めてのひとり旅」という形で勇気を持って実現させたのはすごい。周りの助けや経済的な余裕があってこそだけど、何よりこの女性が自分のときめきを追いかけることはいつでも自由だと疑いなく信じているから実現できたことなのだろう。
日本の何が心を掴んだのだろう。
この女性の瞳に京都と大阪はどんなふうに映るのかな。これから一緒に旅する期待感が一層ふくらんだ。

日本に恋したひとり旅ママが見た京都

伏見稲荷の千本鳥居(せんぼんとりい)にて。

その情熱に突き動かされるように、彼女は毎日キラキラの瞳で冬の京都を見つめ身体中に日本文化を染み込ませるように吸収して楽しんでいた
fell in love したという言葉のとおり、目からはハートマークが常に飛んでいて、口からは感動のため息が常に漏れていた。
その合間、朝は自宅で子供の面倒を見てくれている夫やお母さんに電話したり、夜中は仕事のメールに返信したりして、無茶なスケジュールの調整も彼女なりにこなしていた

初日に訪れたのは伏見稲荷。冬の朝の伏見稲荷はいつもより人がまばらで、アクティブな彼女を連れて山の中腹までどんどん登った
稲荷山には頂上まで鳥居が並ぶ参道が続いていて、参道沿いにさまざまな表情のお社(やしろ)が見られる。山の中腹に池があり、池に突き出すような形で設けられた石積みの上にひときわ目立つお社がある。熊鷹社(くまたかしゃ)だ。木々に囲まれた池のほとりのお社の中でゆらめくろうそくの炎が、神秘的でもあり怪しくもある。日本の山々に神様がいると信じられてきたのも頷ける、本当にここに神様いるねと思える、そんなことが体感できる場所だ。

稲荷山の中腹にある池のほとりに立つお社(やしろ)。

ここで私がお祈りすることは、inappropriateではないですか?
と聞かれた。appropriateには「適切」、in-appropriateには「不適切」とか、「場違い」という意味がある。神社や寺を訪れたとき、海外ゲストによく聞かれる質問だ。
宗教や文化が違う自分達がする行いが、ルール違反になったり、周りを不快にしないかどうかを確認するひと言。外国人観光客の迷惑行為がニュースを目にすることが増えたけれど、通訳案内士として日々出会う海外ゲストの多くは日本の文化や風習に敏感だし、迷惑にならないようにと、潔癖すぎるほど気を遣う人もいる。彼女もそんなひとりだった。あまり気にせずリラックスして楽しんでほしいと思う反面、このような気遣いのひと言は日本文化への敬意が感じられて嬉しくもある。

祈ってもいいし、お願い事をしてもいいと答えた。熊鷹社(くまたかしゃ)に祀られている神様が得意な願い事は、ひと探しと、勝負事だと信じられているけれど、当てはまるものがなければ今自分が一番叶えたいお願いをしてもいい(と私は思っている。)ろうそくを買って火を灯し、お供えして、覚えたてのやり方で手を合わせてくれた。暖かい街フロリダ出身の彼女が、京都の一番寒い空気の中で、神様の住むという山に初めてやってきて、怪しくゆらめく蝋燭に手を合わせている。なんか感動だ。3歳の子供を預け、仕事も都合つけ、ここまで来ることは簡単なことではなかっただろう。彼女の背中からは全身でこの瞬間を楽しんでいることが伝わってきて、その背中に「勇気」や「自由」や「ときめき」という文字が新年の書き初めみたいにバーンと張り付いているように見えた。お社に手を合わせる背中を見つめながら、私は心の中で親指をグッと立てるポーズを送り、ちょっと無茶な彼女のファインプレーを称賛した。

串カツ、回転寿司、チーズタルト。

日本に恋している彼女は日本食も大いに楽しんだ。特に道頓堀にある串カツ「だるま」さんでいただいた串カツが大絶賛だった。串カツのメニューで人気なのはやはり牛肉。元祖串カツは一番安くて143円だけど、海外ゲストに人気なのは牛ハラミでも特上牛ハラミ(286円)でもなく、松坂牛串や神戸牛串だ。なんと一串700円台。串カツとは思えない値段だ。しかしアメリカドルにすると一串5ドル程度。ひとり旅を絶賛満喫中のキャリアウーマンママにも断然こちらをお勧めした。やわらかい松坂牛に舌鼓。

レンコンの串カツをおかわりするゲスト。

もう一つ評判が良かったのはレンコンの串カツ。欧米出身のゲストにお勧めを聞かれていつもこれを答える。レンコンは東アジア以外では馴染みのない食材で食べたことのない海外ゲストが多い。穴の空いた印象的な形と「lotus root (はすの花の根」という美しい名前で旅の思い出に残りやすい
味は好き嫌いが分かれるが、串カツバージョンのレンコンは人気が高い。私の印象では8:2くらいの割合で「好きな味だ」と言ってくれると思う。揚げたてのジャガイモみたいにホクホクした食感に、万能タレの味が助けて万人に好まれるんだと思う。

海外ゲストに大人気。炙りサーモンマヨ、たまご、鉄火巻き。
並んででも食べたいと言ってくれたパブロのチーズタルト

自信を持ってご紹介するメイドインジャパン製品

3日間の旅では、家族のためのお買い物もたくさんした。フロリダで待つ家族のことを思ってたくさんのお土産を買った。
子供服を買いたいということで、大阪の旅では大阪生まれの子供服ブランドmikihouseにお連れした。ファミリアと並び愛される関西生まれの二大子供服ブランドのひとつ。赤ちゃんやキッズのお土産に自信を持ってご紹介できるメイドインジャパン製品だ。
おもちゃ屋さんでは、数ある製品の中からアンパンマンの顔がデザインされた車を買っていた。アンパンマンの物語を知っているわけではないのに、その愛らしくもたくましいキャラクーのデザインだけを見てすぐ商品を手にしていた。さすが愛と勇気のヒーロー。アンパンマンクラスになるとビジュだけで世界のママの心をつかむのですね。

夫からの難しい日本刀のリクエスト。「侍っぽい何か」でもいい!

「夫には日本刀を買ってきてと言われているけどどうしよう。」
模造刀では嫌。だけど、本物を持ち帰ることが難しいこともわかっているという。このように日本刀を買いたいをいうお問合せは結構ある。実物を買えなくはないが、時間もお金も規格外にかかるので、ほとんどの人は亜鉛合金などでできた「切れないし研げない刃」でできた模造刀を買って帰る。しかし今回は模造刀は不要とのこと。難しいリクエストだ。日本と聞いてパッと日本刀を思い浮かべただけのリクエストであれば、日本刀でなくても「侍っぽい何か」でいい場合もある。それでは兜はどうだろう。

金閣寺のお土産物屋さんには小ぶりだが立派な兜の置物が販売されている。全体が鉄製でどっしりしていて、手前にクワガタとカブトムシの角を合わせたような形の三鍬形(みつくわがた)と呼ばれる大きな金色の装飾がついている。三鍬形にはオレンジ色の組紐がリボン結びで付いていて、たっぷりとしたタッセルが垂れる。座布団付きで2万7000円くらい。赤地に金の糸で彩られた派手な座布団だけど、本体の兜が黒い鉄製なので、全体的なかっこよさが損なわれないまま、座布団が海外ゲストにはちょうどいい感じの彩りを添えている。
出世兜(しゅっせかぶと)といって本来は子供の成長を願う用途のものだそうだけど、日本のお土産として「侍っぽい何か」が欲しい人には大人でも喜ばれる。このゲストも一目で気に入ってくれ、日本刀の代わりにこの兜を買っていた。

三日間のお買い物はスーツケースに収まらず、段ボールにお土産をまとめてでマイアミに海外発送した。

ひとり旅のシメ。リトリートという極上の選択

お別れする前に明日以降の旅程で不安なことがないかの確認。
2週間の日本旅、京都大阪の次はどこへ行かれるのだろう。たいがいは箱根で一泊して東京へ戻る、そうでなかったら三島から富士山の見える宿へ行ってみる。西に行くなら広島や福岡。この方ならArt Island(アートアイランド)として知られる直島に行くとおっしゃるかもしれない。

Nebukawaに行きたいの。
ん?予想外の行き先に、一瞬止まった。
ねぶかわ、とはどこだっけ?
彼女の次の行き先は神奈川県の根府川駅から車で30分ほどのところにある江之浦測候所だった。思わず「いっ、いいなぁ〜!」と声が出た。建築好きの間で何年か前に話題になった建築施設とも美術館とも呼びにくい名前の付け難い場所。写真家で美術家の杉本博司さんがデザインする石舞台からは美しい海が眺められ、自分と向き合う時間を過ごせるという。いつか行きたいと思っていた。

江之浦測候所には宿が併設されていて、温泉やスパ、無農薬の食事と、自然の中で滞在しながら老廃物をデトックスし癒しや精神的な充実感を得ることができる。滞在することがそのまま自分と向き合ったり心身の調子を整えたりする時間をもつことを目的とする「リトリートホテル」だ。Retreat(リトリート)とはもともと、「危険なものから避難する」という意味で使われていたらしい。今では「内省」とか「再治療」という意味で使われ、spaとかdetoxとかmindfulnessなどの用語と組み合わせてよく見かける。ストレスが多く忙しい毎日からのリフレッシュをテーマにした旅をしたい方々に人気だ。なるほど、ママのひとり旅に抜かりない極上の選択ですね。
何度でも言うが、ひとり、というのが驚きだ。
自分だけのためにこの贅沢な時間をあげられる。彼女は自由で強い人だ。

多様な価値観に出会い、世界が広がる

通訳ガイドをしていて一番の楽しみは、多様な価値観に出会うこと。自分では思いつかないような考え方に出会ったとき、ぱぁっと視野が広がったり、ガツンと殴られたりするような衝撃におののいたりする。そして自分や、自分が当たり前だと思っている環境をふりかえる。

彼女が感じたときめきと同等の何かに出会った時、自分は「今すぐ行ってみよう。」と言えるかな。自分のときめきのために「子供の面倒たのむ」とか「仕事しばらく休む」とか、周りに援助を求めることができるかな。そもそも、自分はそんなときめきを認知できるのか。かろうじて気付いても、見てみぬふりをしてしまうかもしれない。少なくとも、ひと言も自分の選択をへりくだること無く異国のひとり時間を満喫した女性と出会ったことは、私の見える世界を前よりちょっと広く明るくした。

3歳のママのひとり旅という衝撃的な出会いで幕開けした2024年。
こんな出会いが毎週のようにあるだろう。忙しくて楽しい一年のはじまり。


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